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わからなくてもいい、解決しなくてもいい

わからなくてもいい
初めてこの言葉を聞いたのは、身体の動きについて学んでいた時。
ロルファーのユキさんの言葉でした。

その一言が、肩の力も目の奥の力も緩めてくれて、頭にばっかり上っていたエネルギーを腹に落としていける感覚がありました。

そうなんです。
わからなきゃ!と思うと頭で理解しようとしてしまい、今ここを感じることから離れて、わかった先の未来にばかり意識が向いてしまう。

身体の動きを重力のもとで知覚すること、その時、頭で理解しようとすることが邪魔をしたりもします。
わからなくていいから、まずは感じてみる。その中で気づくことをそのまま観るだけでいい。

そのことを自分に許可してあげられたら、それだけで身体はリラックスしていくし、その後必ず「あれ?なんだか体がとっても楽で気持ちいい」になっている。ユキさんの講座では、そんなことの繰り返しでした。

心も同じ

わからなくていい、の言葉を再びもらったのは、吉川めいさんでした。
瞑想やヨガを通して心について学ぶ中たびたび出てくる”わからないをそのまま置いておいていい”というフレーズ。
自分の心を観ることを通して、わかないことがあるとモヤモヤします。そうなるとあーでもない、こーでもないと漏れなく思考が動き出し、頭で解決しようとして沼にハマる。

わかること、解決することで白黒つけることよりもグレーでいてもいいんだと思ったら、それだけでもう十分心は癒されていました。

わからない=ダメという思いこみ

小さい頃から当たり前のように、ちゃんとわかること、課題を解決すること、を繰り返してきた中で、わからなくてもいいってなんて自由を与えてくれる言葉なんだろう、というほど衝撃的だった私。

理解しなきゃ、わからなきゃと考える思考パターンには、幼少期からの社会環境から学んだ観念が潜んでいて、”わからない自分=ダメな自分”という思いこみがあったんだと思います。
しかも、できるだけ早く!効率的に!笑

わからないをそのままにしておく優しさ

学校のテストではない実社会では、わからないこと解決しないことは山ほど溢れているし、まず何よりも自分のことが身体も心もわからないだらけ。
わかったつもりになっても、また新たにわからないことが出てきたり、そうだったのか!という発見があったり。

わからないでいいは、ただそのままを認めることでもあります。
自分のことも人のことも、わからなくても解決しなくても、ただそのままいまはそれでいい。

わからないままに置いておいたことが、ある日芽を出してきて光が差しこむこともあれば、ついに向き合う時がきたと目を背けてきたことと対峙する重さもあるけれど、どちらにしても以前はわからないままにしていた自分より小さな気づきや変化を重ね、勇気が持つことができたり、わかる準備が整った自分になったんだという証。
そして、そのプロセスそのものがまた一歩自分を成長させてくれています。

わからないままにしておく、そのグレーの中で変化をしていくことが何よりも自分に優しく、実は振り返ってみるととってもパワフルな変化を遂げていくもの。

種から芽を出し花を咲かせ、やがて次の種を落としていく植物のように、卵から幼虫になり蛹の期間を経て羽を広げて羽ばたく蝶のように、わからないことが溢れている世界の豊かさの中で、ゆっくりと目の前の今を大切にしながら過ごしていきたいです。


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