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故郷と私

私の故郷はなかなかの田舎町である。

この田舎町は恐らく日本で一位か二位を争うほど知名度の低い県に属している。

スタバが最後から二番目に進出した県といえば、ご存じの方もいらっしゃるかもしれない。いや、知らないか。

話の都合上、仮名をA県B市としよう。

私は高校卒業後、故郷のA県B市から約400kmも離れたC県に進学した。

初めて会うクラスメイトたちにA県出身であることを告白すると、みな一瞬「どこそこ?」と言わんばかりの顔をして黙り込んだ。

会話はその後弾むわけでもなく次の話題へと移っていき、私はその場で恥ずかさのあまり黙って俯いていた。

私の通っていた大学では、C県とその近隣の出身者が8割を占めていた。県外から、しかもかなりの遠方から進学してきた私みたいな学生は珍しかった。

クラスメイトが私の故郷を知らないのも無理のないことかもしれない。

でも、私は無名の惑星からやってきた宇宙人のようで居心地が悪かった。



高校生の時は地元の田舎っぷりが嫌で仕方がなかった。

見渡す限り広がる田んぼ。

方言丸出しで農作業に励む爺さん婆さん。

一日に数本しか運行しない、利便性のかけらもない電車とバス。

都会のお洒落なショップやカフェがテレビで紹介されるたびに、近くの洋服屋で買ったダサいTシャツを着ている自分に落ち込んだ。

「こんな田舎、早く出ていってやる」

いつしかその言葉は私のスローガンとなり、高校卒業と同時に意気揚々と県外の大学に進学した。



時は流れ、いまや故郷は大きく様変わりした。

田んぼの多くは埋め立てられ、西洋風のアパートや一軒家が続々と建てられた。

農作業に勤しむ老人たちの代わりに、体格の良い快活な外国人労働者をあちこちで見かけるようになった。

中心部には大きなショッピングモールが建設され、休日は近隣の町からも買い物客が押し寄せる。スタバが2店舗もできた。

あれだけ嫌っていた田舎が都会風に変貌を遂げたというのに、私は寂寥感を拭い去ることができないでいる。

そこには、もう私が子供のころから知っている地元はいない。

小学生の時に友人と一緒に遊んだ原っぱ、腰の曲がった老婆が切り盛りしていた駄菓子屋、部活帰りに通った商店街のパン屋の匂い。

もう二度とこれらに出会うことはないのだ。


雲や川の流れを止めることができないように、時代の流れに従って訪れる街の変化を阻止することはできない。

諸行無常。すべてのものは絶えず変化する。

でも反対に、変化しないことは人を安心させる。

出産を機に地元に戻ってから、そう強く思った。

例えば、私の家の周り。

自慢じゃないが、実家は昔と変わらずいまだに田んぼに囲まれている。

その風景は私を安心させる。何かに守られているような安らかな気持ちになる。

そして、5月のちょうど今頃、田植えをする前の代掻きされた田んぼを見るのがこの上なく好きである。
 
代掻きをご存じだろうか?

代掻きとは、田んぼに水を張って土を耕していく作業だ。

私の住む地域では毎年ゴールデンウィーク近くになると、田植えの前段階として代掻きが行われる。

赤色のトラクターが田園を何度も往復して土を掻いている様を眺めると、「お、今年もいよいよ来ましたね」と胸が高鳴る。
 
代掻きをしている最中の田んぼには必ず鳥がやってくる。土の中から穿り出されたミミズや虫を食べるのだ。

多いときにはサギやカモメが数十羽も集まって餌の争奪戦を繰り広げる。

餌を求めるカモメたち


水の張った田んぼは海のように見える。餌を求めて飛んでくるカモメの鳴き声を聞くと、ますます海の近くに住んでいるような錯覚を覚える。

夜になると、四方八方から聞こえる蛙の盛大な鳴き声をBGMにして布団の中で本を読む。至福の時だ。

こんな、子供のころから変わらない風景が、実は心の一部を占めていただなんて、高校時代の私が知ったら驚くだろうな。

この風景が変わらずに残り続けてくれるのであれば、故郷の知名度なんか低くて上等である。


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