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自分のことを「ポンコツ」と言わないほうがいい4つの理由

子供のころから聞いたことがある
「ポンコツ」という言葉。


・壊れたおもちゃに   
 「すぐ壊れた、ポンコツだよね」
・動かなくなって乗り捨てられた自動車に   「ポンコツ車」

そんな風にモノに対して使っていました。

実際、ポンコツの本来の使い方は
正常に作動しなくなった機械や装置に対して
が主な使い方。
(実用日本語表現辞典より一部抜粋)


しかしながら、いつからか自分で自分のことを「ポンコツ」だと言う人が現れた。
人に対して使うときは
能力やスキルが不足している状態をさす
とのこと。
(実用日本語表現辞典より一部抜粋)

自分で自分に使うときは、
自分にダメ出しをするとき。

でも、自分のことをポンコツと言っているのを聞くと、
私はとても悲しい気持ちになります。
自分で自分のことをポンコツと言っても何もいいことがないから。

自分のことをポンコツと言って欲しくない理由を4つお話します。


1.「ポンコツ」という表現が曖昧だから


たとえば、あなたがへまをしたとき。
ちょっとした小言をいわれるとしたら、
AとBのどちらがいいですか?

A. ちょっと、また同じこと繰り返してる!
  この間も言ったよね。
  何回言ってもダメなんだから。


B.  ちょっと、またやったの?
  この間も言ったよね。
  ホント、ポンコツなんだから。

恐らく多くの人がBを選ぶと思います。

同じダメ出しをされるのでも
「あなたってダメな人」

「あなたってポンコツ」
を比べると、「ポンコツ」と言われた方が救いがある(ような気がする)。

実際にポンコツにはポジティブな意味合いもあるらしいです。
かわいい、とか憎めないとか、天然とか。
「もぉ、ポンコツなんだから、
仕方ないな~」
とそこには既に許しが存在する。

なにかをしたときに
「私、ポンコツだから」
と言われてしまうと
「しょ~がないなぁ」
と言わざるを得ない状況に感じるのは、
私がひねくれているというコト?

本当に落ち込んでポンコツと表現している場合もあるでしょう。
でも、もしかしたら「ポンコツだから(テヘペロ)」みたいな、
ポンコツに含まれる、そこはかとないかわいらしさを利用している場合も否定できない。

そう。
ポンコツという表現は曖昧なのです

それ故、真剣に落ち込んでいるとき、
反省しているときに使うと、
相手によっては「あざとい?」と思わせてしまう、かも。


2.ポンコツは救いがない



自分で自分をポンコツと表現するときは、
自分の何か、欠点や課題を認識しているからだと思います。

・言われたことをすぐに忘れてしまう
・いつも期日を過ぎて提出する
・つい余計な一言を言ってしまう


気まずい状況に気づいたとき
「私って本当にポンコツだなぁ」
と自分にダメ出しをする。

でも、それってどこにも救いがないですよね。
自分に欠けているところ、
課題だと認識しているところがあれば、
どうすればいいのか
考え、行動することで、状況が改善します。
大人であれば、自ずと求められることです。



ですが、ポンコツという曖昧な表現を使ってしまうと、
そこに改善の余地はどこにもありません。



「私、ポンコツだから」
と言われたら
「・・・だね」
と言うしかないですよね。
(でも、目の前で「・・・だね」と肯定されたら、きっと嫌なんだろうなぁ)



「ポンコツだから」と言われても、
言われた方も対応に困るし、
ポンコツ認定している本人も改善する機会を失います。
どこにも救いがないのです。

3.本当にポンコツ人間になってしまう


あなたは人から「あなたってこんな人だよね」と言われたことはありますか?

たとえば、
「●●ちゃんって、いつも明るいよね」
と言われたり
「●●さんは正義感が強そう。ダメなことはダメって言いそうだよね」
など、受けた印象でその人をラベリング(ネーミング、名前つけ)することがあります。

私も言われたことがあります。
「明るくて太陽みたいな人だよね」
その言葉を言われてから、
ちょっとしんどいときでも明るく振る舞っている時期がありました。

人は無意識に自分にはられたラベルに寄せてしまう。

大人が長くなってからは、無理はしなくなりましたが、
若かりし頃はイメージを崩したくなくて、
いつも明るい自分でいるように努めていました。

ラベリングってそれだけ効果があるのですね。

意外なことに自分で自分をラベリングしていることもありますよね。
メンタルよわよわ
とか。

メンタルよわよわは自分の中の一部に過ぎないのに、
ラベリングをしたことで、何かあると
「メンタルよわよわだから」
と、メンタルよわよわに寄せていく。

自分の中の一部に過ぎなかったことが、
気づけば
自分とメンタルよわよわがイコールになっている。


自分で自分をポンコツということも同じです。
意識せず使っているかもしれませんが
「私、ポンコツだから」
と言い続けていると、本当に使い物にならないポンコツになりますよ。

4. なにより悲しい


実は「私、ポンコツだから」って言葉を大好きな人から聞いたのです。
一生懸命で真面目で信頼できる素敵な人。
なのに自分で自分のことをポンコツだと連呼していました。

私にとってポンコツのイメージは
使い物にならない役立たず。


こどものころに、近くの原っぱに壊れた車が放置されてたんです。
タイヤも窓ガラスもない。
残されたボディだけが、かつて車であったことを証ているけど、
もう車として走ることは二度とない、
悲しい存在。

その車を「ポンコツ車」と名づけて、
見に行っていました。
私にとってポンコツは
使い物にならなくて、役立たずで、
悲しい存在。

だから、大好きな人が自分のことをポンコツと言うのがたまらなく悲しかった。

この世にポンコツな人間なんていない!


もちろん、誰にでも欠点や課題はあります。
でもそれは自分の一部だし、
もっと言ってしまえば、
その瞬間がそうだっただけ。


自分をポンコツだと言いたくなってしまうことがあるかもしれない。
365日24時間ポンコツしているわけではないですよね?
でも、それはあなたのごく一部で、そして一瞬のことなんです。
あなたがポンコツなのではない。
ポンコツの瞬間や状況があっただけ。

あなたにとって、欠点があるダメなあなたであっても、
あなたのことが大好き、
あなたの存在に救われている、
そんな人たちも世の中には存在しているんです。

だから自分で自分のことをポンコツ認定しないで。
ポンコツと言う言葉には、誰も救われないのだから。





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