2022年共通テスト倫理解説

序文

前書き

 皆さん、こんにちは。哲学プラクティス系Vtuberの水出博雄です。遅くなりましたが、2022年の共通テスト倫理の解説を行いたいと思います。全ての選択肢についてなるべく解説を入れましたので、テストを受けられた方もそうでない方も、また、来年以降受ける方も是非見て行って下さい。

注意事項

 本解説は、細心の注意を払って執筆したものの、専門家が作成したものではない為、誤りを含む可能性がございます。一定以上の疑心を持って読んで頂ければ幸いです。また、一部私個人の主観が強く出ている部分がございます。皆様にはそれぞれの意見がありますでしょうが、問題解説に直接関わらない場合はクレームがあったとしても答えられない場合があります。ご了承ください。

問題

 本問題の入手に辺り、河合塾の公開する2022年度 大学入学共通テスト速報のページを利用しました。本ページのリンクを以下に貼っておきます。
2022年度 大学入学共通テスト速報 | 大学入試解答速報 | 大学受験の予備校・塾 河合塾 (kawai-juku.ac.jp)

第1問

 第1問は、基本的には思想史の知識を単純に問う問題です。各単語の意味や、その思想が誰のものであるかを理解していれば何も問題なく解けると思います。

問1

 思想における「真理」の考えについて、正しいものを問う問題です。選択肢ごとに見ていきましょう。
 1は、「ソクラテス自身が持っている真理を、相手に教え込む」ために「産婆術と喩えられる対話活動を行った」とあります。産婆術と言われた活動は、相手に教え込む訳ではなく、「相手が持っている真理を引き出す」対話です。従って、これは間違いだと分かります。
 2は、イスラム教における「ムハンマドが神の真理の言葉を託された者である」「彼の言行・慣行も信者の生活規範となっている」という話でした。ムハンマドは、イスラム教において預言者(=神から言葉を預けられた人たち)になりますし、コーランも彼の死後、彼が受けた啓示をまとめたものとなる(=言行等が信者の生活規範となっている)為、この選択肢が正解となります。
 3は、スコラ哲学を「哲学の下に神学」としてますね。逆です。ということで違います。(そもそも当時のカトリック教会が神より上位の存在として哲学を置いたなんて聞いたら即破門されたんじゃ・・・)
 4
は、ブッダについて「生来の身分ごとの異なる義務の全う」することで真理を体得できるとしてます。それ、バラモンじゃないですかね。彼はヴァルナ制と呼ばれる身分制度を批判し、人間は真理の前には平等であると述べています。従って4も違います。

問2

 ここでは中国思想で「礼」について正誤の組み合わせを答える問題となっています。
 は、「自分勝手な欲望や感情を抑制」し、自身の行為や態度を「礼」という名の規範に従わせるべきという「克己復礼」を唱え、これを仁とした、と述べています。仁とはまあ、まごころ(忠)と思いやり(恕)を基本として、社会全体の人間関係における決まりや形(=礼)に従うこと(=克己復礼)としている為、これは正解です。尚、仁を実践する人のことは「君子」と呼ばれますね。
 は、孟子が、損得を抜きにした人情というか、哀れみの心そういうものを「惻穏の心」として、それを成長させることで礼となるとしています。惻穏の心を成長して成るのは仁ですね。(といってもこれ覚えている人どれだけいるのか・・・)孟子は、礼に達する素質としては「辞譲の心」を挙げています。これは人を敬い、譲る心、「へりくだる心」ともいえるかもしれません。まあ、そんな訳でイは誤りとなります。
 は、墨子が葬祭について華美な葬祭の実行こそ死後の親に対する礼であるとし、社会全体の富を増やし人民を幸福にすることに繋がるとしていますね。逆ですね。死者のせいで生者の暮らしが苦しくなっては本末転倒だ、というのが墨子の考えであり、「節葬」を勧めています。つまりウも誤りです。
 そんな訳で、ア→正 , イ→誤 , ウ→誤 となり、答えは3となります。

問3

 ここではイスラム教に関しての基礎知識の問題となります。(この問題、少々文章表現の部分で微妙な気はするけどどうしようもない悲しさ・・・)
 1は、イスラム文化が古代ギリシャ思想から距離を置いて、アリストテレス哲学を否定したとしています。イスラム圏のおかげで生き残ったギリシャの書物、いっぱいありますが?というより、その意味でイスラム圏は貪欲に知識を吸収していった傾向にありますよね。まあそんな訳で1は違います。
 2は、共同体(ウンマ)において、神の前の信徒の平等について語っていますが、「共同体の範囲が民族や国家の枠組みを超えない」としています。じゃあどうやって世界中に広まったという話ですね。基本イスラム教は懐が深いです。なので2も違います。
 3は、神の平和の実現の為の努力をジハードとし、且つ「外敵に対する自衛の為の武力行使は含まれない」としています。普通に武力行使のジハード、あります。ジハードには二つ、「大ジハード」と「小ジハード」に分かれます。大ジハードは、個人の信仰を深める為、内面での努力を指しますが、小ジハードでは異教徒に対しての戦いを指します。まあ、基本的にアラーに従わないものへの葛藤とか戦いと思えばあながち間違いではないはずです。(信仰に葛藤はつきもの・・・)・・・はい、そういう訳で3も違います。
 4は、イスラム教において「モーセを預言者として認めている」という内容ですね。間違いはないです。これが正解です。(その上で・・・文章を読んだときに感じたのが、「イスラム教特有」みたいな文脈に感じたんですよね・・・そんなことはないです。キリスト教もユダヤ教もモーセは預言者です。文章表現のしようがないのでしょうがないんですけど、ちょっと・・・)・・・まあ、それはおいておいて、「預言者」ですね。預言者とは、即ち「神から言葉を預かり伝える者」となります。同音異義語に「予言者」というのがあり、こちらは「予め未来を知って伝える者」みたいなものになります。これはまったく別物なので、注意してくださいね。
 はい、という訳で答えは4となります。

問4

 ここではより良い生き方についての思想ですね。生き方といえば哲学かと思えば宗教で3つも選択肢が埋まっているというのもまた・・・
 1は、アリストテレスが知性的な徳の中でも実践的な徳「思慮(フロネーシス)」を働かせて、行為や情念に過不足ない状態を保とう、という内容です。これは即ちアリストテレスの中庸の概念になりますね。従って、これが正解となります。
 2は、三元徳として「信仰、正義、愛」を挙げています。正義じゃない、希望だよ。そもそも正義とは神であり、人間は原罪を持っている、としていますよね。確かに正義は良い物ではありますが、人間は正義にはなり得ないという立ち位置かと。三元徳とは、第一コリント13のラストに、いつまでも残るものとして挙げられた物です。キルケゴールが絶望を死に至る病とした時の「絶望」もやはりここと関係があるのでしょうが、長くなりそうなのでそれはまたの機会に。そんな訳で、2は違います。
 3は、イエスの「実に神の国はあなたがたの中にある」という言葉を黄金律として、ミルの功利主義の精神を表現するものとして後に重視されたとしています。黄金律って、起源はキリスト教より古いですよ。もともとは「応報」思想に基づく格言だったそうです。そこから分かるように、キリスト教とも関わりはありますが、それは「隣人をあなた自身のように愛せよ」の方です。「神の国はあなたがたの中にある」というのは、ルカ17章の20節辺りの話で、そもそも「神の国はいつくるのか」という問いに対する答えになります。これはそもそも問い自体が間違えていることを指摘した上で、イエスのわざによりもう既に来ている、という内容ですね。でもここ、めっちゃ難しい部分だからこれ以上はやめておきましょ・・・(こんなの普通教えるかな~・・・)まあ、そんな訳で3も違います。
 4は、大乗仏教が修行の妨げにならないように慈悲の実践を控えることを推奨したとしています。多分それ、上座仏教ですね。大乗仏教の大乗とは大きな乗り物のことを指し、利他の精神を示します。「俺らは沢山救えるけど、おめーらは自分たちしか救えねえじゃねえか!器小せえな~!!!」と、上座仏教を煽ってる部分もありますね(上座仏教のことを「小乗」としている)。仲良くすればいいのに・・・そんな訳で4は違います。
 ということで、答えは1となります。

