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#08 #LLVR [a Like Love within a Virtual Realm]

「こんばんはー」
 外界に降っている雨の音が微かに聴こえる閉じた雨音の中、ポーンという入室音と共に聞こえた声は、中性的な、男女どちらとも捉えられるくらいの音程が似合う、中性的なアバターの持ち主だった。
「ナナさん」
「こんばんは~」
 カトルさんは俺の尻尾をもふもふしながら酔ったふにゃふにゃした声で挨拶をした。この様子を見て、ナナさんはおや、と首を傾げる。ピンク色のショートヘアが揺れ、緑色の瞳が光った。
「リュウさんがそんな距離近いなんて珍しい」
「酔っぱらってらっしゃるので……」
「へぇ?」
 酔っぱらっていることを口実に距離が近いのを拒否していない、そう捉えられたようだった。別に構わない。半分事実であるので。
「どうしたんですか。こんな夜中に」
「明日午前中何もないからさ。夜ふかし」
 よいしょ、と彼女は男性アバターなのをいいことにフルトラであぐらをかいて座った。カトルさんは半分寝転がった状態で首をナナさんの方に向けた。
「リュウくんのともだち?」
「はい。ナナっていいます」
「んー? 失礼だけど、性別は?」
「女でーす」
 ぶい、とナナさんはピースサインをした。ニカッとした笑顔になったので、カトルさんもピースサインでニカッとした笑顔を返した。
「どうもー男でーす」
「え、男性⁉」
「ボイチェン技術には定評がありまーす」
 いえーいとカトルさんは俺の尻尾から手を放して両手でピースを作った。
「すごいですね……ここまでクオリティの高い人には初めて会ったかも……」
「やったぁリュウくん褒められちゃったぁ」
「……実際、かわいいと思いますよ」
「へへーありがとー」
 素直な気持ちを伝えると、カトルさんはふたたび俺の尻尾をもふりはじめた。
「なるほど。それでもふられてるのか」
 ナナさんの中で何やら納得がいったらしい。確かに性別が女性であれば念のため距離を取っている自分が、女性かもしれない人に尻尾を触らせているのは些か誤解を生む状況だろう。

