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自然農との出会いがトリガーになって、地方移住を決意したピアニストのこと episode8【コンクールの審査にたずさわるようになって、思うこと】

すでにプロのピアニストとしてデビューし、
地元仙台で地道ながら演奏活動を行なっていたわたし…

ミュンヘンのコンクールのあとまもなく
皮肉なことに、ピアノコンクール審査員の
お仕事が入るようになりました。

*前回の記事はこちらから

コンクールというものに違和感を抱いている自分が
審査して良いのだろうか…と
お引き受けするのをためらったのですが

そのコンクールは高校生以下のジュニアむけのもので
審査用紙には点数だけでなく、一人ひとりに講評を書き
それが参加者にわたされるというシステムだときいて

それなら、その人の良いところや
向き合うべき課題について、メッセージを伝えられる!

と思い、お引き受けすることにしました。

以来、四半世紀(‼︎)にわたって
たくさんのピアノコンクールの審査、
生徒にコンクールを受けさせる先生方を対象にした
課題曲講座や指導法のセミナー、
参加する方の公開レッスンなどを行なってきましたが

学生時代から抱き続けてきた疑問や
音楽演奏に点数をつけることへの違和感は
今も、なくなりません。

でも、個別にメッセージを書けることが救いでした。

「素敵な演奏でした!あなたの演奏を聴いてとても幸せな気持ちになりました」

「これからもあなたらしく、感じたことをのびのびと表現していってください」

…いいな、と思った演奏には
講評というよりファンレター?のような文言を
素直に書くようにしています。

一方、“ああ惜しい!もったいない!”と感じたときは
煙たがられるのを承知で、アドバイスを書きます。

「正確に弾くことにとらわれず、もっと音楽の息吹やフレーズの抑揚を感じてみて」

「音を“弾く”ときだけでなく、音を“切る”瞬間にも意識を向けてみましょう」

   などなど、、、

書きながら、自分の演奏を鑑みて
ハッとさせられることもあります。

ピアノに向かって練習するだけでなく
こうしていろいろな演奏に触れることも、
その印象を書き出してみることも、

何もかもが勉強につながるのだなぁ、と
しみじみと感じます。

コンクールはほとんどの場合、
僅差で結果がわかれます。
絶対的な基準があるものではないので
審査する先生方の好みも、かなり反映されます。

つまり、他の審査員の先生方とぴったり同じ点数になるときもあれば
かなり大きく点数がひらくケースもある、、、

そうすると、評価が分かれやすい個性的な演奏よりも
誰もが平均的な評価点を出す、無難な演奏のほうが
総合点が高くなりやすい、ということになるのです。

なので、ド級のインパクトがあった演奏をした参加者が
予選を通らなかった場合は、
それが“好み”じゃなかった複数の審査員はかなり低めの点数だとしても、それを良いとした審査員は満点に近い高得点をつけた、という可能性もあります。  

前回のK氏は、まさにこのケースだったと思われます。

舞台マナー、テンポをゆらす“しな”の作り方にも、
高得点に結びつくマニュアルのようなものがあります。

  これが、コンクールの“対策”ができる所以です。

先生方も生徒さんも、それを知っている場合
YouTubeやCDなどの音源をきいて
“無難”で、“総合点がとれそう”な演奏をめがけて
コンクール対策をする、ということになるようです。

そんなことはまったく気にせず、考えもせず、

  アーティストは個性があって なんぼ!
  完成度をあげることはもちろん大切だけど
  “無難”な演奏ほどつまらないものはない!

と、思っていたわたしは
いわゆる“コンクール向け”ではなかったわけだ…と
いまさらながら納得して、苦笑、、(⌒-⌒; )

*もちろん、好成績をとる演奏がすべて“無難”ということではありません。拙文で心もとないのですが、審査する側の“好み”にもよるものゆえ、あまり結果にとらわれすぎないで下さい、とお伝えしたいのです。

   いつも、思うのです。

世の中のひとたちが、音楽にかぎらず
コンクールを含めたあらゆる経歴・学歴や、
評価を示す星の数などにふりまわされることなく

みずからの感性で自由に判断し、好きなものをみつけて
それを楽しむようになったら、すてきだな  
…と。


もし、世の中が、同じような工場生産品を扱う量販店や
他と何も変わらないレストランばかりになったら
なんとつまらないことでしょう。
(もう、そうなりつつある?)

たとえ大手企業がメガヒット商品をうみだし続けても

  いや、それならば、だからこそ

アーティストは、その路線に迎合することなく
少数の、コアなファンに喜んでもらえるような方向性で

「みんなちがって みんないい」


という多様性の楽しさ、豊かさを
伝え、広めていってほしいし、自分もそうありたい。。

、、、、、

「それじゃ、ビジネスにならないんだよ」

ごもっとも!

でも、そもそも音楽やアートをビジネスにするって?

音楽の歴史は、文字より古いと言われています。
それは限りなく人類の歴史に近いものです。

音楽が巨匠やビッグスターの演奏によってもてはやされ
ビジネスになるようになったのは
たかだか、この100年ちょっと。

   本来、音楽は、、

お母さんが子どもを寝かすときにふと口ずさんだり
子どもたちが遊びながら言葉にリズムをつけたり
神さまへ祈りを捧げ、何かを奉納するときに唱えたり
労働するとき気晴らしに声をあげたり、

…と、人間のいとなみにぴったりと寄り添って
いつしか、誰からともなく、
名もなき善良な人々のあいだから生まれ、
長きにわたって育みつづけられてきたものです。

それは、パーソナルで
かつ、コミュニティにもなくてはならないもので
愛しくて、懐かしくて、かけがえのないものであり

ひとを「すげー‼︎」と圧倒して
高額のお金を払ってでもききたい‼︎と思わせ、酔わせる
麻薬のようなものでは、ありませんでした。
(そのような音楽を否定しているのではありません)

むしろ、その反対に
人々の心と生活に寄り添い、慈しみ、
心と心、人間と神さまをつなげる
あたたかく、すこやかなものだったのです。

  音楽は、すべての人のためのもの

その理念を生涯抱き
音楽本来のちからを人々に届けるための
独自のメソッド、アプローチをあみだした
ハンガリーの大作曲家で教育者ゾルターン・コダーイが
わたしのメンターになっていきました。

(episode9に続く)

🌿そんな今回オススメのYouTubeはこちら🌿

ちらっと、ハンガリーの農民歌も歌ってみました☺️

🌿鈴木美奈子オフィシャルサイトはこちら🌿

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