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理想と現実・・・出来事。

新年 あけましておめでとうございます。
2021年、今年もスタートしました。みなさん・・・いかがお過ごしですか?
美味しいものを食べて、呑んで、ゆっくりお正月✨
わたしは、子供たちと離れて一人・・・黙々と勉強に勤しみながら料理もろくにせず、PCにかじりついて学びの探求を思い存分していました。
料理殆どしていません・・・。久しぶりに独身状態で一人の寂しさを誤魔化すパーツが活性化。食べる量はいつも以上で、毎日顔が浮腫んでいます(浮腫んでいるのではなく、体重増加なのにそうは言いたくない・・・)

とにかく、自分の内側が反応することを徹底的にやってみる!そんなお正月を過ごしています。年末からブートキャンプ的に学んでいる「トラウマによる解離からの回復」に触れ・・・いろんなパーツが騒いでいます。


社会システムの関係性について活性する自分の内側にいるパーツ、この部分は年末年始の学びには外せない。ということで、「家父長制は無敵じゃない」を読んでいます。
男性・女性それぞれの生きるうえでのフェミニズムや女性側の抑圧に依存している意識を理解していくこと、その丁寧な紐解き・・・。

もう、男女二元論の時代ではないのです。男と女ではない。
システム全体の意識の変革の時代に、何を手放し 何をつかんでいくのか。社会構造なのか、自分の内側のシステムなのか、どっちが先でどっちが後でもなく、同じシステム構造が社会にも自分の内面でも起きていること。そこに気がつくことが第一歩であり、全ての癒しと希望が見えるように感じています。

どのように家父長制の時代に大切にされた願いや愛を今の時代に構築していくか、いい悪いの評価判断ではなく ここまで私たちを支えてきた根っこにある人間味のある側面に触れること、その意識や構造が未来につながっていくのではないかと 最近は確信めいてきています。私自身がどのように理解を深め、今までと同じではなく未来へつながる一歩を踏み出せるか正念場でもあります。一人一人の心の中に希望が灯され、生きる喜びを感じて毎日を過ごせたのならば・・・と、微力であっても前に進む自分でありたい。自分ができることを必死に考え、行動を探すのでした・・・。



今日、胸が締め付けられる出来事を目撃しました。一緒に考えて欲しいのでシェアします。
¥100ショップに買い物に行った際、未就学の2人の兄弟とお父さんが買い物に来ていて、その男の子が何度も叩いてした。
よく話は聞き取れませんでしたが「〜はどうしたんだ」と言って、脇腹あたりを手を大きく振って叩く。またすぐに「〜はどうしたんだ」と言って、脇腹を叩く。何度も何度も。
私は見ていられなくなりましたが、なんと声をかけていいのかわからず、そして声をかけた後にどんな返事や返しが返ってくるのかを想像してとても怖い想像しかできなくなっていて、介入するのをやめました。立ち向かえませんでした。お父さんにも何しらの理由があるのかと、気になって見ていました。そのお父さんは、手を挙げることしか子供に接する方法を知らないようにも私には見えました。駐車場でも何かを話しては子供に手をかざし、頭の上に挙げた手を子供に向けて力強く下ろします。
その様子に私は絶句しました。
そして 見ているだけの 自分に対して、絶望を感じました。「何が平和だ!いつも言っていることと、こうやって目の前に起きている時に何にもできていないじゃないか!」と、厳しく私を責めるパーツもいました。
そしてその後。子供が何度も手を挙げられている状況を目にした時、私は悲しくて目を覆いたくなり、私のパーツがぎゅっとして苦しかったのだと自分に起きていたことまず理解し、私の中の子供のパーツが危険を怖がっていて、安心や安全、優しさや思いやり、慈愛が必要だったと自分を包みました。

その叩かれていた男の子は、びっくりした様子もなく 叩かれることで痛みを反射的に避ける。がしかし・・・なんの違和感もないように数分後にはケロッとして笑顔すら見せていました。それを見て唖然とする私が・・・。何かしたいと思ったのは、私の中の出来事であって、男の子たちにとってその時、お父さんと一緒に過ごす買い物が楽しい時間だったのかもしれません。
そこにも、深く深く考えている自分がいます・・・。
本当の幸せや喜びは何だろうか・・・。

みなさんは、これを読んでどのように感じますか?
今日のこの出来事は、私にとって 大きな出来事でした。


世界を愛で包みたい♡
一人一人の愛の解釈が違う・・・。
人間であれば、同じ質を響き合わせられると信じたい私がいます。
信じよう・・・
未来に向かって。

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