「できない」を判断しないこと

生きていると誰しも調子がいいとき、悪いときがあります。

調子が悪いときにうまく行かなかったりするとできない自分を責めていました。

過食嘔吐していたときの価値観

毎日過食嘔吐をしていたときはこう思っていました。

「なんで普通に食べられないんだろう。」

「なんでこんなに食べてしまうんだろう。

「なんでこんなに家族に迷惑をかけてしまうんだろう。」


このようなことをいくつも思っていました。


少食生活で気づいたこと

この「できない」って、なんだろう。

誰が決めているんだろう?


自分です。


「できない」にフォーカスを当てていると、自分を責める感情が出てきていました。

自分を責めていると、今は「マイナスな状態」であると思っている状態になります。


自分にとっての「できる」、「できない」は自分が判断していることでしかなく、「できない」と捉えるていると、その先も「できない」しか訪れなくなります。

「できる」、「できない」の価値観は自分のそのときの状態に大きく左右されます。

それって、確実ではないですもんね。



では、その確実ではないものでそのときの状態を判断することはどういった意味があるのだろうと考えました。

「できる」、「できない」を判断する意味ってなくって、ただその時の自分の状態を受け入れること。

そうすることで、自分の価値観に縛られるなく、ニュートラルな状態で過ごすことができます。

「できる」、「できない」は判断しなくてよい

自分の価値観で一喜一憂していると、その先の未来もまた気分次第で変わってきます。

自分の今の状態が幸せで、これから幸せであるということは、「できない」という価値観は不要になります。

生きていく上で必要のないことにまた一つ気づきいたことが、また幸せです。

ただ、今ある状態を受け入れるだけ。

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