2023共通テスト倫理解説

序文

前書き

 皆さん、こんにちは。哲学プラクティス系Vtuberの水出博雄です。遅くなりましたが、2023の共通テスト倫理の解説をしていきたいと思います。全ての選択肢についてなるべく解説を入れましたので、テストを受けられた方もそうでない方も、また、来年以降受ける方も是非見て行って下さい。

注意事項

 本解説は、細心の注意を払って執筆したものの、専門家が作成したものではない為、誤りを含む可能性がございます。一定以上の疑心を持って読んで頂ければ幸いです。また、一部私個人の主観が強く出ている部分がございます。皆様にはそれぞれの意見がありますでしょうが、問題解説に直接関わらない場合はクレームがあったとしても答えられない場合があります。ご了承ください。

問題

 本問題の入手についてですが、昨年と同様、河合塾のものを利用しました。が、昨年のものはどうも時間と共に一部の問題が見れなくなっているようでしたので、取り敢えず朝日新聞のものを挙げておきます。倫理 問題全文|2023年度 大学入学共通テスト:朝日新聞デジタル (asahi.com)

第1問 正義

 ここでは、古代西洋思想及び宗教の問題が揃っていますね。

問1.各宗教の正義についての理解

 ここでは、与えられた宗教とその宗教における正義の考え方としてマッチするものを選ぶことになります。
 1はイスラム教です。ここでは、ムハンマドが啓示を受ける以前のアラビア社会の宗教的伝統を遵守するように書かれています。当時のアラビア社会、特にメッカというのは、多神教でした。それこそ都合の良い神に祈る、若干日本を彷彿させゴホン。・・・そういうわけですから、宗教的伝統を遵守した場合、イスラム教は多神教になるはずです。しかし、ご存知の通りイスラム教は一神教ですので、1が異なることが分かります。
 2はヒンドゥー教です。バラモン教で形成された身分制度が否定され、全ての人を平等とみなし、宗教的義務を果たすように書かれています。バラモン教の身分制度というのは、ヴァルナ制というものです。上から司祭たるバラモン、王族や武人であるクシャトリヤ、庶民たるヴァイシャ、奴隷たるシュードラに分ける奴ですね。尚、その下にアヴァルナというのもありますがそれはまた別のお話。この制度は、後にカースト制度としてヒンドゥー教に残っています(※現地の言葉ではないです)。その為、全ての人を平等と見做してはいないことが分かりますね。従って、2が異なることが分かります。
 3は仏教です。在家信者と出家信者に課せられる戒律について書かれています。在家信者とは、出家せずに世俗での生活を続けながら仏に帰依する人々のことを指します。彼らが守るべき五戒とは、不殺生、不偸盗(ふちゅうとう,窃盗などのこと)、不邪淫(ふじゃいん,不倫のこと)、不妄語(嘘のこと)、不飲酒です。当然、「出家せずに世俗での生活を続ける」訳ですから、戒律も緩い方になります。以上の内容は、全て問題文と一致する為、この選択肢が正解となります
 4はユダヤ教です。若干マニアック感はありますが、キリスト教をしっかりと理解していれば分かると思います。ここでは、十戒の内容について、唯一神ヤハウェ以外を崇拝してはならない、また、救世主メシアを待望すべきことが書かれているとされています。一つ目については第一条に書かれいます。しかし、救世主の待望は、十戒には書かれていません。ユダヤ教自体としては正解ですが、今回は十戒についてなので、間違いとなります。
 以上より、答えは3になります。

問2.宗教や思想における人の生き方

 ここでは、思想とそれに基づいた生き方がマッチしているのかを問われます。一部マニアックなものが混じっていますが、焦らずに解いてみると良いでしょう。
 1はユダヤ教のパリサイ派についてです。ここでは律法によって人々の生活を厳格に規定しようとする態度を批判し、ユダヤ教徒としてより柔軟な生き方を求めたとしています。これは明らかに違いますね。パリサイ派というのは、キリスト教の新約部分に出てきます。ここでいうユダヤ教批判というのは、イエスが言ったことと同じになります。そしてその相手はあろうことか、パリサイ派です。別に厳格であることは悪いことではないのですが、その厳格さというのが的外れ(そのルールが存在する意義,構成要件を無視している)だった為に批判しているのですが、まあ、どちらにせよこの問いとしては間違いであることが伺えるでしょう。
 2はアリストテレスです。彼は倫理的徳に基づいた政治的生活を送ることが人間にとって最も望ましい生き方であり、最高の幸福をもたらすとしています。彼の考える幸福というのは、最高善のことになります。これは、他の目的の手段になることがない人間にとっての最高の目的だからだそうです。これは、大きく分けて3つあります。それが快楽,名誉,真理の追究です。快楽とは、享楽的生活のことです。名誉とは政治的生活のことを指しています。最後に真理の追究とは、観想(テオーリア)的生活です。彼は、人間のよさとは、人間のみが持つと考えている徳を魂が発揮する=理性によって真理を求めることだと考えました。以上より、政治的生活を送ることは彼にとって最も望ましい生き方ではなかったと考えられます。従って、この選択肢も合いません。
 3はジャイナ教です。ジャイナ教の信者はその多くが不殺生の戒めを遵守できる農業従事者として生活していたと書かれています。ジャイナ教とは、厳密な戒律と苦行で有名な宗教になります。特に重視する戒律というのが、この「不殺生(アヒンサー)」です。これにより、肉や魚は勿論のこと、卵を食べることもできないようです。また、植物の根、つまり球根や根菜(※厳密な球根や根菜の定義の話はしていない)は植物の卵として考えられています。この為、これらを食べることも禁止されています。それに、農業関係は虫も多く関わるでしょうし、何より農作物も生命体です。その為、不殺生の戒めを遵守することが難しい職業に分類されるでしょう。それよりも、生命を直接取り扱わない職業、即ち宝石商や金融業といった職業の人にこの宗教は広まりました。ということで、この選択肢は答えではないでしょう。
 4は老子です。自然に身を委ね、村落共同体のような小さな国家において素朴で質素な生活に満足することを善しとしていたとされています。この自然に身を委ねるというのは、「無為自然」と呼ばれるものにあたります。また、小さな国家による質素な生活に満足する行き方としては「小国寡民(しょうこくかみん)」と呼びます。尚、小国寡民が何故理想なのかというと、国家には秩序が必要だからです。小さな共同体では、特に何をするでもなく自然と秩序が形成されます。これは、人工的な秩序を作らなくて良い=無為自然に叶う社会と言えるのです。だから小国寡民が理想なんですね。尚、大きな国では我々もよく知るように、法律という人工的な秩序を作り出す必要があります。これは無為自然にかなわない為、理想ではないのです。以上より、この選択肢が正解のようですね。
 こういう訳で、この問題の答えは4になります。

問3.クルアーンより、人間相互の関係(穴埋め)

 ここでは、資料として示されているクルアーンの一節より、会話の穴を埋める問題となります。一つ目は読み取り、二つ目は知識問題ですね。
 aは分からない、確定していないことを元に判断していはならない、悪いことを言ってはならないみたいな内容が入ると考えられます。これは文章を読み取りましょう。しかし、ここで省けるのは3だけ・・・1,2,4は確かにそのようなことを言っていそうです。ただ、ここでBの会話を読むと、共同体について語っています。このことから、共同体とは関係がない、4の選択肢も消せるでしょう。
 bはムスリム(絶対的帰依者)同士の結びつきについて、何によって結びついているかが聞かれています。この結びつきは、信仰のみによるもので、この共同体はウンマと呼ばれます。1日5回の祈りは、確かにしなければならないものですが、共同体形成に必要なものではないです。ウンマの特性を元に考えると、考えられる答えは1と3になります。
 上記二つより、最も適合する答えは1になります。

問4.宗教や思想における共存(正誤の組み合わせ)

 ここの正誤問題は基礎的な内容しか聞かれていないようですので、なるべく落としたくはないですね。イエス、墨子、ブッタについて聞かれます。
 はイエスについてです。「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という言葉はマタイ5:44に書いてある内容ですね。尚、この箇所は山上の垂訓です。この部分は旧約では見られず、徹底した愛というのは祈る相手を憎めない、ということを言っています。つまり、「同胞に限定されない」んですね。従って、アは正となります。
 は墨家についてです。広く他者を愛する=差別しない愛というのは、墨子の「兼愛」にあたります。互いに利益をもたらすことは「交利」として教えられていますね。そして平和共存の為に「非攻」を説いています。従って、イは正となります。
 はブッダについてです。自らが所有するアートマンに対する執着を捨て、他者のアートマンを尊重するように書かれています。アートマンとは、個々人の根源のことを指し、「我」という漢字で示されます。しかし、この内容について示すのはブッダではなく「ウパニシャッド」という、ブッダ以前のインド思想になります。もう一つブラフマンというものがあり、アートマンとブラフマンを一致させることを求めるような内容です。逆にブッダはこれを否定し、全ての存在は縁ありて起こる(縁起)としています。他にも諸法無我、すなわち一切のものは永遠不変な本質、即ちアートマンを持たないという教えが仏教にはありました。そういう訳で、この内容はブッダのものではない為、ウは誤となります。
 以上より、答えは2 になります。

