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27歳女、子どもが欲しくない理由を考えてみた

子どもが欲しい!と思ったことがこれまで一度もない。子どものかわいさは、甥が生まれてから少しずつ理解してきている。が、自分が欲しいわけではない。少なくとも今は。

ではなんで子どもが欲しいと感じないのか、考えを整理してみた。

①あらゆる側面における自由がなくなる

これは王道な理由かもしれないですが、人生の優先事項は子どもになるし、経済的な負担もあれば、住む場所などを自分都合で変えることもできなくなる。あらゆる自由がなくなるなんて不安になる。

②自分より大切な存在を創り出すことがこわい

「子どもが欲しいとは思わない」とは言いつつ、自分が母性本能をたっぷり兼ね備えていることはなんとなく感じ取れる。見ず知らずの小さい子どもが一人で歩いている姿を見るだけで泣きそうになったり(情緒不安定だっただけかもしれないw)勝手な心配をたくさんしてしまう。既にこんな心境であれば、自分の子どもなんぞもった日にはどうなるだろう。想像するだけで恐ろしい。毎日が心配の連続で仕方ないんだろうなあ。私の母親は超がつくほどの心配性だったんだけど、いつも心配して大変そうだなあと思っていた。楽しそう、より、大変そう、が勝つ。

また、子どもという大切な存在が仮に居なくなってしまうようなことがあれば、その時はきっと立ち直れないんじゃないかなと思うから、そんな存在を創り出すのがこわい。

③果たして、「生きる」ことにそれだけの価値があるのかまだわからない

人生にはあらゆる苦悩や理不尽が伴う。もちろん楽しいことや幸せなこともたっくさんあるんだけど、正直大変なことめちゃくちゃ多い。そんな人生に、ないしは社会に、それだけの価値はあるのだろうか。私自身は、もう生まれてきた以上やるしかないから「生きる」をやっているんだけど、まだ生まれぬ子どもには、それを選んでやれる機会がある。

妊娠・出産は大変だけど期間でいうと1年弱で終わる。一方、ぽいっと産み落とされた子どもはその日から長い人生をまっとうする責任を負わさせられる(必ずしもまっとうしなくてもいいんだけど自分の②の性質を考えると、産んだ以上まっとうして欲しいと願うだろう)

果たして本人は人生を楽しめるのだろうか。そして、自分はそれだけの責任を負う覚悟ができているのだろうか。

④人はなぜ生きるのか、理由がわからない

普段の生活を送っていると「なんのために生きるのか」わからなくなることがある。個人的には「他者のためになること」が生きる意義だと信じているんだけど、じゃあそれはなんで?とか、普段の生活に落とし込むと少しわからなくなることがある。

人生は暇つぶし、なんてフレーズをあらゆるシーンで聞く(納得もできる)中で、じゃあなんで子どもを、その暇つぶしに新規参入させるのだろう。

この問いへの答えが出ない限り、産みたくない。子どもに「人ってなんで生きるの?」と聞かれた時には、しっかり答えられる人でありたい。

⑤子どもが「ありがとう」を言わないことにイラつく自分にイラつきそう

ごはんを作ったり、何かお世話をしたときに「ありがとう」が言えなかったり、片付けを手伝わない子どもを叱る親はよく見かけるが、そもそもなんで「ありがとう」を言わないといけないんだろう、と考えることがある。

だって、((望まない妊娠以外)親は、子どもに衣食住を提供して健康に育てる、という責任は理解した上で産むという前提があるとして)子どもはただただ生まれさせられただけだ。それなのに恩着せがましく「ありがとう」を要求してみたり、ましてや、期待する答えが返ってこなかったら怒ってみたり。親はエゴの塊かもしれない。私自分は親に対して、自発的に感謝したいからしているけど、自発的にそう思わない子どもへの対応がわからない。

とは言いつつ、自分が親になったら、きっと「ありがとう」や「ごめんなさい」は要求すると思う。そんな自分にうんざりしそうだ。

⑥「鼻からスイカ」なんて耐えられる自信がない

よく出産を「鼻からスイカ」を出すほど痛いというが、そんな痛みに耐えたいとは思えない。想像するだけでこわい。無痛分娩でも直前までは痛いと聞くし。お金があれば代理出産をぜひしていただきたいし、養子という選択もありだと思っている。


現段階での出産や育児に対する考えはこんな感じかな。こうやってみると、自分はまだまだ人として未熟なんだろうなあ。記載内容に関しては、ここ数年かけて自分なりの解を出していきたい。

(こうやって書き出してみると、自分の思考のクセがわかっておもしろい笑)


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