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反省なんてしなくていい。自分を責めない本当の反省の仕方。

初めまして、うみこと言います。(←追記:現在、名前を水那田ねこに変えています。)

これから、このnoteに〝自己肯定感の低い繊細な人が生きやすくなるヒント〟を備忘録の意味も込めて書いていこうと思います。

今回は私が長年色々経験をして、やっと最近正しい意味を習得した反省についてのメモです。  

「反省」の本当の意味。

「反省の色を見せなさい」
「しっかり反省しなさい」
「もっと反省が必要」

普通、これらの言葉を聞いたら何をイメージするでしょう?

しゅん……と下を向き落ち込んでる人のイメージでしょうか? 多かれ少なかれ皆が、おそらく元気のしぼんだ後悔だらけの気分になってる人を思い浮かべるのではないでしょうか。そして自分も反省を促される場面で実際そうなっているかもしれません。

しかし、「反省」には他人に問題点を指摘されたり叱られたりすることがつきものだからといって、落ち込んだり自分を責めたりすることまで本当に必要でしょうか? 「反省」の意味とは、そもそもどういうものでしょう。

反省(はんせい、: self-reflection)は、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。中心的な考えである自分の過ちを認めることと改善を誓約する意味、文化。
引用:Wikipedia

このような意味を考えると、本当の反省とは、

1. 自分の間違いを認める。
2. 改善策を探し実行に移す。
3. 失敗を繰り返さないよう決意する。

このステップを踏むこと、と言い換えることができるはずです。

このように、反省の意味には、自分を責めること落ち込むこと、そんな意味の言葉は少しも含まれていません。

それでも世間では、しょぼんとした表情をしていないと反省の色が見えないとか、もっと反省してください、などと言われてしまうことが多々ありますよね。つまり、態度がしょんぼりと落ち込んだものでないと「反省」が出来ていないというのです。  

反省なんてしなくていい、の意味。

そこで言いたいのがこれ。

このような、世間のイメージに固められた意味での「反省」は、まったく必要ありません。いえ、しないでください。してはいけません!!

なぜしてはいけないのでしょう?

それは、むやみに落ち込んだり自分を責めるのは無駄だからです。無駄な上に、行動の改善において妨げにすらなります。

とはいっても、自己肯定感の低い人はつい、自分のしたミスや失敗を何度も頭の中で思い描き「ああ、自分ってダメな人間だな……」と気持ちが沈んだり、上司の期待に添えられなかったことを悔やんだり、申し訳なく思ってしまったり、そんなことばかり繰り返し考えて深みにハマってしまうかもしれませんよね。私は大体いつもそうでした。

そこで、まずは、なぜ自分を責める必要がないのか? を考えてみたいと思います。  

なぜ自分を責めなくていいのか?

ここで、自分を責めなくていい理由をしっかり頭に叩き込みたいと思います。

1・ミスや失敗は誰にでもある

とんでもないことをやってしまったとか、自分は特別ダメな人間だなんて思ってしまいがちですよね。しかし、じつはそれ人間なら当然の成り行きなのです。

失敗のない完璧な人間なんていません。ならば、誰にでも起きる〝失敗〟という経験がたまたま今自分に起きているだけなわけですから、そんなありふれた物事にいちいち深く心を動かされて付き合う必要はないのです。心を責めなくても、頭で問題点をしっかり把握したなら、それで事足りるではありませんか。

2・自分の価値が下がるわけではない

新札の1万円札を手で握ってくしゃくしゃにしたり、シミをつけたり、少し破ったりして〝ダメな〟1万円札にしてみてください。そうすると汚れたり傷のついたダメな1万円札の値打ちは下がるでしょうか? そんなことはありません。1万円札の価値は同じ1万円です。

それと同じように、自分の価値が失敗という汚れや傷によって下がるわけではないのです。

自分の本当の価値を知っている誰かを想像してみてください。その人が母親でも友達でも自分自身であっても、その人が想ってくれる自分を想像に描きましょう。そこに描かれたポジティブなイメージ、それが本当の自分であることに何の変わりもありません。

失敗という汚れや傷は誰にだって付いています。だから、その程度で自分を落ち込ませる必要はまったくないのです。凹まなくても反省は充分にできます!