問5.平等についての資料の読み取り(全選択)

 この問題では、ブッダとパウロの思想について読み取る問題となります。若干難易度が高いかもしれませんが、落ち着いていきましょう。
 はブッダについてです。彼は、この世のあらゆる生き物は絶えず変化して留まることがないとし、それらの障害は苦とも楽とも断定できないとしています。しかし、「一切皆苦」という言葉が仏教にはありましたね。これは、現実はすべて究極的には苦しみであるという内容です。諸行無常という言葉のように、全ては生滅変化しているものの、苦であることは断定していると言えるでしょうね。その為、アは間違いです。
 はパウロについてです。イエスの十字架での死を人間の罪の為のいけにえとして解釈し、これにより人間の罪が贖われたとしています。これは、キリスト教の根幹の考え方なので、正しそうですね。ただし、注意事項として、「イエスの死によって罪がなかったことになるんだったら、何しても良いじゃん」とはならないことにご注意ください。それは明確に違います。「悔い改める」という言葉が指すように、悔いるだけでなく、直そう(改めよう)と努力することは重要な内容の一つと言えるでしょう。また、罪というのは「神の道から外れる=的外れ」のことを指すのにも注意が必要でしょう。兎も角、イは正しいです。
 は資料1、スッタニパータについてです。文章を読めばすぐに分かる内容ではあるのですが、「既に生まれたものも、これから生まれようとするものも、全ての生き物は幸せであれ」と書いてあることから、ウは正しいですね。特にそれ以上のことはないです。
 は資料2、ガラテヤ書についてです。信徒は全て神の子である為、民族、身分、性別などを問わずに平等であることが説かれています。これは確かに書かれているのでウは正しいです。・・・が、ちょっと誤解を生みそうな表現だな、というのが正直な感想です。該当部分はガラテヤ書3:26-28です。まず、この前の部分から見てみます。律法とは何なのか、という内容について、もし律法が命を与えるものであったならば義は律法にあったとしています(3:21)。しかし、その次では逆に人々を罪の下に閉じ込めたとあります。これは、約束がイエスに対する信仰によって信じる人々に与えられる為と書かれています。即ち、律法とは人々をキリストへと導く為の養育者である、というのですね。そこに信仰が現れたのだから、もはや我々は養育者の下にはいない、だからこそキリスト・イエスに対する信仰によって神の子どもだと言っているんですね。更に第一コリント12章より、キリストにあって一つであるとは、それぞれがそれぞれの能力によって教会として成ることを指していると考えられます。だから、十字軍みたいな感じに「キリスト教徒じゃない奴のことはどうでも良い、そもそも人間じゃない」みたいな扱いを容認している訳ではないんですよ・・・それをこの問題は勘違いさせかねない気はします・・・間違ってはいないけど・・・
 以上より、答えは8となります。

問6.荀子の思想の説明(資料読み取り)

 この問題は、与えられた資料より読み取り、荀子の思想を説明しているものを答える問題です。単に読み取るだけでなく、大まかな思想を知っている必要があるので注意です。
 1は最初に教育によってさえ矯正できない欲望を人間が生まれつき持っている、としています。彼は性悪説で有名ですが、それは教育によって善に転換させる、という思想の元にあるものです。矯正できないとするのは韓非子ですね。また、読み取りについても、後天的に獲得されるものを生得的性質と孟子が言ったとは読み取れない為、ここからも違うことが伺えます。
 2は孟子の思想は生得的な善が無いとしています。これは性悪説の考えとマッチしますね。また、資料を見ても確かに性善説としての孟子を批判しています。このことから、2が答えとなります。
 3は最初の文の人間の全を後天的な矯正の産物としている点は正しいようですね。しかし、その次の文では学問により得られる善を偽物で不要だとしています。これは特に知識があれば一発なのですが、性悪説は教育によって善性へと転換させよう、という考え方な訳ですね。それなのに学問が不要ということはないです。従って、これは違います。
 4は、最初の文でこれまた人間は善を身に着けられないなどと述べています。再三になりますが、性悪説は教育によって善性に変えていこう、という考え方ですので、これは明らかに違います。
 以上より、答えは2になります。

問7.人間の本性(穴埋め)

 ここでは、プラトンの国家やキケロの義務についての資料とメモを比べ、穴埋めをする問題です。穴のaとbは読み取りですが、cのみ簡単な知識問題となっております。各穴は二択、計6つの選択肢となっていますね。
 aはプラトンの"国家"より読み取ります。ソフィストの重視したものが"人間の欲求"か"平等の追求"かとしてますね。資料によると、人間の本性は法によって力づくで平等の尊重へと脇へ逸らされている、としていますね。となると、平等の追求が答えにはなりづらいです。よって、答えは人間の欲求となります。
 bはキケロの"義務について"より読み取ります。他者を犠牲にして何かを追求することは自然に反する、その何かを答えよ、という問いで、入る選択肢は"自己の利益"か"社会の利益"となっております。資料を読むと、最初に「他人の不利益によって自分の利益を増すことは自然に反する。」とあります。即ち、資料を読み取ることによって得られる答えは自己の利益となります。また、資料の続きには「~他人を害するようになるなら、社会が崩御することは必然だ」とあり、第一にあるものが自己の利益、それによって引き起こされることとして社会の利益という構造となっている為、ここからも分かります。ぶっちゃけ蛇足の気もしますが。
 cはキケロの思想について答える問題で、選択肢は"功利主義"と"自然法思想"です。功利主義は全体の利益を計算して全体の幸福を求めていく、みたいな思想ですが、この資料からそのようなことは読み取れない為、棄却されます。従って、答えは自然法思想となります。尚、功利主義は大体18世紀からのものですが、キケロは紀元前100年程度の時代です。ローマの政治家、弁論家、哲学者という位置づけですね。だから、文章中の「ストア派の主張を汲んでおり」の部分から、ヘレニズム時代として特定することも可能です。
 以上より、全体としての答えは2となります。

問8.会話の組み合わせ(穴埋め)

 恒例の会話に合う文章の組み合わせを答える問題です。しかもいやらしい所は、全ての選択肢の文章が異なる上に、問題によってbについての全ての文章が正しいことが保証されてしまっていること。問題文をしっかり読まないと時間ロスをしてしまうことになります。急がば回れですね(自省)。代わりに知識は要らないです。
 aについて見てみます。これは、穴の直前に「登校中に話し合ったように」とあるので、冒頭の長文を読み取る問題のようです。まず、下線部aを読んでも分かるように、絶対的な正義みたいな話はしておらず、多種多様であるとしていることが分かります。その為、絶対的正義を容認しているような1と3の選択肢は棄却されます。対して、人間の本性の捉え方によって正義についての考え方が変わるというような話は、冒頭の長文のラストで人間の本性について調べようとしている所からも妥当そうですし、下線部c周辺の文章から人の関わり合いの中で不可欠なものとして求められるもの、と読めるものも存在します。従って、ここからは2と4の選択肢から絞ることになります。
 bについて見てみます。穴の直前を見ると、「例えば」とあることから例示として適切なものを選ぶようです。文章を読み解いていくと、「正義は複数あることには同意できる。しかし、それは自分の都合の良いように捉える為の道具になりかねない。そういった風潮に流されないで探究を続けていく必要がある」となります。ここで、2のbはプロタゴラスの相対主義ですね。相対主義は万物の尺度を人間としている為、会話の文には合いません。対して4のbはプラトンのようです。感覚により得られる事柄をそのまま受け入れるのではなく、魂を向けて真の姿を探究すべき、という思想は相対主義的な風潮に流されていない典型と言えるでしょう。即ち、答えは4です。一応1と3についても見てみると、3はこれも典型的な相対主義的な考え方なので違います。対して1は解釈が難しいですが、探究の対象が王道政治であり、なんかこの会話だと異質なんですよね。もしかしたらbだけでこの問題は答えが出るかもしれません。

第2問 問い

 ここでは、日本の思想や哲学が集まっています。

問1.日本仏教の説明(知識による正誤判定)

