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あなたは具体派? 抽象派? 診断テスト付き─私なりの自己理解

こんにちは、水那田です。
今回は予定からそれて、具体派思考と抽象派思考の違いというテーマについて書きたいと思います。
これは、私にとっては自分の特徴を知る上での一つの到達点であり、本から得た理解の自分なりのまとめでもあり、ある意味ただの独り言でもあります。独り言にしては9,000文字を超えてしまいましたが(笑) 深い内容になっているはずなので興味のある方はお付き合いください‪^ ^‬

コミュニケーションギャップの原因

過去にもパラダイムシフトを起こしてくれたいくつかの衝撃的な本に出会ってきたのですが、人の知性の構造(知能の仕組み)を、脳科学や心理学からは切り離した観点から解明、解説してくれる本として『抽象↑↓具体トレーニング』著:細谷功 があまりに秀逸だったのです。素晴らしすぎて叫びたいほどです。一応ビジネス本らしいですが枠を超えてますね。

『世の中で起きているコミュニケーションギャップって大体こういうことなんだけどなぁ。みんなこの方向のことはあまり話題にしないよなぁ』と個人的にぼんやり考えていたことがあります。それの実体を、この本は見事に言語化してくれていました。しかも体系的にまとめあげ、明快な図を添えて、わかりやすく解説してくれるというとんでもないことをしてくれていたのです。そりゃあもう衝撃です。
そして、この本の内容はそのまま、私自身が他の人と相容れないものを感じる理由そのものでした。今までHSPとかINFP(INTP)とか理想型とかパーソナリティーの違いとして色々な要素を見つけてきましたが、最も大きな違いである『何か』に深く関わっているのがこれだと確信しました。

というわけで、今回のnote。
前半は、少々個人的な経験を交えつつ人間の知能の仕組みの本質は『抽象と具体を行き来する』ことにあるという説明を私なりの言葉でしてみます。その中で抽象派と具体派の特徴と違いにざっくり触れます。わかりやすくするため頑張ってたくさん画像(図)を作ってみました。後半では、あなたが実際にどちらの派なのかテストできるようになっています。といってもこれは私のオリジナルの解説付き診断テストです(笑)

ちなみに……
ここでいう『抽象』とは、抽象画のような曖昧なイメージのことを指すのでなく、また左脳派右脳派の右脳の特徴のことをいうのでもなく、感情や印象といった形にしづらい感覚のことを指すのでもありません。物事を俯瞰目線で捉え本質を見極める力、メタ思考や論理力、高次元の概念などを指す『抽象』のことです。

『抽象と具体の往復力』こそが『考える力の本質』である

……だとは思っていました。なぜかというとこれ、そのまま『国語力』とは何か? の説明だからです(文章アドバイスの仕事をしてきたのもあり文章力の本質について考える機会が多いです)。国語力とは文章を読み解きできる力であり、その読解力は人と関わる時に用いる能力=コミュ力の根底にある力のことだと常々思っていて、人間の特性『考える』のベースとなる力がここにあると思っていたのです。心理学的にいうと「メンタライズ」や「メタ認知」ですかね。

往復力:
往還、行き来する力、両方へ動く能力、橋渡しができること

高く広い次元へ向かう抽象と細かい事実を見る具体

まずは私なりにこの「力」の本質に迫ってみます。そして自分は抽象派なのか? 具体派なのか? とあえて二極化してみることで違いを明らかにする試みもしています。なんか面白そうだな、と思ったあなたはかなりの抽象派タイプなのかもしれませんね‪。

