日本語に関する雑学ー「懐かしむ」と「偲ぶ」の比較
先週に引き続き、日本語に関する文章です。今回は何となく違うけど、説明がしづらい「懐かしむ」と「偲ぶ」です。速読したい人は結論だけをサクッと読むのもありですし、どういう用例があるか知りたい方は本文もぜひ読んでみてください。
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1,はじめに
「懐かしむ」と「偲ぶ」はどちらも「思い出して、その対象に心が惹かれる」という点で共通しているものの、全く同じ意味を有しているのであれば現在において両語とも使用されることはなかったと考えられる。そこで、本発表では両語がとる対象に注目して考察し、両語間における意味的差異について言及することを目指す。具体的には、辞書記述を参照した上で、NLBを用いて考察する。
2、辞書記述
『日本国語大辞典』に、「懐かしむ」と「偲ぶ」は次のように説明がなされている。
なつかし‐・む 【懐】
解説・用例
〔他マ五(四)〕
なつかしく思う。親しく思い出す。なつかしぶ。
*書陵部本公任集〔1044頃〕「なつかしみ袂にかかる梅がかをかぜにしられぬことをこそ思へ」
*中務内侍日記〔1292頃か〕正応三年二月五日「なつかしむ心を知らばゆく先を向の神のいかが見るらん」
*思出の記〔1900〜01〕〈徳富蘆花〉三・三「随分心に母を恋(した)い姉妹を懐しむ者があっても其を表するのを憚って」
*薪能〔1964〕〈立原正秋〉六「そこにいないという事実が五年間の慣れをなつかしませたのである」
発音
[シ] [0]
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なつかし・い 【懐】
解説・用例
〔形口〕 なつか し〔形シク〕(動詞「なつく(懐)」の形容詞化。古くは、身近にしたい、馴れ親しみたいの意を表わし、後世、多く懐旧の思いをいうようになる)
〔一〕心がひかれ、離れたくないさま。愛着を覚えるさま。魅力的だ。慕わしい。
(イ)人、人の心や姿をはじめ、音・香などを含め、広い対象についていう。
*万葉集〔8C後〕五・八四六「霞立つ長き春日をかざせれどいや那都可子岐(ナツカシキ)梅の花かも〈小野淡理〉」
*万葉集〔8C後〕一六・三七九一「秋さりて 山辺を行けば 名津蚊為(なつかし)と 我れを思へか 天雲も 行きたなびく〈作者未詳〉」
*古今和歌集〔905〜914〕春下・一二二「春雨ににほへる色も飽かなくに香さへなつかし山吹の花〈よみ人しらず〉」
*源氏物語〔1001〜14頃〕帚木「なつかしき妻子とうち頼まむに、無才の人、なまわろならむ振舞など見えむに、恥づかしくなん見え侍りし」
*大鏡〔12C前〕一・三条院「御心ばへいとなつかしう、おいらかにおはしまして、世の人いみじう恋申めり」
*宇治拾遺物語〔1221頃〕六・九「みかど、〈略〉御覧ずるに、けはひ、すがた、みめありさま、かうばしくなつかしき事限なし」
*徒然草〔1331頃〕一三八「枕草子にも、来しかた恋しきもの、枯れたる葵と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ」
*評判記・野郎虫〔1660〕竹中小太夫「こうたもいとみやびやかにて漢竹のようでうの遠音をきくやうにて、なつかしき所有」
(ロ)衣服が、着馴れて程よくのり気がとれて、からだになじんでいるさま。
*源氏物語〔1001〜14頃〕夕霧「なつかしき程の直衣に、色こまやかなる御衣(ぞ)のうち目、いとけうらに透きて」
〔二〕(中世以後に生じた意味)過去の思い出に心がひかれて慕わしいさま。離れている人や物に覚える慕情についていう。
*光悦本謡曲・羽衣〔1548頃〕「雁金のかへりゆく、天路をきけばなつかしや」
*日葡辞書〔1603〜04〕「Natçucaxu (ナツカシュウ) ヲモウ」