 ここでは、アとイの説明文の正誤判定をする必要があります。消去法は効かないので注意しましょう。
 は最澄ですね。法華経の人ですね。大乗仏教に分類されますので、救いを区別するような手法は取らないと考えられます。しかし文章では悟りの能力で区別してしまっていて、大乗仏教の言う所の小乗となりますので、これはとなります。
 は空也(くうや)です。微妙に分かりづらい所を狙って出してきたようです。とはいえ、この人の像は分かりやすいでしょう。口から仏が出てきているのですから。像を見てみると、彼の姿は旅の僧侶の格好です。それもそのはずで、行基のように社会事業に尽力した空也は、諸国を周って道を開いたり橋架けたり井戸掘ったり荒野の遺体には火葬の上念仏を唱えました。これにより、人々からは「市聖(いちのひじり)」とか「阿弥陀聖」と呼ばれていたようです。イの文章とこの内容は一致しそうですね。従って、イはです。
 以上より、この問題の答えは3となります。単純な知識問題のようですが、日本関係はどうも難易度が高めに感じますね。

問2.日本神話

 ここでは、問題文など関係のない、ただの知識問題として日本神話の理解が問われます。
 1は、古事記からイザナギ、イザナミです。この二人は多くのゲーム等でも取り扱われているので、理解しやすいかと思います。この二人は天御柱の周りでてんやわんや(意訳)したり槍でかき混ぜて日本列島生み出した扱いになっています。しかし、これはお上の命令にそったものですね。そういう訳で、反発して作った訳ではないので、1は違います。そもお上の意向を無視して国作っても壊されるのが落だろうという・・・
 2は、天津神についてです。天津神・国津神というのは神の分類でして、国譲り関係の話が関わってきます。これは色々と難しい部分が関わってくるのですが、大雑把に言えば高天原にいたのが天津神、葦原中国にいたのが国津神です。従って、唯一の最高神(ある意味ゼウス)みたいな扱いではないです。特に日本神話は八百万の神々と言うように、多くの神が存在する世界観を持っています。ですので、全てを自分の意思で決めるような神ではないんですね。以上より、2は違います
 3は、天照大御神と和辻哲郎(←!?)です。なかなかややこしいことをしてきますね。和辻哲郎は、外部から来る神を祀られる神、祭祀を行う神を祀る神として区別したそうですね。そして、天照大御神は祭祀を行う神、即ち祀る神としています。即ち、どちらでもあるとはされない為、3は違います。これはちょっと難易度が高い感じがしますね。
 4は、須佐之男命と天照大御神の関係です。と言っても天岩戸の話ではなさそうですね。破天荒なる須佐之男命は、やんちゃして追放処分喰らって、しょうがないと暇乞いでもしようと天照大御神に会いに行きますが、普段の行いがアレな為高天原を奪いに来たと勘違い(?)されます。そこで、ウケヒという占いを行って、そんな邪心はないことを証明し、高天原に登ったことになりますね。ということで、正解は4です。でもその後暴れまくって天照大御神が天岩戸に立てこもるんですけどね・・・この件について良さそうな論文が有りましたので、上げておきます。(144435237.pdf (core.ac.uk))
 以上より、この問題の答えは4となります。

問3.日本仏教の念仏思想(板書埋め)

 ここでは、問題として示された黒板に3つの空白が用意され、それぞれ埋めていく時に最も正しい組み合わせを答えることになります。資料が与えられているのでその読み取りも必要ですが、いつもの如く暗記ものが同時に課せられています。
 aは資料を読み取って念仏僧がどのような姿なのかを答える問題です。1と4、2と5、3と6で同じ答えの組み合わせになるようにできています。資料の冒頭を読むと、「念仏僧が南無阿弥陀仏と一声となえれば極楽往生できると信じ、南無阿弥陀仏ととなえて、この名号札を受け取って下さい」と念仏僧が言っていますね。これに最も当てはまるものは1と4になります。そのものが書いてあるので、ここまでは簡単でしたね。2と5は少しややこしい雰囲気を感じますが、しかし信じる対称が札だとは資料を見ても読み取れない為、棄却する必要があります。
 bは、件の念仏僧の名前を答えるものです。選択肢は1,2,3の法然と、4,5,6の一遍です。どちらも念仏を唱えているので少しややこしく感じますが、落ち着いて考えれば問題ないかと思います。法然は浄土宗の人で、「専修念仏」の人として有名ですね。しかし彼は資料の示す念仏僧よりもうちょっとお堅い人です。対して一遍は時宗の開祖でしたね。時宗は踊念仏(盆踊りみたいな奴らしい)が有名です。彼は布教の仕方がかなりうまかったようですね。そして、実際彼は念仏の書かれた札を配っていたとされております。かなり庶民的な人だったと言えるでしょう。そんな訳で、これは一遍が答えとなります。
 cは黒板にあるテーマの答えを件の念仏僧の考えに合わせて答えるものです。既にaとbだけで答えが一意に決まっていることは忘れるものとします。答えの組み合わせとしては、aと同じ1と4、2と5、3と6なので、どちらかを判別できればいいと言えば良いのですが・・・さて、資料を読むと分かる通り、この念仏僧、「信心が起こらずともこの札を受け取りなさい」などと言っています。もし信心が起きないなら救われないなら、そこで札を渡す意味がありません。更に、最後の方に受けている啓示は「~全ての人間の往生は南無阿弥陀仏と決まった」とあります。これは、まさに信仰を問わないことの現れと言えるでしょう。従って、1と3が正解となります。
 以上より、この問題の答えは4となります。

問4.仁の身近な例を用いて説明

 ここでは伊藤仁斎の仁についての思想を身近な人間関係に即して説明せよ、というような問題となっております。資料をしっかりと読み解けば良い問題ではあります。・・・共通テストの短時間でできるかはその人次第ですが。尚、説明文を読むと「仁について、我よく人を愛すれば人またよく我を愛す」とあります。
 1は、人の心を安易に信じるのは危ないなどと初っ端から言い放ちます。明らかに違いますね。人を愛すればその人もまた自分を愛してくれるというような文なのに安易に信じるななどと誰が言うんでしょう。ということでこれは違います
 2は、本当に大切なことは、日常の間柄にあるはずだと言います。この人は、偽りを排して弟に思い遣りをもって接すれば弟もまたこの人に思い遣りを返すだろうと言っていますね。「愛」という言葉がないので迷うかもしれませんが、即ちそれは「相手を思いやること」と言えますので、この例は適切でしょう。つまり、2が正解になります。(そんな中、恩を仇で返すなどという言葉が思い浮かんだ私の心は穢れている気が・・・)
 3は、人間の私利私欲は厳しく慎まねばならないとしています。一見、文章に「私が友人を思い遣り、友人も私を思いやる、愛に満ちた間柄」という言葉から正解のように思えます。が、その前についている「欲望から完全に脱することによって可能となる」という言葉は資料読んでもその意は読み取れません。従って、引掛けであるもののこれは違います
 4は、厳格さが必要としています。上下関係の秩序とか先生に対する振る舞いとか言っていますが、敢えて言うならそれは「礼」の方が近い印象を受けますね・・・これはどう考えても仁ではないでしょう。従って、これも違います
 そういう訳で、答えは2となります。尚、彼自身のことを知らなくても資料を読み解けないとしても、中国思想の所であった孟子の「仁義礼智」さえ覚えていれば簡単に答えられる構造になっております。なかなかやってくれますね・・・。

問5.スピーチの原稿(吉田松陰を踏まえて)

 ここでは、吉田松陰の講孟余話の資料を読んでスピーチの原稿を埋めようというものです。aもbもどちらも全て文章が違う、いやらしい構造になっていますね。
 aは、吉田松陰が唱えたものについて聞かれています。彼は、天子(=天皇)に対して誠をもって忠義を尽くすべきという考え方でしたね。だから牢屋行きになったともいえるのですが。ある意味革命家と言えるでしょう。そんな松陰なんですから、武士道云々言っている3と4はどうも違う感じがしますね。はい、違います。そんな訳で、これは1と2が正解です。消去法が最も簡単な手段でした。尚、上記で挙げた天子に対する忠義みたな奴が一君万民論です。藩などという小さい日本を更に分けてお互い争うんじゃなく、一丸になって海外に向き合おう、的な話はこの時代を主題にしたものでは非常に多いかと思います。1は・・・確かにその通りなのですが、かなり難易度が高いですよね。誠は兎も角、自己の心情の純粋さというのはかなり分かりづらい所だと思います。
 bは、資料を読めば答えられるような形になっていますね。「何の為に問い学ぶべきなのか」ということを答える問題です。資料を読むと、「人と生れて人の道を知らず~道を知らないのは、恥の最たるものではないか。もしこれを恥じる心があるならば、書を読み道を学ぶより他に方法はない」とあります。そして、最初に「いま我々は囚人となり~」とあるように、丁度この時彼は獄中にいました。これらを考えると、道を知らないことは恥であり、その恥から人としての道を知るべきということが彼の言いたいことではないでしょうか。更に、囚人である彼らは学問をすることに実利はありませんでしたが、彼は仁義としてこれらを説いています。即ち、生まれた以上、生まれた存在としてどんな境遇であれその道を知るべきだということです。ぼやかしていますが、問題を見れば分かるようにここでそれは武士の道ですね。そんな訳で、この答えは1と3です。
 以上より、この問題の答えは1となります。かなりいやらしい問題ですが、消去法を上手く使うことで一応難易度を下げて解ける、といった所でしょうか。