問5

 ここでは穴埋め問題となっています。aは読解力でごり押し、bは知識でごり押しするしかないです。
 aは、「真理を見ようとせず、無知による害を受けかねない」が正解となります。資料の一番最後に「事故への欺きと無知にとどまる者こそ、害を被っているのである」とされているのですから、一目瞭然ですね。もう一つの無益な議論を避けることで、自分にとっての真理に対して誠実である、という主張が正しいとすると、Bの文章のaの直前、「不快な思いをしたりするのが怖くて、議論を避けたわけだから」というネガティブな文章にはなっていないでしょう。
 bは、「喜怒哀楽の情念に惑わされない人間が賢者である」が正解です。これは覚えていないと無理でしたね。もう一つの「人間は情念をありのままに受け入れて、惑わされないようにすべき」という主張は、エピクロス派のものです。どちらもヘレニズム期の派閥なので、ややこしかったのではないでしょうか。一応、「ストイック」という言葉の意味や雰囲気をある程度理解しているのであれば、ストア派がどちらか判断できたりはします。・・・が、そんな裏技覚えるよりかはちゃんと暗記した方が断然早いですね。
 そんな訳で、正解は1となります。

問6

 ここでは、間違えた文章を探す問題となっています。ちゃんと問題読んでいないと、喜々として1番辺りを選んで不正解にされることでしょう・・・
 1は、資料1が様々な言葉や概念が相対的なものにすぎず、聖人は言葉に依らない教えを行う、としています。実際資料にも「相対的な関係にある」「聖人は無為を決め込み、言葉に依らない教えを実行するのだ」とありますね。1は正解です。
 2は、老子が人々が道から外れて、文明や道徳を人為的に作ったことを批判したとしています。「大道廃れて仁義あり。智慧出でて大偽あり」と老子の言葉として残っている為、これも正解です。
 3は、聖書の旧約の意味をユダヤ教徒の誇りとしています。キリスト教からの呼び名なんですが。旧約とは古い約束のこと、新約とは新しい約束のことです。イエスにより、今までの約束から、新しい約束へと更新された、と考えるのがキリスト教なんですよね。したがって、3が誤りです。
 4は、資料2をヨブが自分の卑小さを忘れて神に楯突いたことを反省している様子としています。これはヨブ記40章の1節から5節辺りですね。その通りですので正解です。余談ですが、ヨブと言えば、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」と言う言葉もありましたね。
 はい、以上より、ここでの答えは3です。間違えた方は、ちゃんと問題文を読みましょう。

問7

 ここでは仏教の問題となりますね。aは読解力でごり押し、bは知識でごり押しです。
 aは、「論争は称賛を得ること以外には何の役にも立たず、称賛は心の高ぶりを生み出すことで人を害するため、人は論争すべきではない」が正解となります。資料にも「論争をやめるべきである」「称賛の獲得以外に何にもならないから」「称賛されると(中略)喜び、心高ぶる。心の高ぶりによって、彼が害されることになる」としていますよね。尚、「論争の勝者には驕りが生じ、論争の敗者は失意に陥ることになるため、論争は勝者のためにも、敗者のためにもならない」というのも正解です。この二つについて、bによって分けます。尚、他二つは論争を完全に否定しきっていない、という特徴があり、その点で間違いと分かります
 bは、「自己への執着が苦しみの原因であると主張した」が正解となります。ここでいう苦しみの原因とは、所謂「煩悩」ですね。煩悩は、「貪(むさぼること)」「瞋(怒ること)」「癡(愚かしさ)」の三毒などの、「欲望・執着・感情」のことです。尚、間違いである「身体を苦しめる修行によって真の自己を見いだせると主張した」ですが、ブッダの教えにある八正道の中道、即ち「快楽からも苦行からも離れる事」とありますね。
 という訳で、答えは1となります。

問8

 ここは文中の穴埋め問題ですね。選択肢の内容は全て正しいそうなので、単なる読解問題でしょう。
 先に答えを言います。答えは2です。
 aを含む文章を見てみると、「議論をしてはじめて真理へと至る道が開けてくるとも考えられるよね」と議論に肯定的な分となっています。その後も、「倫理の配布資料にも似た話が書いてあったね」と続くので、aに入るのは議論に肯定的なものとなります。すると、肯定的な内容って2以外ないんですよね。なんと単純な。記述内容が全て正しいとわかっている点においてもやはりこの問題を簡単にしてくれています。問題しっかりと読めばですが。(私は記述内容が全て正しいという文言を見逃して相当な時間悩む羽目になりました。賢き皆様は同じことをしませんよう・・・)

第2問

 第2問は日本思想です。ぶっちゃけ、日本思想は我々が日本人故に難しくなりやすい傾向にある気がします。知らなきゃ何も答えられないくらいには・・・来年以降受ける方は、ある程度重点を置くべきかもしれません

問1

 古代日本の信仰やそれに関係する思想を問う問題ですね。日本神話とか日本の古文が好きな人であれば何の問題もなく解けるかもしれません。
 1は、「自然との調和を重んじる」「自然を利用して共同体の繁栄を理想とする」「自然の中に神が存在することを認めない」の3つですね。最後、八百万神ってもろ自然信仰の考えですよね。普通にアニミズムですね。神木だの言うものが現代でも分かりやすい例かと。という訳で違います。
 2は、「自然との調和を重んじる」「自然に逆らわない」「災厄に対しては身を縮めるのみで一切の祭祀を行わない」としてます。じゃあ神道ってなんなんだ。それ以外もあるけど。祟り神に対しては鎮める為の儀式を行い、あまつさえ守護神にしようとしたりしますね。また、神道は厄払いとか禊とか祓いとか、災厄を追い払おうとすること多いですよね。(日本って、なんか神とか言いながら自分たちが良いように操ろうとする所がある気がしていて、そういう意味で日本では悪い方向に宗教が変質しやすい気はする)コホン。ということで2も違います。
 3は、「純粋な心を重んじる」「生まれながら罪を持っている」「神と一体となることを目指す」の3つですね。そういう意味では日本は性善説の方が近いでしょう。というか2つ目、これだと原罪になるからキリスト教ですね。んで3つ目・・・神となろうなんてそれどこの宗教でしょう。「ミンナデ*** 神ニ ナル!」・・・まあ、ツッコミはこれくらいにしてこれも違います。
 4は、「純粋な心を重んじる」「偽りのない心で神と向き合う」「祭祀を妨げて共同体の安穏を脅かす行為を罪」の3つですね。よく聞くかもしれませんが、日本は結構共同体を重視し、出る杭は打たれます。互いに監視しあって、同調を良しとする文化・・・少しばかりいやになりますよね。また、神と向き合う時の偽りなき心、これは清明心(きよきあかきこころ)と呼ばれるものです(といっても日本においてはちょっと水で禊をしたり祓いをするだけで簡単に取り除ける罪穢れしかないんですけど。なんて簡単な)。・・・日本批判はここまでにして、これが正解ですね。
 そんな訳で、ここでの答えは4になります。