*俳諧・続猿蓑〔1698〕上・今宵賦(支考)「幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど」
*浄瑠璃・国性爺合戦〔1715〕三「日本とあればなつかしし」
*金色夜叉〔1897〜98〕〈尾崎紅葉〉前・六「今は可懐(ナツカ)しき顔を見る能はざる失望に加ふるに」
*スバル‐明治四三年〔1910〕一一月号・秋のなかばに歌へる〈石川啄木〉「誰が見てもわれなつかしくなるごとき長き手紙を書きたき夕」
語源説
(1)ナレツカ(馴付)マホシの略か〔志不可起〕。ナレツカシメム(馴着令見)、またナレツキアエシ(馴着肖如)の義〔日本語原学=林甕臣〕。ナレツカシキ(馴着敷)の義〔和訓集説〕。ナレ、ツク(付)、カナ、セリの反〔名語記〕。
(2)ナツクラシキ(懐如)の義〔名言通〕。
(3)ナレチカシ(馴近)の義〔紫門和語類集〕。
発音
ナツカシ
ナッカ 〔鹿児島方言〕
[シ] [カ]
「なつかし」 [カ] 平安 鎌倉「なつかしき」 江戸「なつかしき」 と の両様 [カ]
辞書
色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海
表記
【馴思】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本
【愛褻】色葉・易林・書言
【懐敷】文明・書言・ヘボン
【仮顔】文明・書言
【褻・撫育】色葉
【 媚】名義
【愛・懐】和玉
【 ・潜】文明
【仮借・為馴】伊京
【懐愛・眷恋・ 媚】書言
【可懐】言海
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しの・ぶ 【偲・慕】
解説・用例
【一】〔他バ五(四)〕
(古くは「しのふ」)
(1)過去のことや離れている人のことなどをひそかに思い慕う。思い出してなつかしむ。しぬぶ。
*古事記〔712〕下・歌謡「あが思ふ妻 有りと 言はばこそよ 家にも行かめ 国をも斯怒波(シノハ)め」
*万葉集〔8C後〕一五・三七二五「わが背子しけだしまからば白たへの袖を振らさね見つつ志怒波(シノハ)む〈狭野弟上娘子〉」
*大和物語〔947〜957頃〕二三「せかなくに絶えと絶えにし山水の誰しのべとか声をきかせむ」
*源氏物語〔1001〜14頃〕柏木「御あそびなどの折ごとにも、まづおぼしいでてなむしのばせ給ける」
*平家物語〔13C前〕灌頂・女院出家「昔をしのぶつまとなれとてや、もとのあるじの移し植ゑたりけむはな橘の」
*徒然草〔1331頃〕三〇「思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなくうせて」
*表佐千句〔1476〕八「かしこきも名のみ残るは夢なれや〈甚昭〉 むかしをしのふことの葉の道〈清玉〉」
*美貌の皇后〔1950〕〈亀井勝一郎〉古塔の天女「古代印度や古代シナの伝道者達の歩いた道を偲(シノ)んでゐます」
*月次抄〔1977〕〈竹西寛子〉野宮「やがて神に仕え、神との約束事に生きる人の、慎しみの生活にふさわしい環境の一端はしのばれる」
(2)物のよさ、美しさに感心して、それを味わう。賞美する。
*万葉集〔8C後〕一・一六「秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそ思努布(シノフ)〈額田王〉」
*万葉集〔8C後〕一九・四一四七「夜くたちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も之努比(シノヒ)来にけれ〈大伴家持〉」
*古今和歌集〔905〜914〕秋下・二八五「こひしくはみてもしのばむもみぢばを吹きな散らしそ山おろしのかぜ〈よみ人しらず〉」
*仮名草子・都風俗鑑〔1681〕四「下つ方をあひてにしてくらす事なれば畳ざはりおちつかず、さらにしのぶふしもなけれども」
(3)恋いしたう。