問6.明六社の人物当て

 この問題は、説明文が明六社の誰を指しているのかを当てる問題です。選択肢は三人の組み合わせ6つなので、消去法は使えません。尚、明六社には選択肢の森有礼、西村茂樹、加藤弘之の他に、西周、津田真道、中村正直がいます。彼らは所謂日本の文明開化の時の思想家たちですね。当時西洋の学会を真似て作った啓蒙活動をする会社と思えば良いです。結成からわずか二年程で事実上の解散というなんとも言えない会社です・・・
 は、封建的な一夫多妻制に問題提起した人です。夫婦平等という奴ですね。このような婚姻形態を主張した人は森有礼です。彼は薩摩出身で、キリスト教に強い影響を受けたようですね。このような男女同権の主張は「妻妾論」という名で知られているかと思います。要約:妾反対!
 は、文明開化の当時では珍しい感じもしますが、行き過ぎた西洋化に対する批判と共に日本伝統の儒学に根差した国民道徳論(=日本道徳論)を問うた人です。これは西村茂樹ですね。和魂洋才みたいな話に似てますね。根幹とするのは儒教であり、西洋思想の長所を取り入れて再建すべき、というのが彼の主張なのですから。
 以上より、答えは2となります。
 余談ですが、最後の選択肢、加藤弘之は、最初は天賦人権論を唱えるのですが、その影響により自由民権運動が盛んになると今度は正反対の社会進化論という立場を取るようになる天邪鬼みたいな人です。・・・思うところはあったんだろうけどね・・・

問7.西田幾多郎の哲学

 ???「おい、鬼太郎!」・・・ではなくこの問題は幾多郎の哲学です(やりたかっただけ)。彼については西田哲学と言われるものがある程ですが、その内容は難解なものも多いです。色々と面白いものも多いんですけどね。
 1は、主観と客観の対立から出発し、主観の根底にあるものとしての「場所」を説明、そこから純粋な客観的世界を説明したとあります。彼の哲学は、ある意味正反対で、「主観と客観の枠組みで思索する以前の経験の根源」とかを重視します。彼の「主客未分」という概念はある意味それを最もよく表しているでしょう。そのような観点から、1は違いますね。
 2は、主観と客観の対立を乗り越える為に主観的なものを一切含まない、純粋な客観的世界としての「場所」という考えを打ち出したとしています。しかし、彼の理論を読むと、主観の底に全てを包摂する「無の場所」を考えていることが分かります。これが「場所」です。主観を含まないのではなく、主観の根幹であるのですから、2も違うようですね。
 3は、現実の世界の根源的な在り方として絶対的に対立するものが、矛盾しつつも同一性を保つという「絶対矛盾的自己同一」を唱えたとあります。まずは簡単に言うと、「現実世界にある絶対的に対立するものは無の場所において同一である」というのが彼の思想である為、3が正解です。実の所、この問題は少しもやっとする所はあるのですが・・・(「同一性を保つ」とあるが、保つというよりかは本当に「同一である」という方が近いので・・・)。彼の思想について考える時は、まず主客未分の状態になる→これこそが純粋経験となる→純粋経験が分化、発展し、主客が分離することによって反省の意識を得る→主客未分の直感と、反省は「自覚」によって統合される→やがて、主観の根底に全てを包摂する無の場所=絶対無を考え、客観的世界に存在するものはこの場所の自己限定によって成立する→最後に現実世界における絶対的に対立するものは無の場所において同一、即ち絶対矛盾的自己同一であることに至ることに留意しましょう。ぶっちゃけムズイですが。(まず絶対矛盾とは何かを考えると良いんですけどね。説明しだすと時間が足りないので、青空文庫のこちらを貼っておきます。)西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一 (aozora.gr.jp)
 4は、現実の世界においては歴史の進歩に伴い様々な矛盾は乗り越えられるとして、その成果を絶対矛盾的自己同一と名付けたとされています。そもそも矛盾の解消はされていないのがこの考えですので、これは明らかに違いますね。ということで4は違います
 以上より、答えは3となります。絶対と言って良いほど西田幾多郎の問題は出るのですが、その難易度はえげつないものが多いです・・・

問8.第二問のまとめ問題

 さあやってきました、いやらしい資料が飛び飛びに存在する問題です。大体大問の最後(大抵問8)に出てくる嫌な奴です。aとbの穴埋め形式で、それぞれ同じ解答が一つとしてない、今回よく見る形式です。
 aは、日記を書いて気づいたとされることを答えます。日記を読むと、松陰の問いも幾多郎の問いも更には日記の執筆者であるCの自問自答としての問いも、問いであるという点では同じと書いてあります。読むと分かるのですが、他者への問いと思いきやそれは同時に自分への問いであることにCが気づいていく日記ですので、問いを分けたり他者に向けられない問いを問いと認めないというのは内容に合いません。従って、ここでは1と3が答えになります。
 bは、三木清の「読書と人生」の資料から読み取るものです。これは、読書というものが著者と自分との間で行われる問答であるという話ですね。本ですから、答えといってもこれもまた文章として記されています。即ち、それは次なる問いを生むことと同義だと言いたい訳ですね。この考えでは、問答は原理上限りなく進展するものです。従って、1と2が答えとなります。
 以上より、この問題の答えは1です。

第3問 自由

問1.ルネサンス期の人物の説明

 ここでは、ルネサンス期の思想家や政治家の説明について正誤判定する必要があります。三人且つ8つの選択肢の為、消去法は使えません。
 は、マキャベリについてです。彼が政治と宗教や道徳を切り離して、非道徳的手段となることを含めてあらゆる手段をもって人間を統治すべきだと考えた、と書いてありますね。マキャベリズムの「目的の為には手段を選ばず」という言葉の通り、これはです。但し、これは所謂「君主論」の内容であるものの、それだけを見てはいけないものがあります。確かに手段を選ばないことは必要としていますが、同時に「やるなら徹底的にやれ」とも言っているんですよね。もし非道な手段一回で解決できない場合、複数にわたって同じような非道な手段が必要になります。こうなっては、彼の考える理想の君主は成り立ちません。彼の崇拝するチェーザレ・ボルジアを批判する時も、そういった最後の詰めの甘さを責めていますからね。また、非道な手段というのは、敵に対して扱うものであり、味方に対してはどこまでも味方である必要があります。味方を守り、敵には容赦しないという構図こそ彼の理想ではないでしょうか。
 は、ラファエロについてです。メディチの庇護を受け、人文学者と交わり、古典を学んだ上でダビデ像などの作品から理想的な美しさを追求したとあります。まあ、ラファエロは確かにメディチ家と交友はありましたね。でもダビデ像とかはミケランジェロのことを指していますよね。ということでイは誤ですね。尚、この頃だとメディチはロレンツォ・デ・メディチの時代ですね。彼は特に芸術家のパトロンとして有名でした。
 は、ペトラルカについてです。彼は、「デカメロン」という作品で感情や欲望を人間の本性として生き生きと(!?)描き、人間性を解放しようとしたとあります。かなりマニアックです。なんでこんなの出しやがった。さて、彼は初期のイタリアのルネサンス期を代表する三大詩人の一人ですね(他はダンテやボッカチオがいる)。そして、デカメロンはデカ=10ということで10日物語と言う作品であり、なんと作者はボッカチオでした。三大詩人ではあれど人違いでした!ペトラルカは「抒情詩集(カンツォニエーレ)」という恋人への惚気思慕を歌ったものの作者ですね。あやふやになりやすそうな所を狙う、エグイ問題です。ということで、ウは誤ですね。
 ということで、答えは4となります。