問2

 ここでは所謂十七条憲法(今は憲法十七条が普通なんですね)の問題です。小学校から資料集等には出ているし、歴史で散々やったとは思うので、その記憶さえあれば問題ないのではないでしょうか。ただし、正誤の組み合わせなので基本全部わかっていないと解けないでしょう。
 は、「一に曰く、和をもって貴しと為し、忤ふることなきを宗とせよ。人皆党有り、また達れる者は少なし。或いは君父に順ず、乍隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」の話です。問題では「和をもって~」の意味を人々が出家して仏教の真理を体得することで共同体の調和が実現されるとしています。日本語の問題ですね。問題文に書かれていない「忤ふることなきを宗とせよ」から分かるように、争いを避けて逆らうな、という感じですね。(権力者に対しても注意を入れているのに歴史上のひとたちはどれくらい守っているやら・・・)そんな訳でこれは誤です。
 は、「二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉がるを直さん。」の話です。二文目が答えですね。覚えていたら勝ちです。当時はしょうがないでしょうけど、今これをそのまま扱ったら間違いなく燃えそうですね。そんな訳でこれは正です。
 は、「十に曰はく、忿を絶ち瞋を棄て、人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。心各執ること有り。彼是なれば吾は非なり、我是なれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理、誰か能く定む可き。相共に賢愚、鐶の端无きが如し。是を以て彼の人は瞋ると雖も、還て我が失を恐る。我独り得たりと雖も、衆に従ひて同く挙へ。」の話です(長い・・・)。問題では、「共に是れ凡夫のみ」という言葉について、「誰もが欲望にとらわれた存在である」とし、「他人に意見を求めることを無意味」としています。ここの条項は、どちらかというと相対論(=相対主義)に近いです。簡単に言うと、「互いに相対的な関係でしかなく、どちらかが優位である訳でもないのだから、相手と考えが違うからと言って怒るんじゃない」ということです。また、最後の方で言われているのは「相手が怒っているならば自分が間違えていないから振り返ろ、自分が何か考えあるなら周りの意見を聞き入れろ」ということです。なので他人に意見を求めることは無意味ではなく逆に推奨してますね。そんな訳でウは誤です。
 という訳で、答えは5です。ここでは、アとウだけ正解してイが分からないだけならば、自ずと答えは出ますね。そこまで分かる人ならイも分かるというのは置いておいて・・・

問3

 ここでは日本仏教についての問題です。はっきりといって、これは知らなきゃ無理だし、知らない人が多いのでは?と感じますね。
 aは写真を見ながら、「明恵」なる人がどの宗派かを当てる問題です。Dが「みな同じ姿勢をとっているように見えます」と言ってることから、三枚の写真はいずれも「座禅」を組んでいることが伺えます。すると、専修念仏である浄土宗は直ぐに除外できます。あとは知らなきゃ無理ですが、一応答えとしては華厳宗となります。資料集にもちょろっとしか出てないんですが。尚華厳宗は南都六宗の一つであり、仏教教義の研究者と言えそうですね。
 bは、写真の意味する所を推し量る問題です。・・・と言いたかったのですが、間違いの方、「修行においてはひたすらに念仏を唱えることが重視され~」の部分を見ると、aの方でも解説しましたが「それじゃあ座禅組まないだろ」となる訳です・・・なんてことはない、ただの消去法の問題でした。尚、正解の「心身の在り方を重視する修行がなされ、悟りを目指す実践の原点にブッダ依頼の修行が据えられた」というのは、まんま座禅についての内容ですので、こちらからも答えは自ずと分かるでしょう。
 という訳で、答えは1となります。華厳宗と明恵、ほぼマニアックな感じがしますが、これを知っているかが分かれ目になっていましたね。

問4

 ここでは本居宣長の「真心」を理解しているか問う問題となっています。「真心」を文として暗記しているだけでなく、その意味する所を正確に捉えているかが問われている訳ですね。
 1は、「約束を守ることは人として当たり前」「誰もが物事の善悪を考えて道理に従って正しく行動すれば万事うまく行く」と言ってますね。真心を簡単に表現すると、「ありのままに共感する心」または「感性」となります。彼は中国かぶれ、つまり儒教(彼と同じように言うなれば「漢意」)に染まってしまった日本人を批判しています。この文だと、論語の「克己復礼」そのものですね。従って、1は間違いです。
 2は、「よく怒るなんて大人げない」「心の状態に関わらず、自身の立場,役割を考えて親切にすることが大切」としています。真心は逆に情動的な話ですので、間違いですね。
 3は、「悲しい時は泣け、嬉しい時は喜べ、それが人間だ」ということですね。「感じたままに」自然に受け入れる考え方こそ真心と言えますので、これは正解でしょう。
 4は、「感情に任せて他人と争うとは愚か」「一時の感情に身を任せず、丁寧に説明すれば分かりあえる」としています。感情を愚かとしているのは真心じゃないですね。という訳で4は間違いです。
 そんな訳で、答えは3になります。

問5

 ここでは、安藤昌益の思想を選択する問題です。全ての選択肢が誰かの実際の思想ですので、不自然さから選ぶという器用なことは難しいです。こんなの知るか!というのが率直な感想・・・
 1は、町人が経済的な力を持つようになったことを背景とし、町人の生き方を肯定、(問題文上)「ただの町人こそ楽しけれ」と唱えたとあります。これは西側如見ですね。でも「ただの町人こそ楽しけれ」が正しい・・・まあ、どちらにせよこれは間違いです。
 2は、天道を受け止めながらもひたむきに努力する人道が大切であり、分をわきまえて倹約に努める報徳の実践を重視とあります。これは二宮尊徳です。この倹約とあと勤労によって、生活に余裕を残すことは分度とし、その余裕で社会貢献等することを推譲と呼んでましたね。彼は農民に関する思想を展開しています。尚、知っているとは思いますが、彼こそかの有名な二宮金次郎です。まあ、どちらにせよ正解ではないです。
 3は、あらゆる差別と搾取を排除した平等な社会を理想とし、武士が農民を支配するという封建的社会を法世として批判、とあります。これが安藤昌益ですね。この平等な社会については「自然世」と呼ばれ、そこでは全ての人が農業をするという「万人直耕」がなされているそうです。彼は飢饉を相当経験したそうで、自分で耕さない人を不耕貪食の徒として非難し、さらにそういう人たちに広まっていた儒教や仏教も否定したそうです。でも彼のことは殆ど分かっていないという謎人物・・・まあ、とにかくこれが正解です。
 4は、人間が本来持っている心情と、社会において守るべき道徳との葛藤に着目、その相克に苦しみながら生きる人間の姿を浄瑠璃に描いたとされています。これは近松門左衛門ですね。彼は義理人情を描いた人形浄瑠璃が有名ですね。代表作は「曽根崎心中」。残念ながら、問題としては間違いです。
 そういう訳で、答えは3です。2と4は有名だと思うので、1と3で悩んだ、若しくは覚えてなくて分からん!という人が多かったのではないでしょうか。

