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どうでもよくなることがこわい

髪を切った。10cmくらい。

去年1年間、切らずにずっと伸ばしていた。特に理由はなかったけど、「当分の間は伸ばそう」と決めたから、ただ伸ばしていた。こだわっているようで、別にこだわっているわけでもない。美容室に行ったときも「伸ばしているので長さだけ整えてほしいです」とお願いしていた。

肩の上くらいだった髪はいつの間にか胸の下くらいまで伸びた。

「あ、髪切ろう」

その衝動は本当に突然やってくる。

別に失恋したわけでもない。毎日長い髪にドライヤーやトリートメントを怠らないように手入れもしていたのに、一気にそれを手放してしまいたくなる。なんのために毎日あんなに手入れをしていたんだ。切ってしまったらその努力も全部水の泡になるのになあ。

切るときは毛先に大胆なカラーを入れて、思う存分かわいい髪色を楽しんでから切ろうと考えていたのに、それも何だかどうでもよくなってしまって。

高校生の時にも一度、同じようなことをしたことがある。その時は「髪を伸ばして巻き髪をしたい」という明確な目的を持って伸ばしていた。気づいたら巻き髪も十分出来る長さまで伸びていたのに、結局そのときも衝動で肩の上あたりまでバッサリと切ってしまった。

飽きっぽい性格というのも関係しているだろうけど、自分のこういう部分が時々すごくこわくなる。

どれだけ時間をかけてきたものでもプツン、とどうでも良くなる瞬間がきてしまうことがあるのだ。一生懸命積み上げてきた積み木を崩したくなる。

髪を伸ばすのも、アイドルを応援するのも、好きな洋服の系統も。一生懸命伸ばしても突然切ってしまうし、どれだけライブに行ったりグッズを集めていても一気に冷めてしまうし、可愛い系統の服ばかり集めていたのに好みの系統がガラッと変わり、せっかく集めた洋服はほとんど手放してしまった。

伸ばし続けた髪を切ることも趣味が変わることも、別に悪いことじゃない。ただ、あの頃たしかにそれに向かって真っ直ぐでいたはずの自分が突然いなくなることがこわい。自分が自分じゃなくなるみたいで。

それでも飽きずにずっと続けていること、ここだけは譲れないというものはちゃんと自分の中にあるのだけど、いつかそれもどうでもよくなってしまう日が来るんじゃないかって時々すごく不安になる。

でも、手放したことに大きな喪失感を抱いたり、ズルズルと引きずることもほとんどないので(やけに潔いからこそ余計にこわくもある)いつも大きな後悔をすることはなくて。

むしろ前より今、昔より今、を更新できているようには感じていて。

知らず知らずのうちに、古い自分を手放してまた新しい自分を見つけて、という繰り返しをしているのかもしれない。そうしているうちに本当に好きなものに出会えたり、大切にしたいと思うものを見つけているのかも。

そう考えると、昔から今も変わらずずっと好きでいるものや、自分の中にある譲れないものをもっともっと大切にしたいと思える気がする。

自分探しの旅はまだまだ続きそうです。

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