個性の徹底的な隔たり「抽象派思考」と「具体派思考」

先回、MBTIにおける「N(直感)型」と「S(感覚)型」の話を書きました。

私は自分が超N型人間(抽象概念を掴むのが得意で想像力が豊かなタイプ)だとまではわかっていました。そしてnote記事の後ろの方でこう書きました。世の中の仕組みはS型を基盤に作られている─この事実はS型にはピンとこないだろうがN型ならピンと来るはず、と。S型にはこのことはあまり見えていないけどN型の方からはそれがよく見えているということを。
また、HSS型HSPやマルチポテンシャライトの特徴がギフテッドの性格的特徴(過度激動=OE)と似通っていることの不思議にも、どうやらこの『抽象的思考』が関わっているのでは? と疑っていたこと。
そして、自己理解、性格分析などを通して得たいと願ってきた『自分の脳の仕組みの特徴』がどうもこの辺にあるらしいということ。
こうした、これまでわかってはいたけど上手く言葉にできなかった物事が、本を読んですべてひと所にストンと落ちた感じです。つまり、人間同士を隔てている「大きな壁」のようなものをはっきり認識でき、それを言語化できるまでに至りました。

抽象↑↓具体の往復

これは、知識を増やしていくという横軸の、学力、知力、数値で測れる頭の良さなどとは違い、理解を深めていくという縦軸の、数値で測れない思考力のことなのですね。この縦軸の縦のライン(↑↓)は、目で見えないわかりづらい概念を扱うのが抽象つまり高次元であるため上になり、目で確認できるわかりやすい物事が具体なので下になります。何かの問題解決をするためには、この上と下を自在に行き来して原因や方法を見つけ出す必要があるのです。
噛み合わない会話や、互いに分かり合えない、の根底にあるものがこの横と縦の隔たりです。

わかりやすい知の指標(横)と、わかりづらい知の仕組み(縦)

私の場合は、この縦軸の力がかなり強く働くみたいです。何しろ世の多くの人と違い、幼少期のひどく荒れまくった家庭環境のせいでろくな教育を得られませんでしたからね。落ち着いて勉強できる時間と空間がなかっただけでなく、HSP(繊細気質)なのに暴力問題と向き合うという過酷な試練を乗り越えるため幼少期から青年期までのエネルギーをすべてそこへ使い果たしてきたのです。悲しいですが横軸の「学力」や「学歴」などとは縁遠い人生となりました。個人的に本を読み多くの知識と経験を経ることで知力を養ってくるしかありませんでした。つまり知性に関して世間的にわかりやすい指標となるものを何も持っていない恥ずかしい人間です^^;
そのせいもあり(?)、いやそれでも(?)、この縦軸の頂点側へ向かう思考がもともと強く、興味関心の方向性において他者との違いをとにかくこの辺でよく感じてしまうのです。これは強い孤独を感じるレベルなのですが、それについてはまた別の記事にしてみます。

違和感の正体は世の中の具体派思考だった

あの人がどうしたこうした、こんなことが起きた、誰が何を言った、などの身の回り話や世間話、噂話や芸能人の話、世界や地元のニュース、実体のある物事を話題にした会話。こんなものが延々と続く状況を一向に面白いと思えなかったり……。
身の回りにある出来事、会社や家庭で起きるすれ違い、人間関係の悩み、それらに悩んでいる人々の輪の中に入って延々と共感し合ったり、励まし合ったり、慰め合ったり、こうした構図にもすごくモヤモヤしたり……。
「こう思う、ああ思う」「こうすべき、ああすべき」と感情論や精神論で片付けてしまっている会話への違和感だったり……。またもっと具体的な事例としては、物語への感想を誰かと述べ合うとき、出来事や人物の動きばかりを話すことへの不満感だったり……。(表面に現れている事象より、背後に隠れているテーマ、論理、普遍性、本質のようなものについて語りたいという強い欲求がある。)
大抵の場面で人との違いを感じる部分、馴染めないと感じる部分、同じ気質を持つ人たちのネット上での会話を覗いた時にすら感じる「ついていけない感」。全部こういうことだったのです。

何かを話すとき、ほとんどの人は抽象的概念を混えず、具体的事象のみで語っている。

話すこと、話したいこと、の違い

例えば、日常における悩み事という具体的な事柄の問題解決をするとき。

①具体現象に対し、一旦抽象度を上げてメタから見てみる。これはメタ認知、メタ思考という『物事を俯瞰して客観的に捉える力』のことです。(後の図参照)

