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誰かが悲しいから私は嬉しいと気付いてしまったら悲しくなった話

私は中学受験に失敗している。今思うと、12歳の自分にとっては割と初めての明確な”挫折”だったのかもしれない。とっても悲しかったしなんだか恥ずかしかった。

3年後、悔しかったから高校受験で再度同じ学校に挑戦した。

結果、見事合格することができた。その学校は高校受験の方が倍率が高いこともわかっていたから、その分嬉しかったんだけど、もやもやする感情もあったことを覚えている。

というのも、3年前の自分のような気持ちになっている人がそのときその瞬間存在することがわかっていたから、どうしても両手放しでは喜べなかった。

かと言って、このフォームに名前書いたら誰でも入学できるよ〜と言われて入っても、それほど嬉しいと感じられないこともわかっていた。勝ち取るから嬉しい。

自分は誰かが悲しいから嬉しいんだ。

そんなことに気付いてしまった。

また、その倍率は高ければ高いほど、勝ったとき嬉しかったりもするのではないだろうか。受験時だけではなく。

資本主義社会に生きる以上、この構造から抜け出すことは難しい。

うーん。

Netflixのイカゲームを観ていてそんな感情を思い出したのでした。。


最後に、、

このもやもやに対して、最近読んだ「ゲーム理論」の考えが結構好きだったのでご紹介。

「ゲーム理論」とは現代経済学でよく用いられる理論で、「人間社会は競争と協力のバランスで成り立っているので自分の利益だけを考えて行動しても期待する結果は得られない」という考えだそうで。

じゃあ自分は「協力」に重きを置いて生きたいなーなんて思った。というか、重きを置いちゃってでいいんだ!って勇気をもらえた(そういえば就職活動では「競争」は嫌いです、ってよく言ってたなあ。。でも就活自体が「競争」だよなー。あー難しい)

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