問2.アダム・スミスと経済

 ここでは、アダム・スミスの思想の正しいものを答える必要があります。普通に知識問題です。
 1は、富を求める自由競争は人間の利己心に基づいているものである場合、社会的に容認されるべきでないとしています。彼は、自由な市場を追求しており、前提条件はあるものの、その中で「自分の利益だけを追求した自由な経済活動」というものを肯定しています。所謂「(神の)見えざる手」という奴です。ということで、容認されないというのは違いますので、1は誤りです。
 2は、各人の私益を追求する自由な経済競争に任せておけば、結果的に社会全体の利益が生れるというものです。1でも述べたように、これが神の見えざる手です。分業と自由な市場の二つが存在し、その時に自己利益のみを追求する自由な経済活動が行われることで神の見えざる手による公共の利益を実現できると考えていたようです。ということで、2が答えとなります。
 3は、資本主義経済では生産手段を所有しない労働者はその労働力を資本家に売り、生産物は資本家のものとなり、労働も強制されたものになるとしています。彼は経済における全体の(公共の)利益について追及し、論じているので、この内容はちょっとばかり外れていますね。ということで、3は誤りです。資本主義について彼がどこまで語っていたのか、ちょっと分からない所があるんですけどね~・・・(;^ω^)
 4は、これまた資本主義についてです。資本主義は生命活動を自由なものとするために他者との関わりの中で生産を行う類的存在であるという意識を人間から失わさせるとしています。こういう類的存在なんかを言うのは、マルクスですね。ということでこれはアダム・スミスの思想ではないことは明確ですので、4も誤です。
 以上より、この問題の答えは2となります。

問3.法哲学

 この問題では、法や規範に関する思想家についての説明が誰のものか当てる必要があります。内容はまあ、法哲学と言われたりするものが近いです。尚、消去法は使えません。
 は、快楽を求め、苦痛を避ける存在である利己的な人間の行為を規制する強制力として、法律的制裁や道徳的制裁といった、四つの制裁があるとしたそうです。選択肢はモンテスキューかベンサムですね。制裁というのは、原語に戻すとサンクションとなります。このサンクションは、物理的、政治的、道徳的、宗教的の4つに分類され、制裁とは言うものの、人間に何らかの行動をとらせる為の強制力を指します。日本人は結構道徳的サンクションが分かりやすいかもしれません。これは、具体的には世論に左右される行動と見ると良いと思います。世論に合わせて多くの人が同調した動きを見せている・・・ある意味これも道徳的サンクションと言えるでしょう。さて、こういったサンクションは、全て「快楽を減少させるもの」とされます。快楽、という言葉でもうお気づきですね。答えはベンサムです。快楽を追求するが為に、苦痛を伴うサンクションを避ける、従って社会全体の快楽の減少を避けられるだろうという功利主義的な考えに基づいていました。尚、モンテスキューは三権分立の提唱者です。司法、立法、行政の奴ですね。フランス人ではありますが、イギリスの政治形態がこのようになっているとして賞賛し、フランスに対しては風刺となる「ペルシア人の手紙」などというものを匿名で発表しているとか・・・どちらにせよ快楽関係の思想とは離れるので判定しやすいかと思います。
 は、市民は政府に立法権や執行権を信託するが、政府が権力を濫用する場合には抵抗権に加え、新たな政府を設立する革命権を保持すると説いたそうです。選択肢はロックとルソーですね。ここで特異的なものは「革命権」になります。革命権を認めているのは、ロックですね。従って、答えはロックになります。ロックの思想は、人間の生まれ持つ自然権を尊重し、これを維持することが理想だが、自然状態でそれは難しい、だから社会契約を結び、自然法の解釈と社会の立法の権限を国家へ信託、違反者を処罰する権限を国家に委ねるというものです。しかし、国家がこれを守らず、自然権を侵害されるのであれば、抵抗や革命もまた認められるというんですね。かなり血みどろな感覚を受けます。対してルソーはもう少し穏やかです。個人を重要視し、個人の集合体である主権者の意思こそが一般意思だと言います。この一般意思に叶う政府を主権者たる人民によって決定し、その政府が法を執行するという形になります。ここで、不都合がおきた時というのは主権者によって政府を解体することが可能という点です。革命など起こさずとも解体ができるというのが味噌でしょう。共同体として必要なものを選択していく、というと分かりやすいかもしれません。
 は、この世界を統治する神の法と人間の理性によって捉えられる法とは矛盾するものではなく、調和するものであるとしたそうです。選択肢はトマス・アクィナスとグロティウスですね。どちらも宗教関係の話をしているのでちょっと難易度が高めです。しかし、グロティウスはあらゆる宗教の信者であろうと、理性によって自然法は同様に理解できるとした人ですね。社会契約論の下地となる奴です。しかし、問題の示す文章はそこまで言ってはおらず、信仰と理性の調和を挙げています。この調和の考え方はスコラ哲学に見られるもので、スコラ哲学として見ると答えはトマス=アクィナスとなります。
 以上より、この問題の答えは5になります。

問4.カント

 この問題はみんな大好き(?)、カントについてです。カントの思想を踏まえて穴埋めをします。今回もまた消去法が使えない選択肢が全て異なるタイプの問題ですね。
 aは、カントの考える自由です。彼は、自律こそ自由という風に考えています。自律とは、実践理性に従って道徳法則(=定言命法)がいう「あなたの格率が普遍的法則なることを当の法則によって同時に欲しうるような格率」を自分で決めて行為することです。何言っているか分かりづらいと思うので、もう少し簡略化してみます。格率とはそもそも、人間がそれぞれ自分に課している原理(≒ルール)のことです。自分のルールが他者のルールとなり、他者がそれに従って行動してもよいと思えるルールに従って行動しなさい、というのがここで言いたいことです。つまり、自律の自由とは、そうやって自分に課した善意志によるルールを自分から守ることを指します。これに相当する答えは2と3になりますね。尚、ここで重要なのは他者による命令の為にルールを守るのは自律の自由ではないということです。(そういえば「お母さんに言われてからやるのでは価値がない、自分からやれ」みたいな話はとある私の師の口癖でした・・・)
 bは、理想の道徳的共同体を目的とした王国について問われています。これは所謂「目的の国」という奴です。言ってしまえば、世界政府作ろうぜ!っていうことです(雑)。つまり、国家を人格として、相互の人格を目的として尊重する理性的存在者が結合している共同体ということです。互いに思いやれば理想の世界ができる、という風に言えば尚簡単でしょうか。このような答えになるのは3と4ですね。1と2は欲望のままに動いているので、不適切ですから。(尚、カントは結構差別とかも容認していたので、なんかまあ・・・業が深いというかヤバいというかなんというか・・・)
 以上より、この問題の答えは3です。

問5.パスカル

 ここでは、パンセの資料を用いながらパスカルの思想を答えます。有名な考える葦の部分とは違いますが、似通った部分があるので理解しやすいかと思います。
 さて、資料を読んでみますと、人間の惨めさから偉大さを導き出そうとしているようです。人間はかつて崇高なる存在であった、しかしその座から転落したからこそ、惨めさを知る、惨めさを知っているからこそ偉大なのだ、という流れです。尚、「惨め」というのは所謂「悲惨さ」と同じでしょう。
 1は、人間が生きる三つの秩序の内、愛の秩序こそ最上位であるとした上で、資料は人間は己の偉大さを深く省みることで惨めにならずに済むとしています。三つの秩序というのは、身体、精神、愛のことです。もっと言うと、これこそが考える葦の部分です。物質世界では矮小なる人間も、精神世界においてそれらを内包できる、即ち、物質世界に対して無限であるからこその尊厳でした。その上で、物質世界を内包できる精神世界さえも内包できる、それこそが愛なのだと言う訳ですね。この愛というのは、キリスト教で言う神の愛です。忘れられがちの気がしますが、パスカルは敬虔なクリスチャンですからね。但し、資料の読み取りの部分で「惨めにならずに済む」と言っているのは違うでしょう。なぜなら、資料は「惨めだからこそ偉大なんだ」と言っているのですから。従って、1は違います
 2は、信仰は己の惨めさから目を背けるための気晴らしにすぎないと主張したとした上で、資料は人間は本来偉大な存在だが、そのことが逆に人間の惨めさを一層際立たせるとしています。資料の方は確かにそんなことを言っている感じがしますね。しかし、最初の信仰が気晴らしというのはパスカルの考えではないでしょう。先ほども述べたように、パスカルは敬虔なクリスチャンであり、信仰を重要視していたのですから。このことから、2は違います。尚、パスカルは確かに「気晴らし」を批判しています。それは、自分自身の悲惨さから目を背けて紛らわしているからです。遊びは勿論のこと、仕事に熱中(≒ワーカホリック)することも批判の対象になっていますね。
 3は、人間は虚無と無限の二面を持ち、その間を揺れ動く中間者だとした上で、資料は人間は偉大な存在だが、惨めさという不幸の中ではその偉大さを見出すことができないとしています。この中間者というのは、人間が偉大さと悲惨さの相反する二面性を持つからこそつけられた言葉です。虚無と無限もまあ・・・近いのですが・・・少し微妙かもしれません。しかし、資料の読み取りの方ははっきり分かりますね。惨めさの中で偉大さを見出すことができないなんてどこにも書いてないです。このことから、3も違うことが分かります。
 4は、真理は合理的推論ではなく繊細な心情によって直感されるとした上で、資料は人間は惨めな存在だが、それは人間が偉大であることの証拠であるとしています。これはパスカルの言う幾何学の精神と繊細の精神の話ですね。人間の精神に備わる認識能力のことです。幾何学の精神は論理的、推論的な認識能力のこと、繊細の精神は、直感(または直観)的認識能力のことを指します。どちらも重要ではあるのですが、パスカルはその中で神・信仰・真理・愛といったものを知る為には直観的認識能力である繊細の精神が不可欠であると考えました。また、資料の方も人間は惨めな存在であることを認めた上で、それこそが人間が偉大であることの証拠だと実際に書いてある為、4が正解となります。
 以上より、この問題の答えは4となります。