②そもそもの理由『why』を考える。なぜ問題が起きてしまうのか背後にある理由を考える。
また、法則性や類似性などを分析してみる。これは、同じ抽象レベルの世界で既に存在する答えを引っ張り出してくること。例えば失敗という悩みなら挫折や困難などのカテゴリで探す。……なぜこれができるかというと、人類の悩みはいつの時代も変わらず、哲学者など賢い先人たちがすでに答えを出してくれているからです。そしてそれを名言や短い一文にまとめてくれています。この工程は類推(アナロジー)ですね。

この、同じ抽象レベルから答えを引き出す作業には必ず頭の中で〝一旦物事を高い位置から俯瞰してみる〟ことが必要になります。そこで得る理解は広く高い次元の内容なので、個人の日常生活の話にするために……

③今度は、それを生活にどう活かすかの『How』を考える。つまり、広さや自由度をかなり下げて日常にある個別の具体的物事(事例)へと落とし込む。

……これをするのです。

具体派は、具体に対し同じ具体の事例を合わせてきますが、抽象化が好きな人はすぐに①のメタ思考へ発想が飛ぶので、①から③へ考えを巡らすのが得意な人が必然的に多いと思います。この、『抽象と具体を行き来する能力』のうち上方『抽象』↑へと向かう考え方を元から持っていたり知らずに培ってきたりしているのだと思います。

メタ思考を図にしてみるとこんな感じ。

具体的な現象を見る
メタで見ると様々な要素に気づくことができる

植え付けられてきた価値観に翻弄される

私たちは学校で幼い頃から知識を増やすための勉強をしてきました。学力、知力とは答えを出す能力のこと。言い換えると、答えの存在する世界が勉強であり、学力の高い人はこの『答え』をたくさん取得している人です。
ところが、学校教育というものは横軸である知識を増やす力を習得させてくれる反面、『考える』=『答えを出すこと』という図式を私たちに植え付けてしまいます。

しかし実際にはどうでしょう。この世の中の悩みって、答えが出ないことだらけではありませんか?
幼い頃から『問題には必ず答えがある』と刷り込まれてきたせいで、素直で思慮深い人たちは延々と答えを探そうと悩んでしまいます。また、人間関係という避けられない問題の中で、自分のとった態度や選んだ道が最適解かどうか、白黒つけて自分を納得させようと精神のエネルギーをほとんどそこへ注ぎ込むことを平気でしています。答えが存在する横軸でしか問題を扱っていないのです。

論争や諍いの原因はほぼこれ

具体的事柄は、個々の現象や個々のあり方であり、抽象化された一般論や平均的概念からは遠く、かつ類似がない自由度の低いものです。何かの答えを出す時にこの〝具体の世界〟でのみ話し合いをしてしまうと、互いに違いを感じてしまうだけなので、延々と「相違」という問題にぶち当たり埒があきません。

具体を抽象にしてまた具体に変換する。もしくは、抽象を具体にしてまた抽象へ戻す。このように抽象←→具体の往復をすること。これは、正解のない世界を知ってそれを認めることでもあります。答えそのものが大切なのでなく、考えることで道を切り開き、自分だけのゴールを自分で創り上げていくことに意味があると体感してみることでもあります。この辺りに気づいていない人がとても多いのかもしれません。

一般論や正論を人に押し付けたりステレオタイプやマジョリティ的観点からものを見がちになってしまう間違った抽象派は、同じような抽象派と答えのない論争を続けており、個々のあり方という超具体(=現実)を見ることをしません。曖昧に曖昧を返すことを続けています。
一方、物事の類似性や法則性という高次元の抽象(=本質)が見えない具体派は、具体の世界で起きる現象のみ引き合いに出して相違点に注意を向け、不毛な会話を続けています(その不毛さが楽しく誰も傷つけないのなら良いのですが)。