*浮世草子・世間娘容気〔1717〕四「それ程までに娘が事を忍(シノ)ばるる上は成程聟にとりませふが」
【二】〔他バ上二〕
(【一】が中古に濁音化したため「忍ぶ」と混同してできたもの)
【一】(1)に同じ。
*日本書紀〔720〕綏靖即位前(北野本訓)「孝性(おやにしたかふまこと)純深、悲慕(シノフル)こと已むこと無し」
*源氏物語〔1001〜14頃〕賢木「あひ見ずてしのぶるころの涙をもなべての空のしぐれとや見る」
*源氏物語〔1001〜14頃〕幻「なき人をしのぶる宵のむら雨にぬれてや来つる山ほととぎす」
語誌
(1)上代では、思い慕う意は「しのふ」と「ふ」が清音で、ハ行四段活用。こらえる意は「しのぶ」と「ぶ」が濁音で、バ行上二段活用、しかも「しのふ(偲)」の「の」は甲類音、「しのぶ(忍)」の「の」は乙類音というはっきりした違いがあったと考えられる。ただし、「万葉‐二〇・四四二七」の「家(いは)の妹(いも)ろ吾(わ)を之乃布(シノフ)らし〈防人〉」や、仏足石歌の「踏める足跡(あと)を 見つつ志乃波(シノハ)む」のように「しのふ」の「の」が乙類の仮名で表わされている例があり、また、「万葉‐三・四六五」の「秋風寒み思怒妣(シノビ)つるかも〈大伴家持〉」のように「しのぶ」と濁音化した例もあり、奈良末期には両者の「の」の区別が失われ、「しのふ」の濁音化も始まったようである。中古にはいると、「しのふ」のひそかに思い慕う意と「しのぶ」の気持をおさえてこらえる意との類似性から両者が混同されて、ともに「しのぶ」の形で用いられるようになった。そのため活用にも混乱が生じ、四段と上二段との間にあった意味のちがいがあいまいになっていった。
(2)この語の万葉仮名の「怒」「努」などを「ぬ」とよんだところから従来「しぬぶ」とされて来たが、現在ではその大部分は「しのふ」とよむべきことが明らかにされている。しかし、少数ながら「しぬふ」もあったと見られる。→しぬぶ(偲)。
(3)連用形が使われる場合が多いが、中古以降は四段活用か上二段活用か判別しがたいので、用例は明確なものだけに限った。左に連用形の例を補っておく。「ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねに友をしのび」〔古今‐仮名序〕、「『かの殿を見つれば〈略〉心こそうつりぬれ。あはれつかうまつらばや』と、しのびつついひあへり」〔落窪‐四〕、「源氏の大将の昔の跡をしのびつつ、須磨より明石の浦づたひ」〔平家‐五・月見〕など。
(4)現代語では、「なき人をしのんで」のように五段活用が用いられる。
(5)この語の漢字表記は、はじめ「思」があてられたが、これに人偏を添加して国字「偲」が成立し、「万葉集」では両用されている。中古以降は「忍」が常用されるが、近代になって意味的に「忍」と区別して「偲」が定着した。
発音
上代は「しのふ」と第三拍清音。上代末頃から「しのぶ」形があらわれ、平安以後は活用も意義も「忍ぶ」と混同してくる。
[0] [ノ] 【一】は平安 鎌倉 [0]
上代特殊仮名遣い
シノフ
(※青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。)
辞書
字鏡・色葉・名義・和玉・饅頭・易林・書言・言海
表記
【偲】色葉・和玉・書言
【詠】色葉・饅頭
【 】字鏡
【吟・ ・慕】名義
【恋】易林
【恋情・憶】書言
【思】言海
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このようにどちらも「遠くのもの、過去のものに対して心を惹かれる」という意味であることが伺える。しかし単純に「対象に惹かれる」だけであるならば「恋しい」や「恋う」などとの意味的な差異が明瞭ではないが、森田(1984)では「懐かしい」は次のように説明されている。