問6

 ここでは、二つの思想が誰のものか、組み合わせを答える問題になっています。選択肢は3人存在しており、全ての組み合わせがあるので、どちらも完璧に当てないと正解できない仕様となります・・・尚、近代日本思想です。
 は、「キリスト教的人道主義」と「競争、階級の無い平等な社会の実現を目指す」の二つが特徴的ですね。このような近代の社会主義思想の中で、選択肢で正しいのは安部磯雄となります。社民党結成メンバーの一人ですね。とある解説にはキリスト教的人道主義という部分が難しくしているとありますが、社会主義として覚えていればこれは結構簡単に行ける気はします(そもそも覚える、というのが辛い訳ですが)。
 は、「現実的な政治の世界に理想の実現を求めた後に文学の世界へ」「自己の内部生命の要求を実現することを求めた」ということでした。政治の世界から文学の世界、という構図がとても特徴的で、正しいのは「北村透谷」となります。尚、挫折と自己批判の中で自己の内面世界における自由と幸福を重んじるこの理論を内部生命論と言うそうです。
 尚、間違いである石川啄木は、根からの詩人、文学人です。のちに社会主義へと傾倒したのでその点で惑わそうとしているようですが、しかし彼はやはりメインが文学ですので・・・
 そんな訳で、答えは4です。

問7

 ここでは、西田幾多郎と親鸞の思想の間違い探しをする必要があります。仏教問題ホント多いですよね~・・・(´・ω・`)
 1は、美しい音楽に心を奪われて我を忘れるような主客未分の体験を純粋経験と呼んだとあります。純粋経験とは、主観と客観とが区別される以前の少しも思慮や分別が加えられていない、真に経験そのままの最も直接的な意識現象とされています。音楽に心を奪われるというのは、別に「その音は何か」という判断以前であり、私という主観と音楽という客観が一体となった意識現象である、とされており、この内容は正しいです。したがって1は間違いですね。
 2は、純粋な知の働きによって真の実在を認識、自らの在り方を反省し、真の自己が実現されるとされてますね。西田は、純粋経験に本来の自己の根源と真の実在の根底を見ようとしています。純粋経験が分化発展して主客が分離、そして反省の意識が登場し、主客未分の直感と反省を統合して「自覚」の働きが生まれるとしました。全然問題文と言っていることが違いますね。そういう訳で内容が誤りなので、これが正解となります。
 3は、親鸞が自己の内面に捨て去れない煩悩があることを見つめ、自身が煩悩を捨てきれない悪人だと自覚することを重視したとあります。彼は悪人とは煩悩具足の凡夫のことであり、煩悩を自力で断ち切れない、他力に身を委ねるほかない人と言っていますね。従ってこの内容は正しいので、問題としては間違いです。
 4は、親鸞が自然法爾という考えを示し、悟りを求めようとする自力を捨て、阿弥陀仏の働きに身を委ねる在り方を説いたとあります。彼は欲望がなくならないことに苦悩した人は、その分阿弥陀仏に縋るしかないと自覚した時のその縋る気持ちが強くなり、阿弥陀仏はそのような人を救うだろう、という考えを取っており、信仰を重視します。自分でなんとかするのではなく、阿弥陀仏に全てを委ねてしまうその考えは、絶対他力と呼ばれます。ということでこの内容は正しいですね。従って問題としては間違いです。
 そういう訳で、答えは2となります。

問8

 これは近代における理想について、二人の会話の穴を埋める問題ですね。資料をいかに読み解くかが問われており、珍しく知識を問う問題じゃないです。もっとこういう問題増やせばいいのに・・・
 1は、理想が「今ある現実を無条件に肯定し、日常の苦しみを解消してくれる」ことだと言っています。どこが理想なんでしょう。ちょっと意味を考えればおかしいことに気づけるかと。
 2は、理想が「いつでも現実と齟齬なく合致し、今ある現実の意義を保証するもの」としています。これ、理想と現実の違いが無いことになりません?合致するならば理想なんていう概念は必要ないでしょうね。その前に資料に「理想が理想たるかぎりはそれは現実と矛盾する」とあるのですから、違うことはすぐ分かるでしょう。
 3は、理想が「現実のありようを一方的に否定して、現実そのものを消し去ろうとする」とあります。しかし、資料には理想を「現実を指導して行くところにある」とある訳で、消し去ろうとはしないです。したがってこれも違います。
 4は、理想が「現実と理想の隔たりを浮かび上がらせ、現実を向上させる原動力となる」としています。実際そうですよね。理想とは即ち目指すべき目標ともいえるでしょう。現実が違うけど最も良い、目指すべき場所が理想だからこそ、それを追い求める訳ですね。したがってこれが正解です。
 ということで、答えは4になります。数少ない知識がいらない問題・・・

第3問

 ここでは、ルネサンス以降、近代西洋思想を取り扱っています。ここでは、生徒と先生の物語が繋がっており、一番最後はその纏めを行うような形になっています。面倒でも全て読みましょう。

問1

 ここでは、ルネサンス期のピコ=デラ=ミランドラの思想の説明を選ぶ問題となっております。印象的な魔女狩りの話はまだなので一旦忘れましょう。
 ここでは、二つの事柄について組み合わせとなっているので、それぞれの事柄から説明します。
 まず、ピコ=デラ=ミランドラは「人間は他の動物と違う」ことを強調し、そして他の動物と何が違うのかというと「自由意志を持っている」ことだとしました。これにより、自己の在り方を自分で決めることができることに、彼は「人間の尊厳」を見出したんですね。尚、彼の論文「人間の尊厳について」ではアダムに神が自由意志を与えたことを伝えるような形の書き方がされています。、彼はキリスト教もユダヤ教も古代ギリシャ思想を中心に統一されるべきだと考えており、ルネサンスらしいというか、人間中心的な世界観と言われがちです(その辺りは色々と思うとこr・・・)。
 まあ、そういう訳で、答えは3になります。

問2

 ここでは文章中の穴埋めとなっていますね。しかし、「適当でない」ものなので、入れて不自然な物を選べば良い訳です。で、前の部分を読むと「思考停止に陥って少数を迫害したのが魔女狩りだとすれば、同様のことは今日でも十分怒り得る」とし、その例示を答えることになっています。
 1は、多くの人々が眼前の困難に向き合う責任を回避するために特定の集団に責任転嫁して彼らを攻撃するとあります。ナチス・・・回避する為の責任転嫁は十分思考停止と言えますし、攻撃するとなるとそれは迫害と言えますので、これは当てはまります。従ってこれは間違いですね。
 2は、多くの人々が思想信条が自分たちと異なる人を異なるというだけで迫害し、自分たちを正当化しようとするとあります。もろ魔女狩り・・・(魔女狩りは正確には政治的目論見がかなりありました。間引きみたいな・・・ただ、その内容としてはまさにこういうことなんですよね・・・)迫害に思考停止、どちらも満たしているのでこれも間違いです。
 3は、権力者が自分に対する社会の不満をかわす目的で敵に仕立てた相手を身代わりにしてそれを多くの人々が鵜呑みにして糾弾するとあります。ナチス・・・そしてかんk[流石に規制]・・・でもそうやって標的作って団結しても結局はお上が問題であればいつかは崩壊するしかないと思うんですけどね~・・・(´・ω・`)「今を生きる権力者」・・・はい、どちらにせよ現実を見ないで簡単な方へ流されている時点で思考停止しているし、その標的を攻撃するんだから迫害してますね。これも間違いです。
 4は、世の中に広がる漠然とした不安を自分なら解消できると主張する人を多くの人々が根拠を確かめずに熱狂的に支持する、とあります。アメリカにいましたね、そういう人・・・これも思考停止には陥っていますが、「迫害」はしてないですね。支持してるだけだから。(でもそうやって上手く行かなかったときの行き着く先って・・・)そういう訳でこれは当てはまらないので、正解は4となります。
 という訳で、答えは4です。皆さんもお気づきでしょうが、4だけ文章に攻撃性が含まれていないんですよね。そこに気づけばすぐにできるでしょう。

