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未来の自分を傷付けないために

彼と過去の思い出話をしていると、彼は残念ながら覚えていないことも多い。笑

そんなときふと思うことがあるんだけど

私の中では素敵な思い出として残っていても、その時間を共に過ごした彼がそれを覚えていないのなら、それは「起きていない」も同然なのじゃないかなって。

私だけ覚えていても意味がないというか。

(あ〜、子供の頃〇〇連れて行ったのに覚えてないの!?とやたら悔しがる親の気持ちがようやく身をもって理解できるようになってきた笑)

そんな話をしていると、なんなら私の記憶さえ正しいのかわからなくなってきてしまうことがある。

そうなると、とうとうその思い出は塵となるのだ。

だってそれを経験した二人自身が覚えていないのであれば、その出来事はなかったも同然なのだから。


なんて儚いんだろう。

だからなるべく写真は撮るようにしている。

残念ながら人間の記憶力ほどあてにならないものはないから、写真に頼るのだ。写真は思い出をしっかり「事実」として残しておいてくれるから。(写真がないと忘れてしまう思い出って多い)

でもそんなファクトチェック用とも言える写真が、事実を別のものに変えてしまうこともあるなって最近思う。

フィルター越しの世界


というのも、過去の写真を見返していると、写りがいいものしか残していないではないか(特に自分が写っているものは笑

過去の写真を見てなんだか落胆してしまうことがある。

あーこの時は、すんごい楽しかったなあ、めっちゃ笑ってるじゃん、
お肌ぴちぴちだったなあ、髪の毛めっちゃ綺麗じゃん、とか

でもそれは、あくまで綺麗に切り取った事実。(もちろん実際に美しいこともある)

ちょうどいい瞬間、アングル、ライティング、フィルター etc.

これらを熟知していれば余裕で、事実は”盛れる”

そしてそんな”盛れた”写真だけを事実として残してしまうと

未来の自分が傷付いてしまう。昔はよかったな〜って思いすぎちゃうから。

先述したとおり、人間の記憶力ほど頼りがいのないものはない、

あの時の「現実」は、写真によって操作されてしまうことが多分にある。

だから、だから、自分を大切にするためにも、盛れてねえ自分や出来事も意識的にちゃんと記録しておいて、現実とは誠実なお付き合いをしていきたい。

これは写真に限らず、全てにおいて感じる。

だからこういう場所でも正直に胸の内を書くようにしている。

なるべく未来の自分を傷付けないように。

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