3・価値ある経験ができたとみなす

自分を責めたり落ち込んでる暇があるなら、今回の経験を生かして今後何ができるか? 自分はこの失敗によって何を学び今後の行動に活かしていけるか? を考えた方がずっといいです。

何事も経験です。失敗して叱られた、ミスして反省した、そんな経験のない人よりも経験のある人の方が人として深みがあるものです。より豊かな人生を送ることができます。

また、他人にアドバイスしてあげることだってできますよ。「失敗して反省する時は物事をこういうふうに考えていくといいよ」と誰かに優しく教えてあげている自分を早速想像してみる、そんなことに時間を使いませんか。

4・自分を責めないことは罪じゃない

これはとても大事です。落ち込みがちな人は大抵、どこか心の中で自分を責めてしまう自分の謙虚さを無意識の中で誇りにしたり正当化したりしてしまっていると思うのです。

自分を責めない、落ち込まない、そんな人間は不真面目で悪い人間だと、さげすむ気持ちが少なからずあったりするものです。

しかし、本当にそうでしょうか?
もう一度「反省」の本当の意味を考えてみましょう。

1. 指摘された問題点を把握する。
2. 改善策を見つたら行動に移す。
3. 繰り返さないよう決意する。

これができたなら、本来他の余計なものは何も要らないはずなんです。

気持ちを凹ませて『自分は良識ある謙虚な人間だ気分』に浸り満足するのではなく、ただ淡々と失敗をバネにして成長する実際的で有用な人になりたいですよね。いえ、本当はそうなることこそ大事なことなはずです。  

落ち込む暇があるなら、改善に頭を使おう。

失敗やミスをしてしまった時、人のいいあなたはたくさん反省をすることでしょう。でもそれは、自分を責めたり、落ち込んだりしなくても「できる」ことなんですよ。そのことにぜひ気づいてください。

日本人は特に、自分の至らなさを認める謙虚さや、相手に対して腰の低い態度、そんなものを重視して他人にもそれを求める文化の中で生活していますよね。

だから私も自然と自分を責める癖を持っていました。失敗したら、ほらきた、とばかりに自分を責めました。しかし人生何十年目にしてやっと気づいたのですよね。

先日、上司からものすごい仕事上のお叱りを受けてしまった時、即座に「悪かった点を改善しよう!」という気持ちになったのですが、それと同時にハッと気づいたのです。
確かに失敗はした。でも、もしここで落ち込まずに(つまり心を置き去りにして)行動だけ改善に移していっても悪くないんじゃないか? それを繰り返さないなら何の問題ないんじゃない? と。初めて感情と思考が分離した経験でした(笑)

むやみに落ち込まずに、反省すべき問題点をしっかり把握することに頭を使う方が賢いんだと、やっと気づけたのですね。

人生とは、与えられた時間をどう使うか、という一つの課題でもあると思います。

自分の人生の主人公は自分なのだから、いつでもどこでも自分の気分は自分が決める! と決意しておけば、かなりの場面でムダに落ち込まなくてすみます。

私はこれまで、ものすごく傷つきやすい人間でしたがこういう考え方を取り入れた結果、仕事や友人関係など社会生活がかなり楽になりました。なので、もしあなたがまだこのような考え方に辿りついていないなら、早速今日から取り入れてみてくださいね!

まとめ

世間が考える意味での「反省」はしなくていい。

なぜなら、反省とは、①自分が起こした問題点を把握し、②改善策を行動に移し、③失敗を繰り返さないよう決意する、ことに他ならないから。

少しも自分の心を責めたり落ち込んだりする必要はない。

なぜなら、それは①誰にでもよくあること、②失敗しても自分の価値は変わらない、③自分を高める経験になるだけだけ、④落ち込まないのは全然悪いことじゃない、からです。

読んでくださってありがとうございました。

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