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近況と「無人島のふたり」の感想

まずは近況

先日の胸のエコーでは、腫瘍がかなり小さくなったことが分かった。胸のシコリも、脇のシコリも。抗がん剤が良く効いている証拠。嬉しい!

無人島のふたりを読んで

病院の待ち時間に山本文緒さんの「無人島でふたり」を読んだ。学生時代から山本さんの小説が好きでよく読んでいたし、好きな作家のひとりだ。

山本さんは2021年に膵臓がんで亡くなられた。この本は、彼女が膵臓がんのステージⅣで余命宣告を受けてから、亡くなる直前まで書いていた日記である。

山本さんの日記には、今日食べたもの、読んだ本、お見舞いに来てくれた人、家族として話が書かれている。

読んでいると、もうすぐ亡くなる方の日常とは思えない。何というか、とても穏やか。でも、お墓の話とか、御葬式の話とか、死を予感させるワードにドキリとする。

ご本人はどんな気持ちで120日間を過ごしたんだろう。余命宣告されて、体調も精神も決して良い状態ではなかっただろうと推察する。でも、山本さん自身も「助かる見込みのない病人の救いのないテキスト誰が読むんだ」と疑問に思いながらも、最後の出版をかなえるために日記を書き続けた。その意欲がすごい。

で、なんでもいいんだけど、死ぬ間際まで何かしたいことを持っている人生って幸せだなと思った。純粋に自分が心から好きなことを人生最期までやるっていうのは素敵なことだ。

人生の終焉は残酷

最近、余命宣告をされたり、病気で死に近づいた人の本を読み漁っている。山本さんの日記を読んで思ったのは、人生の終焉とは残酷だということ。つい、この前まで元気だったのに、急に病気を告知され、あれよあれよと言う間に治療やら薬やら始まり、自分でも何がなんだか分からないうちに、死へのカウントダウンが始まる。

いや、本当は生きているだけで、確実に死に一歩ずつ近づいているはずなのに、それが意識される機会はあまりない。病気や事故で死に近づいた経験があるか、厳しい修行に励んで悟りを開いた貴徳な人でない限り、自分に残された時間の重みを日々感じながら生活することは難しい。

私だって、自分が病気になるまでは、死はぼんやりとした存在でしかなかった。自分は死なないと思っているわけじゃないけど、死は随分と先に待ち構えているライフイベントという認識しかなかった。

この病気を患って、死が余計にリアルに感じられるようになった。私の病気の5年生存率や10年生存率は悲観するほど低いものではないが、それでも阿呆なくらい毎日呑気に暮らしていた私は、容赦ない現実を突きつけられて狼狽えた。

そして、余命宣告を受けようが、病気になろうが、続いていくのも人生だ。

私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えることができる。だから今は安らかな気持ちだ・・・、余命を宣告されたら、そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。(中略)
そんな簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気持ちがする。

無人島のふたり、山本文緒

人は思い描いていた未来が叶わないと知った時、どんな気持ちになるのだろう。そして残酷な現実をどうやって受け入れるのだろう。山本さんの言葉にあるように、やはり簡単に割り切れるものではない気がする。

なんだか全然うまく感想が書けなかったが、気になる人は読んでみてください。

もう二度と彼女の新しい小説が読めなくなるのはとても悲しい。「無人島のふたり」を書いてくれてありがとう。

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