問3

 ここはデカルトの方法的懐疑の説明を答える問題ですね。ちょっと引掛けがありますが、ちゃんと理解していれば問題なくできるでしょう。
 1は、デカルトが僅かでも疑わしいものは真ではないとみなす方法的懐疑を経て、精神としての自己の存在を哲学の第一原理として見出したとしています。所謂「われ思う、ゆえにわれあり」です。当然これも疑うことはできる(例:この世界は誰かの夢であり、そもそも我々の存在自体が精神としても無いとすることは可能だろう)のですが、デカルトはどこかで疑ってはいけないものに行き着くとして、それが彼は精神としての自己だとした訳ですね。彼は思考をストップさせたかった訳ではないので、まあ、しょうがないともいえるでしょう・・・そういう訳でこれが正解です。
 2は、デカルトがかごに陥ることを避ける為に結論を導くことを回避し続ける方法的懐疑を自身の哲学の中で実行し続けたとしてます。彼の有名な論法に三段論法というのがありますが、これは三つ目で結論に至ります。「われ思うゆえにわれあり」も、結論と言えますね。これからも分かるように、これは違います。
 3は、疑わしいものに関する真偽の判断を差し控える方法的懐疑の過程で、数学上の真理だけは疑い得ないことに気付いたとしています。しかし彼は数学的真理も疑おうと思えば疑うことができるとしていますので、これも間違いです。
 4は、自分の感覚を疑うことは不可能であるという経験から出発して、あらゆる知識を方法的懐疑にかけ、その真偽を見極めるに至ったとしています。方法序説の中で、「われわれの感覚がわれわれをときには欺くゆえに・・・」と続いています。普通に感覚を疑ってますね。ということで4も違います。
 ということで、答えは1となります。

問4

 ここはまた穴埋め問題になっていますね。誰の思想かで二択、その人の主張で二択という構成になっています。
 まず誰の思想かという時、Gが「人間知性論」著者であり、人間の心を「白紙」になぞらえたとしていますので、ロックです。これは覚えていないと無理ですね・・・
 で、ロックの思想について。「白紙」の概念は、人間の心は元は白紙(タブラ・ラサ)であり、そこに経験によってあとから様々な観念が書き込まれていくのだ、としています。そういう訳で、彼は生まれながらの観念、「生得観念」というものを否定しています。
 ということで、答えは4になります。尚、ヒュームは実体としての精神を否定し、知覚は常に変化し、心とは流れゆく「知覚の束」であるとしています。また、因果関係をある観念と別の肝炎んがいつも結びついているとする心の習慣や信念んに基づくものとし、客観的法則ではないとしています。まあ、懐疑論ですね。

問5

 ここでは、ヘーゲルの弁証法について正誤の組み合わせを答える問題となっています。どちらも知識を問うものとなっていますが、結構重要な話だから取りたい所ですね。
 は、弁証法が精神が自由を実現する過程を貫く論理であるとし、全て存在するものはそれ自身と矛盾するものを内に含み、その対立を通して高次の段階へ至る,この運動が個人のみならず社会や歴史の進展にも認められるとしています。ちょっと難しく言うのであれば、正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)の二つからそれらとは違う、より良いものを見つけ出して高次段階へと押し上げるのが彼の弁証法です。また、法と道徳を弁証法で統合し、人倫へ、そしてその段階を三段階あるとし、下から順に家族(1から多へ)、市民社会(多から1へ)、そしてその二つから止揚されて国家へと至るとしています。ということでアは正です。
 は、止揚は否定と保存の意味を併せ持つ言葉とし、弁証法において対立・矛盾する二つのうち真理に近い方を保存し、他方を棄却、矛盾を解消するものとしています。しかし、止揚とは、二つの相反するものの矛盾や対立を乗り越えていちだんと高い次元に以降することを言います。止揚した結果は「合(ジンテーゼ)」です。元の正とも反とも違うものであることが重要な訳で、保存はしません。そうやって得られた合は、正として扱ってまた止揚へと持っていく・・・と続いていくのです。ということで、これは誤です。
 したがって、ここの答えはイとなります。

問6

 ここは限界状況についてのヤスパースの思想の説明ですね。限界状況についていかに理解しているかの問題ですが、しっかり理解していないと相当難しいかもしれません。
 1は、限界状況を人間の力では回避できない人生の困難とし、生きている限り誰もが行き当たる壁だが、これを克服したときにはじめて自己の正の真実に触れることができるとしています。ヤスパースに言わせれば、人間は限界状況に屈服し、挫折し、自己の有限性を思い知らされるとしています。自己は乗り越えますが、限界状況を克服できるとは言っていません。従ってこれは間違いです。
 2は、限界状況に直面し、自己の有限性を自覚、自身が何者にも支えられない無力で孤独な存在であることを知った人は神のような超越的存在に頼ることのない、人間同士の実存的な交わりを求めるようになるとあります。ヤスパースは、自己の有限性を自覚してそれを超えることで自己を支えている超越者(包括者)に出会うことになるとしています。この時点で間違いだと分かりますね。また、人間同士の実存的交わりは求めるようになる訳ではなく、限界状況で可能になるものとしていますので、その点でも違うでしょう。彼は実存主義ではあるものの、キルケゴールやニーチェと違って実存が孤独な在り方ではないとしているのです。という訳で2も違います。
 3は、限界状況と向き合い、真の自己を求める者同士で心を開いて語り合うのが実存的交わりであり、自己の全てを賭けたこの全人格的な対話に身を投じることで互いの実存が明らかになるとしています。よく実存的交わりについて説明されているかと。ということでこれが正解です。尚、ここで言う対話は互いの在り方を厳しく検証する関係であり、且つ理解しあおうとする関係で、このことを「愛しながらの戦い」と表現しています。だからこそ自己の全てを賭けるんですよね。
 4は、限界状況に直面した時、人は絶望し挫折する、自己の生の真実を理性によって捉えることはできないと悟った人は、理性に拠らない「愛しながらの戦い」を通じて、自己の実存に目覚めることができるとしています。ヤスパースは、人間が実存,真の自己として存在するためには、愛しながらの戦いにおける連帯が必要としており、その愛しながらの戦いとはコミュニケーションです。ならば理性に拠らないでいることはできませんよね。あと自己の生の真実を理性と捉えられないなんて話は出てきてないでしょう。ということで4は間違いですね。追記:彼の著書「理性と実存」で、「理性と実存はあらゆる様式の包括者において相互に出会いながら、我々の存在の一大両極をなしている。(中略)この両極の各々は、その一方の極が失われると、他の極も失われる」としており、実存は理性によってのみ明白になるし、理性は実存によってのみ内容を得るとしています。ということで、理性も実存と同じくらい重要視している訳ですね。
 ということで、答えは3になります。