問6.レヴィナス

 この問題はレヴィナスの思想について、他者を題材に答える問題です。ユダヤ人であった彼の思想はそれこそ戦争によって特徴的な面を見せてくれていると言えるでしょう。反全体主義である、ということはまず理解しておくと良いかと。
 1は、他者は顔を持たない無個性な存在とし、根本的に私と区別がつかないものとして私と出会うとあります。しかし、レヴィナスは他者を重視した思想を繰り広げており、無個性で私と区別がつかないというのは矛盾しますね。そういう訳で、1は違います。
 2は、他者と私とは対等なものとして顔を合わせ、お互いを自己同一的な人格として承認しあう関係だとしています。これもまた他者と自身の垣根を薄くしており、レヴィナスの思想とは違いますね。従って、2も違います。
 3は、他者とは根本的に理解を超えた異質なものとして、彼方から私を眼差す顔において訴えかけてくるものとしています。レヴィナスは、そういった異質な他者を認めないことには、常に自分を中心において他者を暴力的に支配することに他ならないと言っております。それこそホロコーストから生き残った彼にこそ見えた視点と言えるでしょう。そういう訳で、3が正解となります。
 4は、他者に出会うためには私自身が生きるための労働の領域から出て、活動の主体として公共空間に自らの顔を現して発言しなければならないとしています。そんなこたぁ言っていないですよね。彼は他者の存在によって自身を抑制させよう、みたいな話をしておりますので、そもそもの論点がずれていると言えるでしょう。ということで、4は違います。

問7.シェリング、「迷うこと」

 ここでは、シェリングの「人間的自由の本質」を元に、迷いについて考察するようです。資料を読んで、「人間とはどのような存在か」を答える必要があります。
 1は、善と悪の両方への可能性を自らの内に等しく持っていて、そのいずれかを選択する決断を下さざるを得ない点で自由な存在としています。資料を読んで分かるように、人間は善と悪に向かう自己運動の源泉を持っています。そして、どちらか片方に道が決まっている訳ではなく、分岐点のように選択する必要があるみたいですね。それも未決定のままでいられないという。何を選ぼうと、それはその人間が為したことになり、その選択こそが自由なんだ、と書かれています。これは選択肢の内容と合致しますので、1が正解となります。
 2は、善と悪への可能性を等しく持っておらず、悪へ向かう傾向をより強く持つ存在だが、自ら選択する自由を有している点で自由だとしています。しかし、資料を読んで分かる通り、善と悪への可能性は等しいはずなので、この文章は不適当ですね。従って、2は違います。
 3は、善であれ悪であれ、そのいずれへ向かうかを自ら選び決断する力はないが、善と悪への可能性をともに認識し得るという点で自由としています。資料の最後の方に「人間が何を選ぼうとも、それは人間が為したことになる」とありますね。これは、人間が決断して選択していることを指します。それに、善悪が分かるのに制御不能というのもなんかおかしな話ですよね。そういう訳で3も違います。
 4は、善と悪への可能性を等しく持っておらず、悪へ向かう傾向をより強く持つ存在だが、その悪への傾向が解消され得るという点で自由が保障されるとしています。そもそも、資料に「悪への傾向が強い」みたいな話はどこにも表れていません。ちょっと性悪説に似ている感じがしますね。とはいえこの問題としては不適当なので、4は違います。
 以上より、この問題の答えは1となります。シェリングなんて隅にちょっとしか載っていないような人ですが、これは資料を読むことで答えを導き出せるという意味では良い問題でしたね。時間の問題を除けば。

問8.第三問のまとめ問題:レポートの穴埋め

 いよいよ第三問も最後の問題です。これまでの「自由」に関するあれこれを振り返って、レポートを書いたそうですね。その穴埋めをする必要があります。尚、全ての選択肢は異なる文章となっており、その意味で消去法は使えません。
 aは、第三問冒頭の会話から自由についてどう捉えていたかについて答える問題です。まず、一番最初にEが「制約のない状態こそ自由」だと考えていますね。そこにDが自己決定も自由の一つだと言います。但し、その後に自分勝手にすることと自由は違うと言います。このことから法や規範は単なる制約ではなく、他者との対立から合意に向かう調整の役割があることに気付いてますね。そしてそれらに支えられる自由の存在も。これらに最もよく合致するものは、1と2になります。まあ、2は後半部分しか書いてないのでアレですが。即ち、最低限議論によって得られた考察である「自由とは規範や法の上で尚成り立つもの」みたいな話が含まれている必要があるということです。
 bは、ディスカッションの後に振り返り、自分たちにとって何が重要と考えるようになったのかを答える問題ですね。これまでの問題を振り返ると分かると思いますが、多くの思想が人間は弱かったり迷ったりする存在として扱っています。しかし、その中でさえ選択することができることを人間の自由、尊厳などとしております。このことから、最も合致するのは1と3ですね。尚、答えではないですが2はなんとなく実存主義っぽさを感じます。主体を重要視するのが特徴ですからね・・・
 そういう訳で、この問題の答えは1です。これは問題全体を如何に把握するかの問題になっていますね・・・倫理としていいのか悪いのか・・・

第4問 人生

問1.現代における「家」

 この問題では、現代における家族というものについてどのような状態となっているか、文章の穴を埋めることになります。倫理というよりかは公共みたいな感じがしますね。穴は二つあり、それぞれ二つの選択肢から選ぶことになります。
 aは、残念ながら完全な知識問題でした。選択肢はディンクスとステップファミリーでしたね。ディンクスとは、Double Income No Kidsの略で、自分たちの意思で子どもを持たない共働きの夫婦のことを指します。対してステップファミリーとは、夫婦の一方あるいは双方が、子どもを連れて再婚したときに誕生する家族を指します。問題を見ると、「血縁のない親子や兄弟姉妹を含む【a】が増加する」と続いているので、夫婦のみではない世帯であることが分かります。このことから、答えはステップファミリーとなる訳です。
 bは、同じく完全な知識問題ではあるものの少し難易度が軟化しています。生活環境の快適さを意味する言葉がユニバーサルデザインとアメニティのどちらかを決定する問題でしたね。ユニバーサルデザインとはなんだったかというと、年齢とか障がいの有無に関わらず、誰でも使いやすいようなデザイン、みたいなものでした。確かに生活環境の快適さに関わりますが、それそのものを示す言葉ではありません。対して、アメニティとは快適な環境とか魅力的な環境、そもそもの「快適性」といった意味を持つ言葉です。これは問題の言う「生活環境の快適さ」という意味と合致しますね。従って、答えはアメニティとなります。
 以上より、答えは3となります。解説の余地がほぼ無いほど知識問題でした。

