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「毒親」という言葉への抵抗が解けていった話

わたしが長年抱えていたマインドの絡まりの一つが親子関係。

幼少期から親から言われた言葉の数々に傷つき、自分を無価値だと思うようになり、自分の本心に正直に生きるより親の価値観に合わせて親や社会に認められるように、なるべくいい子ちゃんを演じることが無意識レベルで当たり前になっていたわたし。

暴力を受けたわけでもなく、ネグレクトされていたわけでもなく、なに不自由なく育ててもらっていたけれど、母親の人格的な性質が子供の情緒を育てるには不向きだったんだと今では冷静に分かる。
いわゆる世間でいうところの「毒親」というものだけど、この「毒親」という言葉に実はとても抵抗感があった。


長らく自分の本心を見ないできたわたしが自分自身を取り戻していく中で、次第にこれまで蓋をしてきた親との関係性とも向き合うことになっていった。
幼少期の傷ついた自分を認めることは結構ハードだったし、そのたびに自分で自分を癒していくけれど、何年も抱えていた傷だから癒してもまた疼くときがある。
そして、その過程にいるときは親に会って話すのも辛くて(勝手に神経レベルで反応してしまうからどうしようもなく)顔も見たくないときもあった。


正直、そんな親を恨めしく思ったことも何度もある。それでもその感情のさらに奥にはやっぱり親への愛情があったのだ。
私自身、親になって思うのは子供は無償の愛をたくさん親に与えてくれている。
絡まってこじれてしまうと、身近すぎて素直に認めにくくなるけれど、子供には親に愛情を求めるのと同じくらい、むしろそれ以上に親に注いでいる愛情が誰にでもあるのだ。
だからこそ、親との関係性に苦しむ人も多いのかもしれない。

「毒親」という言葉にあった最初の抵抗感


「毒親」という言葉は以前から知っていて、どこかに引っかかってはいた。
もしかしてうちの親も?と思ったりしたけれど、その言葉に抵抗感があって踏み込めないでいた。
そこには、自分の親を悪くいってはいけないという社会的に植え付けられていた観念もあるし、ネーミングの強烈さに自分の親がそれであってほしくないという思い(ここには親はこうあるべきという勝手な固定観念もある)もあったのかもしれない。


親を親としてではなく、一人の人間として客観的にみて少し距離を保てるようになった頃、ようやく手にした本で自分の親が毒親だったんだと冷静に受けめることができた。
その本が、水島広子さんの”「毒親」の正体”

なぁんだ、そうだったのか、とやっぱりそうか、の連続でとても心を楽にしてくれた。そして、もっと早く知りたかったなぁとも思った。
「毒親」っていう言葉で広まっていなかったら、もっと手が出しやすかった気がするのが残念に感じた。

「毒親」だとわかってもまだ残るその言葉へのわだかまり

じゃあ、納得したからといって自分の母親との間の絡まりが全て解けたのかっていうとそうでもなかったし、私の親は「毒親」でしたってラベルを貼る事も何か違う気がした。

今になってみて思うのは、「毒親」という言葉に潜むうっすらとした被害者意識、自分を被害者にすることで自分が変わることを避けて、いつもの楽な場所でいさせようとするその感覚があったのかもしれない。

今、自分が葛藤を抱えたり、人間関係などでうまくいかないことなどを「毒親」育ちだからということにしてしまう、それはそれで自分を守るための術なんだと思う。
ただ「毒親」という言葉が「毒親」育ち、というラベルを自分に貼って、自分を捕らえてしまってないだろうか。

言葉は時に人を解放してくれるけれど、時に人を縛り付ける。

「毒親」という言葉からの脱却


親として人間性を育むことに適性がない人もいる。自分の親がそうかもしれない。だとしても、それは変えられないただの現実。
今もわたしの親は相変わらずの発言もあるし、長年の思考のパターンも健在。
だけどそこにわたしが反応しなくなって、親だけどただのそういう一人の人として接しているし、自分が疲れてるときは距離を置くようにもしてる。
親自身が大きく変化したとは思えないけれど、関係性は変化している。(現在進行形)

幼い頃の自分はその親に守ってもらう必要があったし、包み込むように抱きしめて欲しかったかもしれない。
だけど、もう今のわたしは立派な大人だ。
自分の幸せの責任は自分にある。

そう心から思えて変化を恐れない勇気をもつことができたら、自然に自分が変わるタイミングがやってきて、わたしは「毒親」の被害者でもなく、自分の人生を歩く一人の人になっていた。

そして、そこにあるのは親への愛情と
産んでくれたことへの感謝、ただそれだけ。

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