問7

 ここでは、デューイと生徒のメモから、メモ中の穴を埋める組み合わせを答えることになります。aはデューイの主張についての知識問題、bは資料からの読解問題となりますね。
 aは、「知性には科学的真理を探究するだけでなく、生活の中で直面する問題を把握して課題の解決にむかって行動を導く創造的な働きがある」という文と「社会もまた知性の働きによって改善されるべきであり、知性には理想的な民主社会の実現に向けて重要な役割を果たすことが期待される」という文の二つが正しいです。デューイはプラグマティズムの大成者とされており、知性もまた、環境に適応する為の道具として扱います。これを創造的知性と呼ぶのです。当然知性は道具でしかないのですから、理想社会の実現の為の道具にもなりますので、二つ目も間違えていません。
 続いてbは、「思考の役割は自然な衝動や願望を抑えつつ、自己を取り巻く客観的な条件を観察したり、過去の事例を振り返るなどして、自分がこれからなそうとする行動の当否を吟味することだ」が正解になります。資料の「立ち止まり、考えよ」というのや、「思考は衝動が即座に現れることを食い止め、(中略)それによって、いっそう包括的で一貫した行動の見通しが形成されるから」の文章から分かりますね。過去の記憶を重視している点が一つ重要となるでしょう。
 ということで、答えは1になります。

問8

 はい、ということで、ここでは今までの生徒Fの視点から作られたレポート(?これはレポートというより感想文・・・)の穴埋めをします。文章を振り返る必要がありますが、ちゃんと読めていれば簡単かもしれません。
 aは、「物事を批判的に捉え返すために必要な思考の材料が不足している」が正解です。これは思考停止の理由ですね。Ⅱの会話の冒頭のFが「知識さえあれば、他人の意見などを鵜呑みにせず、疑ってみることができる」と書いている為、ここから推し量れます。扱えるか云々ではなく、量を重視していた点がポイントです。
 bは、思考停止を避ける為の手法として先生が提示した考えとして、「日々の暮らしの中で経験されるようなありふれた物事の中にも考える種はあり、それが自身の思考を深めるきっかけになり得る」が正解となります。また、「何かが心に引っかかった時、他の誰も気に留めないようなものであっても、それを手がかりにすれば考えを進めていくことができる」というのも正解でしょう。どちらも、Ⅲの会話の終盤の内容ですね。
 ということで、答えは2になります。この辺りは哲学対話や子ども哲学に通じる所がありますね。

第4問

 最後は現代の諸課題と倫理といった所でしょうか。まさに哲学というよりかは道徳性とか倫理性に関する問題が多いように感じます。思想史もやはり多くありますが・・・文章が長いですが、よく読み解けばそこそこ点数も取れるとは思います。しかし読まないと悲惨なことになりかねない・・・

問1

 ここではまた穴埋めの組み合わせ問題となっています。aは知識的、bは読解の問題ともいえるのですが、ここのaはちょっと特殊で読解からの推測でも行けますね。
 aは、その含まれる文、「aことも、彼と同様の考えに基づくものだったようだ」から、その前に書かれた内容に近い物が入ると推測されます。で、前に何が書かれていたかというと、「ヨナスが未来世代に対する責任の重要性を説く,その思想の背景には、自然を壊滅させて人類を滅ぼせる科学技術を手にしていることが挙げられる」とされてました。で、「国連人間環境会議で「持続可能な開発」が提唱された」というのは、確かに環境問題としては自然を壊滅させて人類を滅ぼせるかもしれませんが、それはちょっと直接的ではなく間接的ですよね。ということで違います。で、「ハーディンが地球を宇宙船という閉ざされた環境に喩えた」というのは、宇宙船地球号の話でしょう。これは、資源の有限性について語ったものですので、基本国連人間環境会議の言う持続可能な開発の必要性と変わりません。ですのでこれも違いますね。で、最後の「ラッセルとアインシュタインが核兵器の廃絶を主張した」というのは、核兵器の使用に伴う被害の大きさが根本にあります。尚、これはラッセル=アインシュタイン宣言と言われるそうですが、この宣言3か月前にはアインシュタインはお亡くなりになったそうです。これを機に科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議会議へと発展し、ラッセルは核廃絶を訴えました。が、第2回以降、同会議のレオ・シラードらは核抑止論に立ち、核との共存を掲げ、結局最後はこれが採用されたという訳ですね。・・・思う所はありますが・・・
 bは、ヨナスの考えと同じ発想とされるKの考えを答えるものですね。ここで言うヨナスの考えは、「我々の行為と技術の影響を、遠い未来に及ぶものでも、できる限り知らなければならない」というものですね。で、なぜこのような考えに至ったと考えられるかと言うと、彼は「我々の科学技術が自然を危機的なまでに傷つけ、人類を滅ぼすことができるもの」としていましたね。そして「未来に対して責任を持つべきだ」としているのですから、彼は行為と技術の影響が未来の人にとって害となる行為が何かを知り、これを避けるようにするべきだ、と言っている訳です。そして、JとKの会話の内、Kが「個人の行動も未来に影響はするよ」とJに伝えています。これらより、「遠い将来の人であっても、私たちの行為で被害を受けることがある」という考えが、ヨナスとKの共通する発想と言える訳です。
 以上より、答えは5になります。知識はいらないけど、国語の問題みたいな読解力が問われますね・・・

問2

 ここでは、インターネットと我々の関係性について、デジタル・デバイド(=特にITの恩恵を受けられるか受けられないかという意味での情報格差)の具体例を選択する問題となっております。そもそもデジタル・デバイドという単語を知らなければできない問題ですが、それさえ分かるのであれば現代のネットに生きる我々にはたやすいかもしれません。
 1は、ネット上では本人の同意なく個人情報が書き込まれ、簡単には消せないという問題を挙げています。これは情報格差ではなく、個人情報の流出とかそっちの問題でしょう。ということで違います。
 2は、インターネットに接続しにくい地域に住む為に教育や就職の機会において不利になっている人がいるという問題を挙げています。教育や就職でインターネットと言えば、出願関係も勿論そうですが、それよりも「情報が手に入るか=情報格差」の問題となります。冒頭にも書いたように、デジタル・デバイドとはITにおける使えるか使えないかという意味での情報格差と言える為、これが正解となります。
 3は、ネット上では考えを共有する人同士が結びつき、それ以外を無視したり排除し、極端で攻撃的な方向に走る危険性を語ってますね。2ちゃんねるですね。あとついったらんどもそんな感じがちらほら・・・これは情報格差ではなく、グループ化して排他的になりやすいことについてですので、違います。でもこれは本当に危険だから普段から注意していく必要がありますね・・・
 4は、企業、報道機関、政府等が情報を隠したり不正確な情報を流したりして、情報の受け手が適切に行動するのが難しくなるという危険性を語っていますね。でもこれはインターネットに限った話じゃないし、むしろインターネットはそれ以外の一般人や偽装された専門家による不正確な情報がエグイ量ある訳で・・・と話が脱線しそうですが、少なくともこれはITの恩恵を受けられるかどうかという意味での情報格差ではないです。従ってこれは間違いです。
 ということで、答えは2になります。

