[留学は団体戦] 私たちはもっと広い世界を知らなければいけない

今日は、先日の以下の記事に引き続きと言いますか、また考えさせられる出来事があったのでそれに関して書き留めておきたいと思います。
(参考: 前回記事)
https://note.com/minaiyuki/n/n5ae0c4872719

私は、現在ニューヨーク大学神経科学センターのKiani研究室(https://www.cns.nyu.edu/kianilab/Home.html)に所属をしています。その中で、中国人の学部生二人と一緒に取り組んでいるプロジェクトがあるのですが、この話は、そのうちの一人の女子学生とたわいもない話をしていた時の出来事です。

まず前置として、私は、来年からアメリカの博士課程プログラムに進学ができるよう今冬に受験を予定しています。また、彼女も博士ではないのですが、アメリカの修士プログラムへの進学を希望しており、同じタイミングで受験を予定しています。アメリカの大学院受験は日本のようなテスト形式ではないので、何かの科目を徹底的に勉強するということはありません。ただし、エッセイが非常に重要な出願書類となるため、そのエッセイの作成に非常に長い時間がかかります(数ヶ月は余裕でかかります)。また、ほとんどの学生が10校近く出願をするため、その分、作成するエッセイの量も増え、時間もかかる作業です。この出願プロセスを、ただでさえ課題が多く忙しすぎるアメリカの授業をこなしながら、さらに卒業研究を着実に進めながら乗り切るというのはなかなかの地獄でして、私はこの10、11、12月は人生最大に忙しい月になると考えていました。

以下の会話は、そんな環境の中で、彼女と研究に関するMTGの前にほんの数十秒話したものです。

私:今授業はどんな感じ?学部生は授業の数も多いから、研究を進めるための時間作るの大変でしょ?

彼女:すごい忙しい。毎週のように何かしらテストがあるから休む間が全くない。

私:そうだよねー。。。しかも私たちはこの冬受験もあるからさらに余裕ないよね。私はこの10月から12月の間はどのくらい忙しくなるのか想像もできない。。。(汗)

彼女:それに関しては実はそうでもない(笑) 受験に関しては、全部エージェントに任せてあるから、私は特に何もしない!

私:えっ!そうなの!?ちなみにそのエージェントを使う費用はいくら。。。?

彼女:んーー、多分80万円くらい。(笑)

私:おっおおおう。。なるほど。高いね。

彼女:でも、指定されたいくつかのトップ大学、例えばMITとかハーバードとかイェールとかに入れば、半額が返金される仕組みになってる。

私:あああー、なるほど。。。


と、まあこのような会話だった訳です。この出来事の何が私にとってショックだったかというと、今の世界は、真面目に目の前のことに取り組むことが、必ずしも成功に直結しない世界なのではないかと気づかされたためです。

もちろん、日本にもエッセイを代理で書いてくれるサービスは存在しています。80万円までとは言わなくとも、高いお金を払えばそのようなサービスを利用することは可能でしょう。しかし、私がここで脅威に感じたのは、中国がこの留学市場で持っている巨大なエコシステムです。彼らは、毎年何万何十万の留学生を多くの分野で世界最先端の研究を進めるアメリカに送り込んでいます。彼らは、それだけの人数を送り込み、またそこに人を送り込む術をどんどん蓄積しているのです。結果的に、そこに送り込んだ学生は、中国に新しい技術を持ち帰り、国はさらに繁栄し、留学を選択肢として検討することができる人が増え、そして、受験を突破するためのノウハウもさらに蓄積され、より効率的に学生を送り込むことができるようになる。。。このようなサイクルが、日本とは比べものにならない規模・早さで回っています。

しかし、私が博士課程に進学するためには、そのような中国人留学生を何かしらの形で上回らないといけないのです。そのために私はどう戦おうとしているか?私は高額なエッセイの代理作成サービスを使う金銭的余裕はないので、あくまで個人戦で戦おうとしています。強いて言えば、留学を経験したことがある知人数名に力を借りながら戦おうとしています。

もちろん受験は結果をみてみないとわからないので、現時点ではなんとも言えません。ただ、彼女からそのような話を聞き、自身の環境を振り返った時、私がどれだけ寝ずにエッセイを書こうと、どれだけ必死に研究・勉強をしようと、中国全体として培ってきた力の前に、スタートの段階から大きな差をつけられているのではないかと感じたのです。

私は、思いました。こんなの間違っていると。一生懸命やった人が報われずに、特に多くの努力をしていない学生が留学機会を得ることができるなんて悔しすぎると思いました。

しかし、これが現実なのだと思います。以前の記事にも書いた通り、留学は個人戦ではなく団体戦というのが私が感じていることです。受験だけに限らず、入学してからも、将来の研究機会を得るのも、何もかも団体戦なのです。国としてノウハウを蓄え、国として資金を蓄え、国として人材を育てる。今のグローバル社会において、世界は個人がどれだけ足掻こうと抵抗できないようなもっと大きな流れによって動いているのではないかとそう感じました。

私は、努力こそが美学であり、努力は必ず報われると信じてこれまで進んできた人間です。誰よりも努力をすることで道を切り拓くのだと信じ進んできました。しかし、今の世界の仕組みでは、そのような努力は必ずしも報われないのかもしれません。

では、その彼女は受験においてズルをしているのか。決してそうではないと思っています。彼女たちが今そのような有利な状況に立てているのは、彼女たちの親の世代やまたその親の世代が必死に働き、基盤を作り、エコシステムを広げていったためです。現在の利益は、過去の誰かの努力によって成し遂げられているということだと思います。恐らく何十年前の日本はそのような社会だったのでしょう。しかし、今、またこれから先の未来ではどうなのでしょうか。私は少なくとも、留学をしている中でグローバルな環境における日本の存在感の無さに大きな危機感を覚えています。

非常にまとまりのない文章で恐縮なのですが、私が言いたいことは、努力だけでは解決できない社会の大きな流れの上に私たちは生きているのではないかということです。そのような流れを知ることなく、自分の見える範囲の物事に対して一生懸命努力をするだけで私たちは本当に良いのか?
このようなことを考えさせられる出来事でした。

以上です。

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