思いが引かれる状態である。ただし、これは、遠い過去に自分が接して強い印象を受けた対象に再び接したり、あるいはまた、その対象にゆかりのある事物に触れたり、それを思い出す機縁があって心に喜びを覚える状態などに言う。自分の経験を通して成立する感情なので、自分とつながりを持った対象に限られる。(森田、1984: p.197)
つまり、対象は一度以上接したことがあるものであり、しかもその対象を思い出させる原因がそこに存在することで得る感情であることが分かる。自分とのつながりが前提となるため、主語は1人称以外は想定しづらいこともこの説明からは分かる。しかし、この意味は『日本国語大辞典』の「偲ぶ」の意味と大きく異ならないように思われる。そこで、実際、どのような差が存在するのかを具体的に知るためにNLBを用いて考察する。
2、コーパスを用いた分析
まずは「偲ぶ」の文例を見ていく。NLBにおいて「偲ぶ」の頻度は248件であり、その内受身形以外で主語が人名のものには次のようなものがある。
1) 制作は朝倉文夫で竹田高等小学校の同窓、滝十五歳、朝倉十一歳の時一年間を過ごした。 滝が腰を下ろしている台部が凝っていて三方に古代風楽人の演奏の姿が浮彫りされており裏側には朝倉が滝を偲ぶ長い文が刻まれている。(前田重夫著 『銅像に見る日本の歴史』, 2000, 715)
2) 有名な歌であるが、どういうわけか(巻八・一六〇六)の額田王が天智天皇を偲んで詠んだものと同歌であり、『万葉集』の中では珍しい重複である。(山滋著 『文学の中の都市と建築』, 1991, 910)
3) スルターナは、昔、ドルマバフチェ宮殿のレセプションで着ていた姿をセルマが偲んでくれればと、肘かけ椅子の上にすばらしいクロテンの毛皮のコートを広げた。(ケニーゼ・ムラト著;白須英子訳 『皇女セルマの遺言』, 2003, 953)
このように「偲ぶ」の主語として現れるものは3人称であるが、用例数は少なく、そもそも主語を明示しないで使う動詞と見た方が良い。感情を表わす語の中でも一人称主語を前提とするものは明示しないことが多いので、「偲ぶ」も感情動詞らしい動詞と見なすことができる。例えば、4)のように「偲び顔」という形で、顔を修飾しており感情を表現する語と見て良いだろう。
4)つまり世の中がそうぞうしくなったせいで、もうその頃から江戸も末になりましたよ」 老人は昔を偲び顔に話し出した。 (岡本綺堂著 『半七捕物帳』, 2001, 913)
次に対象について見るが「を格」は191件と最も多い件数である。対象として取る名詞を列挙すると次の通りである。
故人(17)/【人名】(13)/昔(13)/往時(11)/【人名】さん(7)/面影(7)/当時(6)/遺徳(6)/時代(5)/【地域】(5)/心(3)/父(3)/風格(2)/釈尊(2)/跡(2)/(花)菜(2)/様子(2)/年(2)/家(2)/姿(2)/功績(2)/人(2)/亡くなった方(2)/日/日差し/旧跡/暮らし/有り様/死者/母/日々/故国/操/息子/恩師/恋人/徳/御霊/御陵/彼/御母堂/浄土/顔/音/輪郭/足跡/賑わい/街/背景/者/経過/精神/精勤/小督/盛時/父母/無念/滝/平家/山国/刀/先祖/先生/佇まい/人柄/人格/亡き人/葵の上/ブールバール/よすが/話があるの/それ/有難さ/こと/おばあさん/初恋/十字架/利休居士/小菊/宰相/孫/学識/姫/妻/大尉/大将/坊っちゃん/国/周忌/君/古里/古都/ドン・キホーテ
(なお1件「一目を偲ぶ」があったがYahoo!ブログのテキスト自体が「人目を忍ぶ」を誤変換していたので、それは取り除いている)
いくつか文例を列挙してみる。
5)「じつは、この会合にも、本来なら月岡君は参加する予定になっていたのですよ」 松山は故人を偲ぶ目になって、言った。(内田康夫著 『美濃路殺人事件』, 1997, 913)
