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【エッセイ】パセリの森と咲かないバラ

これは我が家の地味な畑観察日記である。

昨年の秋に引っ越しをした。新しい家は築50年の昭和感が漂う平屋。交通の便は悪いが、縁側と庭があるところが気に入って急いで契約を決めた。憧れの平屋にやっと住める。
怠惰で雑な性格の反動からか、丁寧な暮らしなるものに仄かな憧れを抱いていた私は新居の庭にささやかな畑をつくった。秋にせっせと土を耕し、ホームセンターで野菜やハーブの苗を買って、心ときめかせながら植えた。しかし冬がきて、早速飽きてしまった。
パセリはすぐに枯れ、バジルも萎びてしまった。夏野菜だから当たり前なのだが、せっかく植えたのにすぐに元気をなくした植物たちを見ると、まるで自分が死なせてしまったような罪悪感に苛まれ、いよいよやる気をなくした。
外は寒い。庭に出る気も起きない。そんなこんなで冬の期間は畑の存在を見て見ぬフリをして過ごした。

そんな矢先に春が来た。何気なく庭を見ると鮮やかなチューリップが咲いていた。そうだ、チューリップを植えたんだった。すっかり忘れていたが、秋に球根を植えていたんだっけ。水やりも雨に任せきりで完全に育児放棄をしていたのに、チューリップたちは赤白黄色と一斉に花を咲かせてくれた。「あんたが忘れてても俺たちは生きてるぜ!」チューリップたちのビビッドな色彩は、なんだか強くてかっこよかった。
そんなたくましい花の芽吹きが、私に春の訪れを教えてくれた。
半径5メートルの世界に、こんなに季節が溢れている。もっと空を見て、足元の草や花を見よう。家でスマホばかり見ている場合じゃない。

そうこうしているうちに、全滅していたパセリが森のように増殖した。枯れたまま放置していたのに、勝手に復活したのである。バジルもディルも復活。サンチュもトマトも復活。
突然豊かになった畑の姿に慌てた私は、畑を生業としている友人を助っ人として呼んだ。
サンチュは下から摘む、バジルは脇芽を残してカットする、ディルは花は極力咲かせず摘芯する。完全に無知のまま畑を始めたことを反省しつつ、彼女の教えを頭に叩き込んだ。
普段から野菜や土に触れている彼女は、ひとつひとつの葉を触る手が優しかった。
雑草を抜こうとしていると、腕にチクっと痛みが走った。いつの間にか、見知らぬ植物が伸びている。なんだろうと首を傾げていると「これ、バラだね」と友人が言った。
おそらく前の住人が植えたのだろう。よくよく見ると濃いピンクの小さな蕾が、下の方に隠れている。それにしてもバラの棘というのは、想像以上に鋭い。少し触れるだけで、ちゃんと傷つく。棘が刺さった腕の傷をさすりながら、星の王子様のワガママなバラの話を思い出したりした。

我ながら現金だと思うが、完全にやる気を持ち直した私は毎日畑を見るのが楽しみになった。
どんどん増え続けるパセリを大量に収穫し、長谷川あかりさんのレシピからパセリをメインとしたキヌアサラダを作ってみた。これが清涼感があって、とっても美味しい。ハーブをモリモリ食べる食事は、なんともワイルドで良いものだ。トマトを使った料理にはディルやバジルをふんだんに使えるし、サムギョプサルのサンチュは食べ放題。
え、畑って最高じゃない? 自分の庭から詰んだ野菜をそのまま台所に持ってくる。たったこれだけで毎日の生活が少しずつ楽しくなり、この小さな幸せが私の料理熱に火をつけ、結果として食生活が豊かになった。

しかし、どんどん元気になる野菜たちとは対照的に、例のバラは結局咲かずじまいであった。鋭い棘だけを張り巡らせて、豪華な花は一向に咲く気配を見せない。2つほどあった小さな蕾も、雨で地面に落ちてしまっていた。

「きみのバラが、きみにとってかけがえのないものになったのは、きみがバラのために費やした時間のためなんだ。人間は、このたいせつなことを忘れているんだよ。尽くしたものに対しては、いつまでも責任があるんだ。守らなきゃいけなんだよ。」

星の王子様のキツネはこう言っていた。本当にその通りだ。バラが花を咲かせてくれないのは当然のことである。「まだあんたには早いわ」そんな声が聞こえてきそうな、棘だらけの茎が今日もまっすぐに伸びている。



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