抽象派と具体派の相容れなさ

抽象派思考の人間からは、物事を具体のみで語る世界は、あまりに効率が悪く冗長なことに感じてしまいます。まどろっこしいのです。縦軸の思考をフル発揮で使えない会話や環境では知的刺激が得られないのですね。
例えば、これをかなり身近な生活上の事柄にして考えてみるとわかりやすいかもしれません。下の場面を見てください。

A:さあ、皆さん。ペンは引き出しの中へ入れて、本は本棚へ戻して、コップは戸棚へ入れて、机はたたんで倉庫へ持っていって置いて、黒板は消して、カーテンは閉めてください。それから……
B:はあ。要は「片付けてください」ってことですね?

このときのBの気持ちみたいな感じです。抽象の世界は、簡潔で要点をつく言葉を扱う世界なんですね。
一方、具体派思考の人間からすれば、抽象の世界のみで語られる言葉は掴みどころのない机上の空論に思えてしまいます。さっきと逆のケース。

A:あなたがたが今なすべきことは「片付け」です。
B:は? そんな当たり前のことわかってますよ。なにをどこへどう持っていけばよいのですか? もっと具体的に言ってくれないとわかりません。

このときのBの気持ちです。

抽象と具体の関係性は、このように善悪の話ではなく優劣の話でもありません。問題は、抽象のみで語る、具体のみで語る、にあります。抽象は高次元ではありますが、物事に線引きをして分類することを意味するため、抽象ならではの問題を抱えがちです。それは具体ゆえの問題よりさらに大きく不毛な論争を生み出し、問題解決を曖昧なモヤの中に隠してしまいかねません。これが、上の例のような日常生活でなく、政界や経済界のフィールドで起きるとどうなるでしょう。実際、政治家や組織のトップなどが言い逃れの余地を残すためにいつもこれ(具体を曖昧にする物言い)を多用していますよね。


さてここまで、知識の量や数値で測れる学力などの横軸と抽象と具体の往復力という知性の本質の縦軸があることを述べました。そしてざっくりと、縦軸の機能について私が個人的に理解したことをまとめてみました。このあと、あえてこれを二極化(キャラ化)することで、これを読んでいるあなたが普段どちら寄り思考なのか考える材料を提供してみたいと思います。

あなたは具体派? 抽象派?

解説をしながら進めますので長くなりますがお付き合いください。では、例題をあげます。

A子さんが、自分をB子さんと比べて落ち込んでいます。
「B子は、可愛くてスタイルよくて仕事もできて器用でとっても魅力的だ……って、C男くんが言ってたのよ。ああそのとおりだよなぁ、私ってほんとに魅力がないんだよなぁって思ったの」
あなたは心の中で『そんなこと全然ないのに!』と思っています。A子さんを元気づけるため、もっと自分に自信を持てるようなことを言ってあげたいと思いました。そこでA子さんの長所について語り始めます。

さて、あなたなら❶具体派と❷抽象派のどちらの切り口から話し始めますか?

※これはあくまで例題にすぎませんので、言葉尻を捉えず、そこにある方向性や特徴を捉えて比較してみてください。

具体派
「そんなことないよ。A子はB子に負けないくらい魅力的だって。例えばほら。A子の今日の洋服のセンス、とても個性的じゃない。派手な色味じゃないけどデザインがスッキリしてるからシンプルで印象的。どっちかというとスタンダードなデザインだけど、袖口の形とか細かい部分が変わってて、流行もしっかり取り入れてる。そういう小憎いチョイスをいつもさりげなくやれるA子はすごく素敵よ。いつもセンスが光ってる。それにA子って自分で言うよりずっと可愛いよ? ……だいたいね。洋服センスとかの話だけじゃなくて、A子はこの前C男くんが疲れていたときに誰より早く気づいてスッとお茶を出してあげてたじゃない。いつも気が利くし気配り名人なの。そういうところ誰から見てもものすごく魅力的だよ。C男くんだってそれに気づいてるって!」

