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中学生の私たちへ

私は制服改造をしない女の子だった。

学校指定のセーラー服を、そのまま着ていた。
胸ポケットに入れるハンカチを毎朝選ぶくらいで満足していた。
洗いざらしの真っ黒な髪のまま、ポニーテールや三つ編みで十分楽しめた。
いつもリボンを結んでくれる友達がいたから、いっこうに綺麗に結べるようにならなかった。

私は教育県・愛知でガチガチに校則で縛られて中学校時代を過ごしたけれど、校則ではあまり苦しまなかった。
読む本や友達と話すことで制約を受けたらとてもきつかっただろうけど、学校は私の外側しか管理してこないから、そんなの私の本質には関係ないと思っていた。

だけど、どんなに怒られてもスカートの丈を詰めたりパーマをかけたりして先生に叩かれてる女の子たちもいた。
勉強が嫌いで、先生を軽蔑してて、学校を憎んでて、おしゃれや恋愛に走るとがった女の子たち。
彼女たちは勉強ができなくて、男の子にモテた。
少なくともモテようとしていた。発情していた。

振り返ってみて、私と彼女たちの中にはそれぞれコンプレックスがあったんだなぁと思う。

私は当時、「外面ばかりこまこま気にして、スカート丈なんかにアイデンティティをかけてるなんて薄っぺらい。男の子の気を引くことばかり考えてるのが見え見えであさましい。私はたとえ坊主頭でもかまわない、どんな見かけでも私は私だわ」と本気で思っていた。
凛々しくて、誇り高い気分。
型にはめられたところで型崩れしない強固でしなやかな自我の自負があった。

それと同時に「彼女のタイの結び方、カッコイイな。スカート丈、脚のかたちに絶妙に合ってて可愛いな」とも思った。
男の子と甘い声で話し合ってるのは目障りで、つまりは羨ましかった。
だって私もとうの昔に発情していたのだ。
でもプライドが高くて自信がなかったから、チャレンジできなかった。
できない、のではなく、しない、のだと信じていたかったんだと思う。
心が命じるままに「可愛く」振る舞える子が羨ましかった。

私は自分の知性や感性についてはこれが私だと自信をもっていて、一方でルックスや在り方についてはまるで自信がなかった。
こんなにブスで可愛いげのない女の子じゃ、一生誰も愛してくれないかもしれない、と悩んでいた。
揺れるたんぽぽの可憐さに胸を打たれて涙ぐんでいたり、炎天下瀕死のできものだらけの猫を抱いて死を看取ったり、道に迷ったおばあさんを送り届けてあげて塾に行けなかったり、当時の私は今より心が綺麗でみずみずしくて、自分はそのことを知っているのに、クラスの男の子はスカート丈の短さや声の甘さしかみてなくて。
あたら優しい花が手の中で朽ちていくのを見ているような焦りがあった。

彼女たちは、「私たちは発情してるのよ」とアピールしていたんだから、男の子がそちらに引かれるのは当然だとも思う。
勉強がわからなくて、自信がなくて、外側のことで頭を埋めつくさないといても立ってもいられなかったんだろうなあ。

ああ、あの頃の私に会えるなら、言ってあげたいな。
大丈夫、この先あなたは素敵な男の人に可愛いねって抱きしめてもらえるようになるから。
だから安心していまは好きな本を読んで、友達のほうを向いていていいのよ。
可愛い女の子を許して、認めて、できる範囲で上手におやりなさい。
あなたは、いまあなたが想像してるよりはずっともてる。
でもそれは、あなたがその硬さを手放したあとのことなのよ。

そして、彼女たちにも言ってあげたい。
いまは丈を詰めると不良扱いされるけど、あなたは不良なんかじゃない。可愛くなりたいだけなんだよね。大丈夫、卒業しちゃえばマイクロミニだって穿き放題よ。
だからあなたの衝動を否定しないでもいいのよ。おしゃれが好きなのはいいことだわ。
でも発情してることはあんまりあからさまにしないほうがいいわ。やりたいだけの男の子と、あなたを好きな男の子の見分けがつきにくくなるから。男の子は選んで付き合いなさい。素敵な男の子に選ばれる女の子になりなさい。

(過去日記)

#中学生 #女の子 #校則 #制服 #おしゃれ

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