問2.個人の自立

 ここでは、二人の人物についての説明がされており、それぞれ誰の思想かを当てる必要があります。選択肢はそれぞれ二人ずついますね。
 は、「青年ほど深い孤独のうちに触れ合いと理解を渇望している人間はいない」としており、自我の目覚めについて論じたようです。選択肢はシュプランガーとマーガレット=ミードですね。マーガレット=ミードとは、文化人類学者ですね。南太平洋の島々の社会を心理学的方法によって調査し、人間のパーソナリティ形成に文化が大きな影響を及ぼしていると主張した人です。対してシュプランガーは、人生における価値や興味を何におくかにより正確を六つに類型化した人ですね。文化価値的類型説の人です。この型は理論型、経済型、芸術型、権力型、宗教型、社会型があります。さて、なぜこんなあまり関係無さそうな話をしているのか・・・答えは、新学習指導要領適用前の教科書と資料集を確認してもそれくらいしか載ってないってことです_(:3」∠)_。いや本当に参りました・・・。そもそも人物についての紹介ではなく、上記のような思想を為したということでチョロっと書かれただけなんですから・・・とはいえそれで答えない訳にもいかないので説明しますと、結論から言えばこの答えはシュプランガーです。彼のこの思想としては、「自我の発見」「生活設計の成立」「個々の生活領域への進展」という三つを青年期の心的構造の兆候として挙げています。「自我の発見」とは、自己の内面に眼が向けられ、独自の世界としての主観が発見される、即ち目覚めることを指します。これが問題の言う「自我の目覚め」ということです。まあ、流石に問題がやりすぎという感が否めないですね・・・他にもマーガレット=ミードがアイデンティティの確立関係で文化との関わりを取り扱っていることから、自我の目覚めを研究しているとは思えないだろう、ということから選択できる・・・かも・・・
 は、青年が親など周囲の大人への依存を離れて精神的に独立することを心理的離乳と呼び、それに伴う不安が個人の成長に必要とした人です。選択肢はサリヴァンとホリングワースですね。今回は心理的離乳というワードが鍵でしょう。大体この辺りをやるとルソーが表に出てくるので注意が必要ではありますが、こちらの思想はホリングワースになります。対してサリヴァンは、統合失調症とか同性愛についてで有名な人です。青年期(青春期)についての記述は性についての内容が中心となり、心理的離乳とはちょっと掛け離れるんですよね。これまた覚えろと言わんばかりの嫌な問題でした。
 以上より、この問題の答えは2でした。問題作成者がギリギリを攻めてきたんでしょうが、流石に本末転倒感がぬぐえない・・・(´・ω・`)

問3.社会での成功

 この問題は所謂現代文の奴です。資料読んで適切な答えを探す奴です。ぶっちゃけ倫理でやることなのか疑問に思わなくもない奴の一つです。尚、資料というのはミシェルによる「マシュマロ実験」の概要ですね。子どもの前にマシュマロを置いておいて、食べるのを我慢できた時間を測定する人の将来の成功について調べた実験ですね。
 1は、マシュマロを食べるのを自制できる時間が長い子どもは、家庭環境に関わらず将来成功したと言っています。しかし、資料の第二段落からの内容で、「我慢できる時間の長さよりも家庭の経済状況の方が将来の成功との関係が深いとされた」とあります。つまり、関係ないと言っています。そういう訳で1は違います。
 2は、最初のマシュマロ実験では参加者の家庭環境が限定されていた為、幅広い家庭環境の参加者から得られた結果とは異なっていたかもしれないとしています。この内容はある意味第二段落と同じであり、そして最後に最終的に資質と家庭環境のどちらが将来の成功に関係しているか答えを出していないといったことから、答えとして適当と言えるでしょう。従って、2が答えになります。
 3は、成功している大人はもし子どもの頃にマシュマロ実験を受けていたら全員マシュマロを食べるのを人より長く我慢できていたとしています。これは、1の選択肢と同じで、一部の情報が抜け落ちています。即ち、マシュマロを食べる時間が成功に直結するという保証は資料のどこにもありませんので、3は違うことが分かります。
 4は、結局マシュマロを食べるのを我慢できる時間の長さは将来の成功には全く関係ないから、家庭環境が大事だとしています。これまた両極端で、資料の一番最後にある「~研究者間での議論が続いている」が示しているように、全く関係ないと断定できるものがありません。そういう訳で、4も違います。
 以上より、この問題の答えは2でした。

問4.貧富の格差

 ここでは、貧富の格差に関する二つの思想と問題を読み、その正誤の組み合わせを答えるものです。これもまた倫理なのか?という・・・
 は、センの思想として「経済の発展を促す国家の機能に着目し、その機能の集合である潜在能力を拡大させていくことで貧しい途上国が自立できる」としています。センは潜在能力論の人でしたね(ダジャレじゃないですよ、なんかそんな感じしちゃうけど)。そもそもセンの言う潜在能力というのは、ある人が生活する上で可能な選択肢、即ち生き方の選択肢(≒機能)全体を指します。つまり、国家単位というよりは個人単位なんですよね。そういう訳で、これはアはになります。
 は、途上国の貧困層が飢餓に苦しむのは、その国の農業が先進国に輸出するための商品作物の生産を優先していることが一因だとしています。実際、先進国の需要によって途上国では商品作物の生産を優先していたりします。確か中学社会でもそんな内容はやったはずですね・・・(※学校によるかもしれませぬ)。そんな訳で、イはとなります。
 以上より、答えは3です。

問5.文化と宗教

 ここでは、文化と宗教に関する説明として正しいものをすべて選択する問題です。判定する文は3つありますが、消去法は使えません。
 は、ホモ・レリギオーススという言葉が神に祈りをささげるという宗教的な営みに重きを置く人間の在り方を端的に表現したものとしています。この言葉はエリアーデというルーマニアの人が言ったものですね。意味も大体そうです。信じる人,または宗教人という意味ですね。そんな訳で、アは正しいです。
 は、日本の高校で茶道を教え、自国と他国の文化の優劣を明確にすることは文化相対主義の考え方に基づいて文化の共生を促すことだとしています。そもそも文化相対主義とは、それぞれの文化に固有の価値を認め、その間に優劣を無いとしています。それなのに、自国と他国の文化の優劣をつけるというのは全くの見当違いですね。従って、イは間違いです。
 は、現在の世界で文化間の摩擦が増してくる中では、西洋とイスラムの衝突は不可避であるとするカルチャーショックの思想が説かれているとされています。そんな訳ないですね。スペインのレコンキスタ完了後なんて、西洋文化とイスラム文化の融合じゃないですか。それにカルチャーショックって文化の違いでおきる心理的なショックのことですからね・・・衝突をショックと言っている訳じゃないんですよ。感情的に言えばポジティブな感情もネガティブな感情もどちらでも同じ言葉が適用されてるんですよ。そんな訳でウは間違いです。
 ということで、答えは1でした。一個しかないことが逆に不安になりそうな問題(;^ω^)

問6.正義論

 ここでは、ロールズの思想と資料としてある正義論の抜粋を用いて、その説明として正しいものを答える必要があります。
 1は、均等な機会の下での競争の結果且つ最も恵まれない境遇を改善する場合にのみ不平等は許容されるとしており、資料より人の道徳的な価値は才能や技能に対する需要で決まるものではないと言っているようです。ロールズの正義論には、二つの原理が示されていました。一つ目は平等な自由原理と呼ばれ、全ての人々が他者の自由と両立できる限りできるだけ広範囲の基本的自由を平等に持つというものです。日本の基本的人権に近い感覚がありますね。そして第二原理は、不平等が許される条件とされています。これは、公正な機会均等原理と格差原理を満たす場合に発動されます。公正な機会均等原理とは、公正に機会を確保した上で生じる不平等です。同じ学校で習っている人が、全く境遇の違う会社に就職したとしても、機会の上では均等だった訳ですから、それが不平等としても許容されるということです。格差原理とは、不平等がない時よりあった時の方が最も不遇な人々の立場がよりマシになる場合に認められる不平等です。年収の高い人の方が取られる税金が高いですが、年収が少ない人からも同じ量取ってしまえば少ない人の方が困りますよね。それは許容されない、ということです。そんな訳で、問題文のロールズの思想部分は正しそうです。また、資料についても最初の文章に「人がもつ道徳上の価値は、~技能を提供しているか、~多くの人がその人が生み出せるものを欲することになるか、といった事情によって異なるはずがない」としていますね。そのまんまです。ということで、1が正解となります。
 2は、西洋思想の基礎にあるあらゆる二項対立的な図式を問い直す必要があるとした上で、資料では自らの才能を伸ばすことができるかどうかで人の道徳的優劣は決まらないとしています。資料部分については1と同様の理由で正しいことが書いてありそうです。対して思想部分ですが、伝統的西洋思想批判ということから脱構築っぽさを感じます。となると、最も可能性が高いのはデリダでしょうか。ロールズの思想ではないので、2は違います。
 3は、功利主義の発想に基づいて社会全体の効用を最大化することが正義の原理に適うとした上で、資料では才能ある人は道徳的な共通目標の為に自らの資材を提供するべきと論じたとしています。まず資料にそんなことは書いてないですね。また、ロールズは功利主義批判者の一人です。もし功利主義を認めるなら奴隷制も認めなければいけなくなるからです。そんな訳で3は違います。
 4は、無知のヴェールの下で正義の原理を決定しようとする際、人々は何よりも基本的な自由を重視することになるとした上で、資料では個々人の才能に応じて社会の利益を分配することこそが正義に適うと論じているとしています。無知のヴェールとは、自分についての情報が全て遮断され、階級や資産、能力などが分からない状況のことです。私がVtuberという体を選んだ理由もこれでして、「見た目」とかそういう余計な情報を除外できるからこそでした。・・・余計な話はさておき、そういった無知のヴェールの下では不平等が大きいルールを許容すると、自分が持たざる者になった時に不利益になります。その為、全ての人々は自分の利害を離れて許容可能な不平等の範囲を検討し、公正な競争のルールを設定するんだそうです。つまり、「基本的な自由を重視」している訳です。このことから、思想部分はロールズのものとして一致していそうですね。次に資料ですが、これまで述べたことと同様に、個人の才能に左右されるような正義は書いていない為、これは違います。以上より、4は違います。
 以上より、この問題の答えは1でした。彼が功利主義嫌いであることと、資料が読めれば比較的簡単に解ける形ではあったかもしれません。