6)琵琶湖にいたり瀬田の橋を渡るとき、石山が左に見えた。 はるか昔『源氏物語』を書いたといわれる紫式部を偲んで七言律詩一首、和歌一首。 逢坂山を越えて淀川を河舟で下る。(門玲子著 『江戸女流文学の発見』, 1998, 910)
7)さらに、あまりその存在を知られていない「セカンド・サマーディ仏陀像」がある一帯には、たくさんの遺跡が密集しており、時代の変遷とともに、ムーンストーンやガードストーンの装飾が変化していく過程が見られ、長い長い僧たちの営みが伝わってくる。 散策しながら往時を偲ぶには、とてもいい場所である。(楠元香代子著 『スリランカ巨大仏の不思議』, 2004, 718)
8) 吉川勇一さん、古屋能子さんと私が中心になり偲ぶ会をすることになる。北添さんを偲ぶ会は、七月十三日、新宿のお店で開いた。(小林トミ著;岩垂弘編 『「声なき声」をきけ』, 2003, 319)
9) かつては石高百数十石の上級武士の屋敷が、この通りの両側に軒を連ねていたという。 城下町400年の風雪をしのいだ赤茶色の土塀や門の佇まいは、江戸時代の面影を偲ばせる。(旅の手帖, 2004, レジャー/趣味)
10) 水引はしろ・黄色を用います。歳月が遠く過ぎた方の遺徳を偲ぶ機会などもあります。 その場合、白・赤の水引もありえますが、個別の事情によって判断しましょう。(荒木真喜雄著 『四季をよそおう折形』, 2004, 385)
これらの共通項を見ると、対象が人物の場合「故人」という語で明示的に示していないものでも、故人を対象としているものが多く、物の場合も無くなってしまい現在はもう目にすることができないことを前提としているものが多い。そのような文脈で用いられていることから、単純に「眼の前にない」という意味だけではないことが分かる。なお、「で格」は場面を示すものがほとんどだが手段を示すものは次の例のみ存在する。
11)江戸時代に北前船の航路ができて以来、港町酒田は栄華を誇ってきた。 今も残る本間家旧本邸や回船問屋の旧鐙屋などで往時を偲ぶことができる。 (週刊新潮, 2005, 一般)
これも現在はないものを現在かろうじて存在するものによって偲んでいるという用法である。
「懐かしむ」の用法を見る。「懐かしむ」の頻度は123件であるが、主語を示す用法はほとんどなく、三人称主語を表現するもののみである。「懐かしむ」についても感情動詞らしい感情動詞ゆえに一人称主語を必要としないという性格があると見て良く、この点の差異はない。次に対象について見る。「を格」の用法は77件と最も多く、「を格」が多いという状況は「偲ぶ」と同じである。対象は次のようである。
昔(11)/時代(5)/【地域】(4)/こと(4)/過去(4)/日(3)/思い出(3)/当時(3)/頃(2)/自分(2)/古里(2)/【一般】(2)/往時/恋/恋愛/故人/旧(正月)/有り様/母/現世/生家/生活/神/話/都/雰囲気/高校/山河/妻/女性/VW/おれ/ここ/もの/人/人情/仲間/先生/五〇余年前/同志/味/場所/塾/声/山城
似たような語が多いものの、上位の語の構成には差がある。「偲ぶ」では故人を筆頭に、人に関する語が多かったのに対し、「懐かしむ」は昔や時代など無生物が多い。
12)千春がふふ、と笑った。 昔を懐かしむような、邪気のない笑いだった。(ねじめ正一著 『昼間のパパと夜明けの息子』, 1994, 913)
13)男性と女性は、どちらも、逃れられない平凡化の渦の中に身を置いている。 多くの人はそれを残念に思い、「それが隠されていて、推し量るしかなかった」時代を懐かしんでいる。(ジャン=クロード・コフマン著;藤田真利子訳 『女の身体、男の視線』, 2000, 367)
14) それでとてもさびしくなっちゃって、ここでこうやって仕事をしていると、内地の方にもしょっちゅうお目にかかれるので、働いているんです」彼女の表情の中には、日本をなつかしむ気持ちがはっきりとあらわれていた。(小此木啓吾著 『メンタルヘルスのすすめ』, 1988, 493)
