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日本語による科学技術吸収:過去と現在の違い

最近、明治時代の日本の科学技術の発展についての解説を読んで、とても興味深いと感じました。

その解説では、海外の技術書を翻訳したり、科学技術用語を日本語で造語することで、日本の技術力が向上したと述べられていました。

この見解には納得できましたが、それに対するあるツイートには異論があります。そのツイートは、現代では技術書の翻訳が成り立たなくなり、日本の技術力が衰退しているのではないかというものでした。


私はこの意見には異を唱えたいと思います。具体的には、他言語に対する障害は、明治時代と比べてはるかに小さくなっていると考えています。その理由は二つあります。

一つ目は、テクノロジーの進化です。現在では、Google翻訳やDeepL翻訳などのツールに加え、生成AIが発展し、英語の論文を読み解いたり、その内容について質問したりすることが容易になっています。テクノロジーが他言語理解を大幅に助けてくれるため、専門的な言語能力が高くなくてもある程度理解が可能となっています。

二つ目は、他言語学習のハードルが大幅に低くなっていることです。例えば、英語だとオンライン会話やAIを利用した学習が普及し、24時間いつでも練習ができる環境が整っています。これにより、私たちはより積極的に他言語を学ぶことができるようになったとともに、明治時代と比べて翻訳の重要性は相対的に低くなっていると考えます。

もちろん、現代の政府が教育への予算を削減している点は、日本の科学技術の低下や国際競争力の低下を招いていると考えます。しかし、言語の壁については、テクノロジーの力を活用することで克服できる部分が大きいので、明治時代と単純に比較はできないでしょう。


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