問3

 ここではなぜかいきなり青年期の課題と自己形成の問題になりました。問題は子どもの発達及び養育にかんする正しい記述を選ぶことになります。
 1は、子育てや教育が、家族よりむしろ保育所や学校等の組織に担われるようになったことについて、家族機能の外部化と呼ばれる事象の一例としています。これが正解な訳ですが、これらは「高度消費社会」「高度情報化」「個人主義」「価値観の多様化」等により進行しているそうです。まあ、誰かの思想ではないですね。
 2は、青年期の大人でも子供でもない不安定な状態をレヴィンが脱中心化と呼んだとするものです。脱中心化はピアジェですね。また、脱中心化の場合は、自己中心的観点からの物の見方から他者の観点からも物が見れるようになる児童期の働きとしています。レヴィンの方の考えは「境界人(マージナル・マン)」と呼ばれるものですね。そういう訳で2は違います。
 3は、子どもが親や大人の指示や保護に対して反発する時期の一つとして、7~8歳の頃の第二反抗期が挙げられるとしています。これはちょっと早すぎますね。どちらかというとギャングエイジと呼ばれる仲間と群れようとする時期ですね(小学校3~4年とよく言われます。尚、別に犯罪者とか悪者を指す「ギャング」ではないので注意)。対して第二反抗期は自我の目覚めによる自立への欲求の高まりとされており、現代日本では中高生辺りが殆どでしょう。従って、これも違います。
 3は、青年期において達成すべき発達課題の一つとして、エリクソンが周りの世界や自分自身を信じるという基本的信頼の獲得を挙げたとしています。正しくは「アイデンティティの確立」ですね。信頼の獲得ではなく、自分の生き方や自分らしさを模索する期間となります。ということで違います。
 そういう訳で、答えは1になります。青年期に関する教科書とかの解説、なんか子どもを舐めているようでいやになりますね。やらなきゃいけない訳ですが。

問4

 ここでは、ア,イとして紹介されている思想がそれぞれ誰の思想かを当てる問題になっていますね。選択肢は「パース」「メルロ=ポンティ」「レオポルド」の三人から組み合わせとなっている為、消去法はほぼ使えません。
 は、人間は身体を通じて世界を知覚し行動する,その身体によって世界の中に織り込まれるとした人です。簡単に言ってしまうと、「する方(主体)」と「される方(客体)」の両方が混ざっていると言う両義性についての文章ですね。で、この独特な考えの人は、「メルロ=ポンティ」になります。
 は、人間は生態系の征服者ではなく一構成員である,生態系という共同体を尊重し、他の構成員に配慮して行動すべきとした人です。読んで分かるように、これは環境問題についての内容ですね。人間至上ではなく、生態系全てが等しい関係であり、倫理に従って他構成員に配慮すべき、というこの考えは土地倫理と呼ばれるものです。そんな訳で、アメリカの森林官でもあった「レオポルド」が正解になります。
 ということで、答えは4になります。なお、選ばれていない「パース」はプラグマティズムの思想家ですね。それまでの伝統的な哲学の立場、絶対的な真理を退け、概念の意味を求める方法を行為と関わる実践的で科学的な方法によって行うことを主張しました。プラグマティズムの一番最初に出てくる人ですので、もしかしたらすぐに除去して二択に絞れるかもしれません。

問5

 ここでは、不当な支配に対する行動について、ガンディーの思想を答えるものです。有名なのでしっかりと文を理解できれば答えられるでしょう。
 1は、不当な支配に対して真理を把持し、全ての声明を尊重し平和を愛して暴力に拠らずに抵抗すべきであるとしています。まとめると、「非暴力不服従」ですね。これぞガンディーの思想です。尚、暴力に拠らない抵抗とは、ボイコット運動等が挙げられます。また、真理については「真理は神である」と言っており、彼にとっての真理が神を意味することが分かります。
 2は、不当な支配に対して生命に対する愛に基づく不殺生の立場を貫き、一切の抵抗を断念すべきであるとしています。これだと、非暴力ではあるものの服従してしまっています。ということでガンディーの思想とは異なります。
 3は、不当な支配に対して身体的な欲望のままに振る舞うことを旨とするブラフマチャリヤーを実践して抗うべきとしています。ブラフマチャリヤーとは、暴力の根源が怒りや欲望などとし、一時の感情に流されないように自分をコントロールしておく必要があるとした説です。つまり、欲望に従うとなると暴力へ至るとされ、非暴力ではなくなります。ですので、これもガンディーの思想ではないです。
 4は、不当な支配に対して暴力に屈せずに対抗する立場を徹底し、武力闘争を辞さず正義を実現すべきとしています。めっちゃ暴力じゃないか。普通に無いですよね。ガンディーの飛び蹴りでしょうか。当然間違いです。
 ということで、答えは1になります。3番だけちょっと知らない人もいるかもしれませんが、どちらにせよ「非暴力不服従」さえ覚えておけば、絶対そこに行き着かないだろう物を排除するだけで簡単に答えに至れるでしょう。

問6

 ここは地球温暖化の話題で、資料の下線部X,Yのそれぞれに合う事例をア~ウから振り分け、Xに該当するものを全て答える問題です。選択肢は全ての組み合わせがある為、どちらも答えが分からないとできません。しかし、これは暗記ではなく読解力でごりおせる、国語の問題ですので、しっかりと読めば答えられるでしょう。
 まずはX,Yについてみていきましょう。
 Xは、他人に危害を及ぼすのであれば、自分自身の利益になることであってもすべきではない、としてあります。現在の日本法に近いものを感じますよね。で、今回重要なのは「すべきでない」という規制的な方面の言葉であることです。
 Yは、危害を引き起こすときはいつでもその被害を受けることになる人に補償をすべきである、としています。なんとなく危害を引き起こすこと前提にして後から補償すれば良いみたいな文章に捉えることができてしまいますが、きっとそうではないので注意しましょう。ここで今回重要なのは、「補償をすべき」という規制とは違う、授与的な方面の言葉であることです。
 以上を踏まえ、ア~ウを分類します。
 は、化石燃料で動く交通・輸送手段の利用について、二酸化炭素が放出される為、生活者がその利用を控えるよう生活や仕事の場を近くに集約させてできる限りその地域で生産した物を消費する、というなんとも理想的な事例です。「化石燃料で動く交通・輸送手段の利用」というのは利益ですよね。でも「二酸化炭素の放出」というのは地球温暖化を促し、「自分以外の人たち」に結果的に危害を与えることになるでしょう。そしてそれを「控える」方向にもっていく、というこの話の流れは、紛れもなくXですね。
 は、牛は羊のゲップやおならが二酸化炭素の数十倍の温室効果ガスを出すので、消費者や企業はこれらの動物の肉・乳や毛・革の過剰売買と利用をやめて温室効果ガスの排出量を減少させる、という事例です。ここでは、「牛は羊のゲップやおならが二酸化炭素の数十倍の温室効果ガスを出す」というのが自分以外の人たちにもたらす危害となり、「牛や羊の肉・乳や毛・革の売買と利用」は利益です。しかしその利益について過剰でないようにする、つまり規制的です。従って、これもXですね。
 は、気候変動の影響で海面が上昇するため、温室効果ガスを大量に排出した人々や企業が、高波の危険に曝される人々のための防波堤の設置や海の近くに住めなくなる人々の生活や移住の支援のために資金を拠出するというものです。ここは、もはや危害は起きていて、危害を受けた人々に危害を与えた人々が「支援」、つまり補償をする流れです。従ってこれはYになります。
 以上より、答えは4になります。