15)翠子は二十年ほど前、夫に伴われて奈良の春日社に行った折、能を見、狂言を見た。 その時の狂言の一つが「鏡男」であったことをなつかしむ。(千草子著 『北国の雁』, 2004, 913)
16)過去をなつかしむのはもう少し先の楽しみに延ばし、今の今を、もうちょっと苦労をいとわず、自分自身を育ててみる、面倒がらずにスタートする、その先に、今までのイメージとは一味違った「老後」ができ上がりそうな気がする。(樋口恵子著 『私の老い構え』, 1987, 367)
17)(前にウチの婆ちゃんが大往生で亡くなった時に似ている。 哀しいことには違いないが、それよりも故人を懐かしむ気持ちが強い…そんな感じだ)(アクトレス原作;影山二階堂著 『白鷺の鳴く頃に』, 2001, 913)
また、同じ名詞を取っている場合にも「偲ぶ」には悲哀とも言うべき、無くなったことへの哀愁を漂わせる文脈で用いられているのに対し、「懐かしむ」はもう少し中立的なニュアンスが強く、例えば12)の場合は比較的肯定的な心理を読み取ることができる。
12)千春がふふ、と笑った。 昔を懐かしむような、邪気のない笑いだった。(ねじめ正一著 『昼間のパパと夜明けの息子』, 1994, 913)
既に見た17)では「哀しい」とは異なる感情として「懐かしむ」が用いられており、「懐かしむ」は悲哀のみを表わす語ではないことが分かる。ただし、7)の例のように、「偲ぶ」の場合にも悲哀以外の感情を表わすこともあり、厳密な対立ではない。しかし、「偲ぶ」の方が「懐かしむ」よりも「故人を偲ぶ」という表現が慣用的に用いられていることからも「悲哀」の情を表現しやすい語として捉えることができる。
なお「懐かしむ」について「で格」の用例を確認すると、「で格」はそもそも3件しかなく2件は場面で、手段の用法が次の18)のみである。
18)そしてその回答は、回答者様が大昔、特にバブル全盛時代に慰安旅行や新婚旅行や学校の夏休み等に行って来た時の経験=古き良き時代を、回答することで懐かしむ「ノスタルジー」。(Yahoo!知恵袋, 2005, Yahoo!知恵袋)
ここでも「悲哀」は無く、むしろ昔の記憶を思い起こして答えるという行為で、生まれた感情であり、「郷愁」の方が意味として近いと言える。
3、結論
このように、「偲ぶ」は人、特に故人を対象として取ることが多く、無生物の場合にも喪失した哀しみを表明することが少なくない。それに対し、「懐かしい」は無生物を対象として取ることが多く、人の場合にも今はないことを郷愁の中で捉えようとする。「偲ぶ」は「悲哀」、「懐かしむ」は「郷愁」を主に表現しているが、「懐かしむ」は「悲哀」も提示することもあり、2語の差を強調すれば「悲哀」と「郷愁」となるが、「懐かしむ」は比較的中立的な表現であり、「悲哀」も表現できる語である。それに対し、「偲ぶ」は「悲哀」を主としており、「故人を偲ぶ」という語が慣用的に用いられる要因もそこにあるのではないだろうか。
<参考文献>
国立国語研究所(編)(2004)、『分類語彙表』、増補改訂版、大日本図書
西尾寅弥(1972)、『形容詞の意味・用法の記述的研究』、秀英出版
益岡隆志、田窪行則(1992)、『基礎日本語文法』、改訂版、くろしお出版
宮島達夫(1972)、『動詞の意味・用法の記述的研究』、秀英出版
森田良行(1984)、『基礎日本語1』、角川書店
<辞書>
小学館国語辞典編集部(編)(2000)、『日本国語大辞典 第二版』、小学館
北原保雄(編)(2010)、『明鏡国語辞典 第二版』、大修館書店
<コーパス>
NINJL-LWP for BCCWJ (NLB)
現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)中納言
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