ポイント:
A子がまだ気づいていない自分の長所を挙げて、気づかせてあげようとしています。見た目のことだけでなく、性格面にも注目してバランスよく受け応えしています。ただし、A子が気にしていた事柄「見た目の可愛さ、スタイル、仕事の能力、器用さ」といった具体的事柄に対し、同じく具体的な事柄「洋服センス」「自分が思うより可愛い」を返し、それより少し抽象度を上げた目に見えない特性「気配りの能力」を挙げています。
これの優れている点は、A子と同じ位置に立ち、同じ視点から考えて、A子が気づくべき他の魅力的な具体的要素を掬い上げていること。個人をよく見ているので、それらを魅力とする根拠にもかなり説得力があります。しかし欠点としては、A子の想像の範疇を超えていないかもしれません。新しい視野を開くには少し心許ない感じです。
これが次のケースではどうなるでしょう。両者の違いはどこにあるかに注目してみてください。

抽象派
「そんなことないよ。A子はB子に負けないくらい魅力的だって。そもそも人間の魅力って何? 考えてみて。それってどれだけ頑張っているかってことなんじゃないかな。例えばほら。映画を観ていて、何でもできて全てを持っている主人公が成功していくストーリーなんかつまらなくない? 見た目や能力の魅力なんて最初一瞬感じるだけ。それよりも、特別に目立たなくても何事にも諦めず一途に努力を続けていく主人公が、たくさん悩んで苦しんで、最後でやっと成功を手にするストーリーの方が、断然面白くて心を揺さぶられない? ずっと人に感動を与えるじゃない。つまり、人間の魅力の本質って、生まれ持った能力や見た目にあるんじゃなく、どれだけ苦難があってもくじけずに前向きに努力していく姿、その人が内面に秘めている直向きさや情熱や一途さにあるんじゃないかな……? これが魅力があるってことだと思うよ。そう考えると、悪いけど何でも持ってて何も努力しないB子より、素直で優しくていつだって頑張りやのA子の方がずっと人として魅力的だと私は思うな。C男くんだって本当はそこに気づいているはず!」

※比較して励ますのはよくないとか、そこはひとまず置いておいてください。論旨のみ汲み取っていただければと。

ポイント:
こちらは、そもそも論を出してきて魅力という言葉の『本質』に迫るという手法をとっています。つまり「スタイル、仕事の能力、器用さ」という具体的事柄を、一旦ぐぐぐっと高次元の抽象概念にまで引き揚げて、その抽象化された世界からこの「魅力」という言葉の意味を捉え直し、『一途さや直向きさといった特質こそが人々の心を揺さぶる』という人間一般における一つの法則性を見つけ出します。そしてその法則に一致する物事の例として映画の主人公の話を挙げます(類推)。そして、A子にピタッと当てはまるように努力家の一面を取り挙げて具体例にまで落とし込み、結論としてA子にはB子に負けない魅力がある、としています。

この、一旦抽象度を上げて考える癖、事実を俯瞰して捉えてみるやり方、これが❷の抽象派の考え方です。抽象派の人の口癖は「そもそも」、「本質」、「本当の意味で」、「いわば」、「要は」などでしょうか。わかりやすく言えば、この種の口癖を持っているかどうかでどちらのタイプなのかがわかると言えるのかもしれません。❷のタイプは、抽象概念というものが大好きですから、発言するときこれらの言葉を避けて通れないのです。