「いやー聞いてよリュウさんまたふられちゃってさー」
「またですか」
「またなんですよ」
 彼女は恋多き人だ。といってもそれらはバリス限定の、軽い付き合い、らしい。本人談なので相手がどうなのかはわからないが。
「なんでかなー。別にかわいい子がいたらかわいいって言ったっていいじゃんね?」
「他にも原因があるのでは」
「リアルの生活優先してること? リアルの生活安定させなきゃ思いきりバリス楽しめないじゃん?」
 至極真っ当だ。ただ何故かナナさんが選ぶ相手というのが重めの方が多いだけで。
「好みの問題とか」
「えーだってしょうがないじゃん。恋に一生懸命な子ってかわいいんだから」
「そういうものですか」
「そういうものですよ?」
 わかってないなぁと彼女は腕を組む。
「僕に好きって好意を一生懸命伝えてくれて、一生懸命僕に好かれようと頑張ってくれてるんだよ? そりゃあかわいいよね」
「でもその見返りが少ないと見積もられてふられると」
「そうなんだよー」
 ナナさんはハンドサインで困った表情に変えた。
「僕は僕なりに好きだって伝えてるんだよ? でもさすがに次の日一コマ目から講義だったら夜ふかしできないじゃん? それに他の子にかわいいって言った後ちゃんと君がいちばんかわいいよってフォロー入れてるんだよ?」
「そもそもかわいいという言葉を自分以外に使われたくないのでは」
「まあそういうことなんだろうねー」
 ナナさんは女性だがバリス上では女性と付き合うことが多いようだ。実際バリスではリアルよりも異性同性関係なく恋愛をしている人が多いように見える。
「ねー誰かいい人いない? 僕恋愛してないと死んじゃうんだよね」
「死にません」
「寂しくて死んじゃうよー」
 うあーんとナナさんは泣き真似をしながら天井を仰いだ。
「んー……ナナさんって女の子好きなの?」
 大分眠そうな声でカトルさんが訊いた。
「どっちも好きですよー」
「へぇ……うーん……」
「どうしたんですか」
 もふる手を止めたカトルさんの方を向く。
「スリーっているでしょ。あの子ずっと叶わない恋しててさ。本気じゃなくていいから別の恋愛したら、少しは楽になったりしないかなって」
「ああ」
 紫色を基調としたアバターの女の子のことか、と思い出す。あまり話したことはないが、たまに何か思いつめたような雰囲気をしていた記憶がある。
「別に恋愛じゃなくてもいいっすよ。恋多き女の子を応援するのも好きなので」
 ナナさんは人差し指を立てゆらゆら揺らした。
「応援、ね……まあ、機会があったら、ね」
 ふわぁ、とカトルさんは欠伸をして、そろそろ寝るね、と言って俺から離れた。
「リュウくん来てくれてありがと。また話そーね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみー」
 カトルさんは俺とナナさんに律儀に手を振ってから、バリスから落ちた。
「ねね、スリーってどんな子」
 ナナさんがぐいっと体を寄せてきたので、反射的に距離を取ってしまった。ナナさんは気にしてないようで、俺はそのままの距離で会話を続けた。
「俺もあまり話したことはなくて」
「そっかぁ」
 んー、とナナさんは首を傾げた。
「どうしたんです」
「ただの女の子好きに見られちゃったかなって」
「違うんですか」
「違うつもりなんだけどなー」
 自分じゃわかんないね、とナナさんは溜め息をついた。
「ていうかそう言うってことはリュウさんはそう思ってたってことじゃん」
「……ええ、まあ」
「うーん好きな人に好きって言ってるだけなんだけどなぁ。それがダメなのかなぁ」
「次に移るのが早すぎるのでは」
「だって僕のこと好きじゃないって言った子に付きまとったらそれはストーカーじゃん。相互関係で成り立つものでしょ恋愛って」
 至極真っ当なことを言っている。言っているはずなのに、何かズレている気がする。
「本気じゃないから、とか」
「本気かぁ……リアルで付き合うってのが本気なら確かに本気じゃないけど、でもそれって責任が大きいじゃん? そうじゃなくてもいいって子と付き合ってるんだけど、最終的にはリアルでも会いたいって言われるんだよねぇ」
 なんでかなぁ、とナナさんは二度目の溜め息をつく。
「責任逃れに見えちゃうのかなぁやっぱり。僕はまだ学生だし、そんな大きい責任持てないからってことで、ネットだけの恋愛ってのを楽しみたいんだけどなぁ」
 難しいや、と言いながらナナさんは伸びをした。
「リュウさんは好きな人いないの?」
「……今のところは」
「そっかぁ。リュウさん硬そうだもんねぇ」
 硬そう、硬派、とはよく言われる。実際話すのが少々苦手だからそう見えているだけで、自分はそこまで硬派ではない、と思う。
「別に、そういうつもりはない……ですけど」
「そうー? まあ僕が軽いつもりがないのと同じかもねぇ。自分はそうじゃないと思ってても、他人から見たらそう見えてる、みたいなね」
 確かにそうかもしれない。自認と他者からの認識は異なるものだ。
「他の子の恋愛の価値観とかもっと知るべきなのかもなぁ……リュウさんはさ、どう?」
「どう、とは」
「恋愛について」
 そう急に聞かれても困る。俺は少しばかり考えてから、口を開いた。
「互いを尊重すること、ですかね」
「尊重」
「尊重」
 ナナさんはそんちょう、と呟いて顎に手を当て考え込んでしまった。
「うーん……してないつもりはないんだけどなぁ……」
「ナナさんの思う尊重、って、なんですか」
「ええと、互いのやりたいことをやる、とか?」
「他には」
「他にはー? ええーなんだろ。リュウさんは? 何を尊重するの?」
「互いの想い、とか」
「想い?」
 自分で言っておいてきちんと説明を用意しておらず、また俺は少し考えた。
「――好き、という気持ちもそうだし、例えば食べ物の好き嫌いを、嫌いなものを否定しないで相手はそういう人なのだと受け入れるとか、嫌いという感情もちゃんとあることを認識する、というか……」
「なるほど。確かに嫌いってことを否定しないのは大事だね」
 うんうんとナナさんは頷いた。
「そういうこともしてるつもり、なんだけど……やっぱりなにか足りないのかなぁ」
「……さあ、俺には、わかりかねます」
「だよねぇ。むずかしーなー恋愛は!」
 ナナさんは仰向けで大の字に寝転がった。
「あ~~~~幸せになりたいねぇ~~~~」
「……そうですね」
 何もない天井を見上げて、俺はナナさんに同意した。静かになったVRヘッドセットの向こうから、いつの間に降りだしたのか雨が降っていて、電子的な環境音ではない雨音が静かに響いていた。

No.8

好き。大好き。愛してる。嫌い。大嫌い。
これらの言葉に含まれる意味は、理由は、感情は、想いは、人によってバラバラだ。だからひとつの尺度では測りえない。基準がない曖昧なもの。
いや。
人間の感情なんて、すべてそういうものだ。
曖昧なもの。そこに在る人の性。そこに混じる人の欲。仮初の姿になってまで尽きないもの。
所詮ここも現実だ。
だから、ここで抱く感情は全て、真実だ。
抱いているのが人間なら、それは真実で、真相で、深層だ。
好き、とか。嫌い、とか。
仮初の現実で、だからこそ距離感の取り方がわからなくなった人なら、殊更。
現実で満たせないものを、ここで満たそうとしているなら、猶更。
不思議だ、と、思う。
人というのは、どうしても、自分には掴みかねる、ものだ。

絵:深水渉(https://x.com/wataru_fukamizu)

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