問7.努力と報い

 さて、いよいよ倫理なのか所謂社会の資料問題なのか分からなくなりました。今回は努力が報われるのかどうかについてのアンケート調査結果を利用して分析する問題です。倫理でやるもんでもない気はするが置いておきましょう。
 aは、図1の読み取りです。1988年と2013年で、それぞれ男女と年齢毎に努力しても報われないと思っている割合が示されています。図を見ると分かるのですが、2013の方が1988よりも全ての世代と年齢で報われないと思っている割合が増えています。また、どちらの年も若年層ほど男性の「報われない」と思っている割合が比較的に高くなっていますね。逆に女性は全ての層でほぼ同じくらいのようです。あとは1988年の50代以外は全て女性より男性の方が報われないと思っている割合が高い所でしょうか。これを考えると、3と4、少し微妙ですが1が該当すると考えられます。何故1が微妙かというと、確かに若い世代の方がある程度割合が高いのですが、有意差を認めていいのか非常に疑問なレベルであったり、50代だけやけに低くなっていたりするからです。まあこれは保留していても一応答えは出るので大丈夫です。
 bは、図2の読み取りですね。見ての通り、生活水準が高くなった人ほど努力が報われると考えている割合が高くなっています。また、全体からすると報われる派が約73%と有意に多いです。変わらないを除いて良くなった派と悪くなった派を比べると悪くなった派の方が多いようです。以上を総合して、最も適切なのは2と3であることが分かります。これ、普通にやろうとしたら計算地獄に合う奴・・・
 以上より、答えは3になります。資料の読み取り自体が倫理なのか怪しい上、それが計算問題だったりするのもなんか微妙ですね。

問8.社会構造の思想

 ここでは、社会構造について論じた思想家の説明の内、正しいものを選ぶ必要があります。
 1は、マッキンタイアが現代の資本主義社会においては本来自由に生成して秩序を創造し直していくはずの無意識的な欲望の流れを法や道徳が機会の部品のように作用して制御する構造があるとしています。この人は徳倫理学の人ですね。ぶっちゃけ資料集にさえ載っていないかもしれない(教科書にはちょろっと載っているかも・・・)。社会構造に対する提唱者というよりかは、倫理、思想、理性、古代ギリシャ哲学等といったものに対して挑戦していった人です。ということで1は違うのですが、流石にこれが出てきたら取り敢えず置いておくしかなさそうですね・・・
 2は、ボードリヤールが脱工業化が進展した現代社会においては物がその有用さにおいて使用されるよりも、他者との差異を示す為の記号として消費される構造があるとしています。ボードリヤールは哲学者というか、社会学者ですね。消費社会において人々は、自分と他者とを区別する記号として物を消費していると言います。例えば、「高級腕時計」や「ブランド物のバッグ」なんかは良い例じゃないでしょうか。別に機能だけなら普通の腕時計やバッグでも問題ないはずですが、その高級なイメージや格好良さという他者より優位に立たんとする意思によって消費されますから。これが進展していくと、物に限らず、知識、情報、健康、安全もまた商品となり得ることが特異的と言えるでしょう。以上より、2が正解ですね。
 3は、デューイが狂気を理性から区別して排除していった近代社会の成立を辿り直す中で、学校や職場での教育や規律が人々の自発的な服従を促す、不可視な権力の構造を明らかにしたとしています。なんかフーコーっぽいですね。「狂気の歴史」の。というかフーコーです。デューイも教育論については関わりますが、経験主義教育とか民主主義教育とか探究に関するあれこれといった、服従とは正反対な人間です。(尚子ども哲学P4/wC関係の論文ではよくこの人の名前を見かけるというどうでも良い情報)そんな訳で、3は違います。
 4は、ソシュールが無意識に作られた構造が人間の思考を規定しているという言語学の知見に学び、南米諸部族の親族関係や神話の分析を通じて、未開社会を基礎付ける複雑な思考の構造を明らかにしたとしています。ソシュールは言語構造体系の人で、「シニフィアン(呼び名)」と「シニフィエ(呼び名の意味するもの)」について言った人です。つまり、「ワニ」という単語は爬虫類のワニ目の生物を大抵指します。この時の「ワニ」がシニフィアン、「爬虫類のワニ目の生物(これを言葉ではなく実際に想像して頂いた映像と思った方が適切だが・・・)」をシニフィエと言います。しかし、同じシニフィエでも英語では「crocodile」とか「alligator」とかに分かれます。こういった、文化による差異と構造に着目して研究したのがソシュールです。では問題が言うのは誰か。レヴィ-ストロースでしょう。ソシュールの言語構造体系のモデルを、親族や神話など文化の構造の分析に応用した人ですから。という訳で、4も違います。
 以上より、この問題は2が正解となります。結構難易度高めでしたね。

問9.第四問のまとめ問題

 いやらしい飛び地問題が来ましたね。大問最初の文章も利用して答える必要があります。穴埋めは全部で4つですね。
 aは、Gが運の違いが産む格差をどうするのが望ましいと思っているかを答える問題です。さて、最初の文章でGは、格差は社会が埋め合わせるべき、努力できるようになるかも社会の仕組みや構造に左右される、などとしています。これらに合うものとしては2,4、もしかしたら3もでしょうか。最も合うのは4ですが。
 bは、H側の同じような格差に関する思想です。Hは最初の文章で、社会で成功できるかは本人次第、才能とてそれを磨く努力が必要だから、その努力については個人を評価すべき、などとしています。Gと違って、色々あるにしても努力そのものを捨て去る訳にはいかん!みたいな感じですね。これらに合うものとしては3,4、もしかしたら2も合うかもしれませんね。少し判断に困りました。
 cは、問9としての会話でGが運の違いが産む格差を社会がどうすると、お互いを尊重できなくなるかもしれないと考えたかを答える問題です。まず、最低限Gとて格差は是正するべきという考えであることです。そしてGは、「社会が埋め合わせるべき」という思想ですので、この部分に入ると考えられるものは「もし埋め合わせがなかったら」という文になります。これに当てはまるものは、3と4ですね。
 dは、上記Gの考えを受けてHが、運の違いが生む社会がどうなると、人々がお互いを尊重できないと思っていたかを答える問題です。Hとて格差はあまり良いものとは思っていないことは明らかですが、その中で努力を評価しないのも違うという立ち位置です。それに合うものは2と4ですね。
 以上より、この問題の答えは4です。倫理は現代文のテストじゃないんですがね~・・・流石に考えられる回答全てが合っているかどうかは判断しかねます。但し、答えは間違いなく4ですし、4を入れると最も合致することは確かです。

終わりに(駄文)

 読んで下さった方々、ここまでお疲れ様でした。別にここは時間の決められた授業でも番組でもない為、はっちゃけた細部まで説明してきたつもりです。とはいえ、今回は9月になってやっと完成という遅さ・・・まっこと申し訳ございませぬ・・・
 基本的に言いたいことは去年の駄文と変わりませんのでそれは割愛します。そろそろ新学習指導要領の適用者が受ける試験となる訳ですが、現在の「思考する能力」を問う問題としてこんなものが出ていたら今後も余り期待はできそうもありません。残念。バカロレアも色々問題はありますが、倫理の問題もあんな感じで文章題になったら少しは変わるかもしれませんがね~・・・(但し採点者の負担は何万倍にもなるはずなので、現実的ではないです。)。まあ、言っていてもしょうがないですし、我々は我々でできることをするしかないです。例えば高校生や新大学生の思考能力の育成はその最たる例ですね。

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