同じフィールドにある具体現象を比較する
具体現象を別のフィールドに当てはめる可能性を探る

抽象派の優れている点は、思いもよらない物事同士を繋げることで新たな閃きを得ることが多い、ということ。ここでは、身近な友人同士の話から人々に愛される映画の主人公のタイプの話へと繋がり、「魅力」という言葉のもっと奥にある意味を捉えることで新たな視点が得られたと思います。
一方問題点は、常に個々の要求に応じられるわけではない、ということ。例えば、B子が実は元々心の中で『でも私、洋服のセンスでは負けてないと思うんだけどな。それを認めてくれる人はいないのよね』という思いを持っていたとしたらどうでしょう。A子の話は途端に一般論みたいに聞こえてしまい的を外してしまいますよね。
抽象派思考は、言ってみれば物事の都合のいいところだけを切り取って概念化するので、個々の在り方や個人的な要求などにはピッタリ合わないことが往々にしてあります。具体派思考を持つ相手に対して閃きを与えられる反面、具体性の欠如した役立たずの正論に陥るケースも多いわけです。
ですから一番好ましいのは、❶と❷を相手に合わせて使い分けたり、配分よく提示することです。これができると最強なのですね。

ここで、両者には大きな違いが存在します。
❶の具体派には❷における抽象概念が見えないのでなかなかこれをしづらいのですが、❷の抽象派には❶の具体例も見えているのでそれが可能ですし、何なら得意だったりするのです。この点が二者の大きな違いとなります。
マジックミラーの例がわかりやすいです。マジックミラーは、見える方からはただのガラスで向こう側がくっきり見えますが、見えない側には鏡なので向こう側を見透すことができません。それと同じように、抽象派からは「抽象」も「具体」もよく見えますが、具体派からは「具体」しか見えません。

ピンクの丸の間にあるものを見える人と見えない人

さて、あなたの普段の考え方は❶と❷のどちらのタイプ寄りでしたか? 

「そもそも」「本質」「本当の意味」「いわば」「要は」などの口癖を持っていますか。……さらにいうなら、「それは二つの意味でこう言える」「それの大きな問題は三つある。その中の一つがまずこれで、これには二つの特徴がある」などと原因や解決法などに関して数を示して語る癖もあると思います。分類や分析が得意なので、頭の中で一つの論題に対しアウトラインを描けるからです。
このように、あえて二極化して考えてみると、両者の違いがよくわかります。

もちろん、実際には世の中は白黒の二極で語れないグレーなことだらけです。抽象と具体も、誰だって両面を持っています。ですが、あえて白黒で語る手法を取ることで『そのグレー度合いがいかほどか』を測ることができるのですね。この手法を取って考えること自体がそもそも『物事を抽象化してみる』ということなのですね‪!
あの人と私の話がいつも噛み合わない原因はこれだったんだ、といった気づきや、私はこっちのタイプだな、みたいな気づきはあったでしょうか。
もしかしたら、具体派にはこのnoteの内容や結論は物足りなく感じ、抽象派にはそこそこ内容のある話に思えたかもしれませんね。抽象派は、こうして考えてみること自体が大好きだからです。いずれにしても、こういう分析に興味を持ったあなたには先に挙げた著書を強くお薦めします。(……とはいえ、実際この書籍は、具体派抽象派にかかわらず、往復のトレーニングは誰もがすべき、誰しもの役に立つ、というスタンスで書かれています。このnoteで私がした二極化の試みはいわばただの〝遊び〟だと思ってください。)

今回は著書から得た知識を絡めながら、自分なりの考えや体験も混じえて備忘録代わりのまとめをざっくりと書いてみました。今回書いた内容は、私にとってとても意味のあるものでした。自分の特徴を知るパーソナリティー分析という意味でも、人間の脳の機能の解明という意味でも。今後これをベースに、あるいは引き合いに出しつつ、心理面やパーソナリティー分析、自己理解について色々アウトプットしていきたいと思います。
……ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。


おまけ (ミニクイズ)

どちらが具体でどちらが抽象でしょう?

現象 ──   論理
本文 ──   見出し
宝石 ──   ダイアモンド
目的 ──   手段
戦略 ──   戦術
物々交換 ──    貨幣取引
一般論 ── 例外
数学 ──    物理

普段物事を抽象化して考える癖がある人にはすぐに判別できたと思います。数秒かかった人は少し具体に引っ張られる傾向があるのかもしれません。考えこんでしまった人は日頃から物事を抽象化する癖を持っていない可能性が高いかもしれません。あくまでも目安です‪^ ^‬

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