問7

 ここでは、4ヵ国での自国や社会に対する意識調査の結果からなされる会話に合うよう、穴埋めをする問題ですね。倫理というか地理とかに出てきそうな問題ですね・・・
 aは、日本について、示される二つの資料から読み取れることを答える必要があります。ここでは、「他の国に比べて「わからない」という回答割合が高い」というのと、「他の国に比べると悲観的な回答や否定的な回答の割合が高い」の二つが当てはまります。決して「楽観的な回答や肯定的な回答の割合が高い」訳ではないのは資料を見ればわかるでしょう(=左側二色分の長さが他国のそれと比べて明らかに短い)。
 bは、韓国の本意識調査の結果から分かることを答える必要があります。まず「社会における問題の解決に関与したいか」について、肯定的回答(「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」)の合算はイギリスより高いですね。また、「自国の将来が明るいと思うか」では「明るい」及び「どちらかといえば明るい」は過半数に満たないです。実際は「時刻の将来が明るいと思っている人は少ない」「社会をよくする為に自分たちで問題解決しようとする人は多い」ということを言っている二つが当てはまります。
 従って、答えは2になります。でも間違いの答えどうしを比べるとaもbも言っていることが違うから、問題としてどうなんでしょう・・・そんな類推する人は殆どいないのかもしれませんが・・・

問8

 これは与えられたレベルを基準に、各レベルで与えられた問いにどのような答えが返ってくるかを答える問題ですね。述べられたレベルとその時の理由としているものに当てはまるレベルが合致するものが正解です。で、件の問いは「なぜ盗んではいけないか」です。
 1は、盗みが相手の幸福を脅かし、誰もが認める普遍的道理に逆らうことになるからとしています。これは、慣習的な理由ではなく、相手のことを考えた上で自分の理性と良心に従った結果得られるものでしょう。従ってこの説明のレベルは3です。それに対し提示されたレベルは2の為、これは違います。
 2は、親に叱られて嫌だから盗んではいけないとしていますね。これはどちらかというと獣性に近いというか、「鞭を避ける為」と言えます。このような理由である場合、レベルは1になります。ただ、提示されたレベルが2の為、これも違うでしょう。
 3は、警察に逮捕され、刑務所に入れられてしまうかもしれないから盗みをしてはいけないとしています。一見、これも「鞭を避ける為」なのですが・・・しかし「警察に逮捕され、刑務所に入れられてしまうかもしれない」という部分ですね。これらは社会の作り出した規則、つまり「法」に従う必要があるからと言っている訳です。社会性に近いですね。ということでこれはレベル2になるのですが、提示されたレベルが3の為、違います。
 4は、盗みが盗んだ物の所有者を人として尊重していない為、自身の正義に反するから盗んではいけないとしています。これは明らかに慣習による物ではないですし、理性的に自己で考え判断したものでしょう。そして提示されたレベルも3である為、これが正解です。
 ということで、答えは4になります。このレベルの話は、獣性→社会性→理性と進んでいるようで個人的には面白かったです。が、レベル3は中々大変だしその思考が曖昧ですね。レベル1の「自分が嫌だから、見返りがあるから」という獣性的、本能的な理由は受け入れられずとも分かる話でしょう(道徳性はほぼないかもしれないが)。次のレベル2は既存の権威や規則があるから、つまり共同体としての規範を守ることで群としてあろうとする考えは、社会性的であり、その根底のやや獣性ぽさがなんとなく分かる気はします。ただ、最後のレベル3は、どちらかというと「自己」が強くなります。なぜなら、規則や法は当然考慮するのですが、その上で他人を含めたより良い方向へと「自分の良心の元」従う訳ですね。自律と言えば聞こえは良いかもしれませんが、悪く言えばエゴとも言えます。気をつけねば、所謂社会的に認められた道徳と完全に異なる方向を向いた道徳性を持ってしまう可能性があります。これはひいては人種差別等に発展する訳で・・・これはレベル1とは少し違う意味で「獣性」に陥る可能性がありますね(そしてまたこのサイクルを辿る・・・)。幼少期から哲学を学ぶ必要があるとする理由の一つには、このような結果にならないよう、批判的思考を身に着ける為というのがあったりしますがこれはまたの機会に。

問9

 ここでは、もはや忘れ去ってしまった人も出ているかもしれない第4問冒頭の会話と、与えられた資料から会話の穴になる部分を答える問題です。選択肢の文章も長いし、一番最後にこれがくるのは中々鬼の気はしますが頑張りましょう。
 aは、人間が滅びると自覚した時の虚しさを再確認した後、本人が授業前、つまり冒頭で話していた内容が正しかったとするような発言をすることが見受けられます。その上で冒頭を読むと、Kの一番最後の発言「私たちが有限な人生を生きることの意味や幸福って、誰かが私たちの遺産を引き継いで幸せに生きていってくれるという期待にかかっているんじゃないか」から、「我々の幸福の為には後継者の存在とその幸福が重要」と思っていることが分かりますね。ここの選択肢は二つありますが、「未来世代の人の利害は現代世代の人の利害よりも重要」とするのはKではなくJでした。対して「私たちの遺産を引き継いで幸せに生きる「子どもたち」やその子孫がいることは私たちの人生にとって重要」というのはKの冒頭の考えに合いますね。
 bは、aという発言の直後のJの考えになります。一つ前のJの発言より、冒頭とは考えが変わったことが伺えます。選択肢は4つあり、「私は自分たちの後を引き継ぐ人がいなくても自分らしく生きられるのなら幸せと考えていた、しかしそうではないかもしれない」というのと「私は未来世代に責任を果たすことは全くの自己犠牲だと思っていた、しかしそうではないということなのか」の二つがbに当てはまります。他の二つは、冒頭時点における考えについて「私もKも~と言っていた/考えていた」としていますが、冒頭では二人とも相いれない意見で、その後元のKの意見で二人ともまとまっているので、即座に違うことを見抜くことが解くスピードに繋がるでしょう。
 ということで、答えは3になります。もはや国語の問題でしかないですね。

終わりに(駄文)

 読んで下さった方々、ここまでお疲れ様でした。別にここは時間の決められた授業でも番組でもない為、はっちゃけた細部まで説明してきたつもりです。ただ、やはり一番最後以外は本当に知識を問う問題ばかりでしたね。ちょっと残念です。
 思想はその考え方とその過程はとても重要ですが、高校という3年間の短い時間で教えられることが限られるのもまた事実・・・さらにこのような問題ばかり出ていると、教員側はどうしても受験で合格できるように浅く思想を「誰が何を言った」とただ教えるだけになってしまうのもしょうがない部分です。(そしてそうやって学んできた人がまたこのような問題を作ることになる負のスパイラル・・・)。個人的には、それぞれの思想をまず知って、それからその思想についてみんなで議論をしていった方が身に着くし、さらにそれを人格の形成の上でも役立てることができると思いますので、是非とも皆様は授業つまらないと言ってただ聞き流すことのないよう・・・そして休み時間に先生に議論を吹っ掛けてみることにより、哲学や倫理の面白さが分かる可能性が上がると思いますので、一度は質問に伺ってみると良いでしょう・・・こんなことを言うのもアレですが、共通テストの倫理の為だけの勉強より確実に面白いと考えております。。


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