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原体験って必要?

今日は、勤め先にて新卒の学生の採用面接をしてきたんだけど

いつも難しいなと感じることがある。

それは「原体験をどこまで追求するのか」だ。

今日の学生さんには特にそんな難しさを感じた。

というのも、用意してきてくれた志望動機や自己アピールはどれも、採用サイトから取ってつけたかのような綺麗な言葉でまとめられていて、どうしてもそこからその人物を感じ取るのが難しかった。

この方はどんな方なんだろう?この会社で心地良く働けそうかな?

根掘り葉掘りいろんな質問をしてみる。

それでもどうしてもその方を感じることはできない。

原体験の追求への違和感

「そのように感じた背景をお聞かせください」

発言の意図を深く理解するために、背景を聞いてみる。

大抵の人はこの質問も想定して、何らかのエピソードを用意してきてくれている。

でも今日の方は、はじめに話してくれた内容の表現を変えただけで、具体的な理由は出てこなかった。

そんなとき、「うーん。よくわからんな」と感じると同時に、そんな自分に嫌気がさす。

というのも、例えば、学生さんが「より多くの人が過ごしやすい社会をつくりたい」と言ってくれたとする。

そんな理想に対して具体的な原体験を聞くものの、

そもそも、そう感じることに理由は必要なのだろうか?

それっぽいエピソードや背景は果たして必要なのだろうか?

と感じずにはいられない。

極論、「より多くの人が過ごしやすい社会をつくりたい」と感じるのって割と自然なことなんじゃないかなとも思うし。

あと、原体験を追求することへの違和感の理由としてもう一つあるのは、

「初対面の相手に話したくないこともある」という点だ。

原体験にはその人を突き動かす力がある反面、それは非常にパーソナルな経験であることが多分にある。

そんな経験を話せ、と追求してみたり、期待通りのそれっぽい回答が返ってこなかったら「よくわからん」「あんま考えてこなかったな」と切り捨てることに気持ち悪さが残るのだろう。

とは言いつつも、ESに書いてある綺麗な言葉以上のものが出てこないときは、特に印象に残らないのも事実だから難しいところ。

つまりは、器用にやれってことなんだろうけど、不器用だからというだけで取りこぼしてしまう学生さんも結構いるんだろうなーと。

面接に限らず、不器用だったり正直すぎると損することが多いなーと感じる最近です。

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