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なぜ「恐れ」を感じるのか
長年の摂食障害、特にその大半を占めていた「過食嘔吐」を手放しもうすぐで1年経ちます。
私が過食嘔吐を手放せるようになったのはなぜか?
何が手放せなかったときと違うのか。
それは「恐れ」に囚われなくなったからです。
何に恐れていたのか
過食嘔吐を抱えていた時はいつも不安を感じていました。
自分の体の健康のこと。
食料を買うことに沢山お金を使ってしまうこと。
食べることに時間を使ってしまうこと。
そして、自分は自分が理想とする人生を歩めていないこと。
こういったことに自信が持てず自己嫌悪を感じていました。
「不安」の元には「恐れ」がある
自分の体の健康のこと。
→「大きな病気にかかったらどうしよう。」
「一生治らなかったらどうしよう。」
食料を買うことに沢山お金を使ってしまうこと。
→「お金が足りなくなったらどうしよう」
「支払いができなくなったらどうしよう」
食べることに時間を使ってしまうこと。
→ 「このままやりたいことに時間が使えなくなってしまったらどうしよう」
「食べることで人生が終わってしまったらどうしよう」
自分は自分が理想とする人生を歩めていないこと。
→「行きたいところに行けなかったらどうしよう」
「老後、悲惨な生活になったらどうしよう」
「時間を無駄にして、死ぬ時に後悔したらどうしよう」
これから起きるかどうかわからないことを想像すると「恐れ」を感じるようになります。
そして、それが不安になります。
「恐れ」は「「わからない」から生じる
先のことは誰もわかりません。
確かなことなど何もありません。
しかし、人は先のことを考えて不安になります
わからないことは「怖い」と感じます。
例えば、みたこともない生物が突然目の前に現れるとどうでしょう?
大抵の人は驚き、近づかないと思います。
世の中で起きている紛争や差別も元は「わからない」ことも起きる要因の一つだと思います。
そして、「わからない」から排除しようとします。
もし相手のことがわかっていたら、殺しやいじめなどをする気が起こりません。
自分にも相手にも「人生」というストーリがーあり、それぞがそのストーリーを歩んでいることを思うと、誰もが「同士」だということに気づきます。
「恐れ」を手放す
「わからないこと」は自然なこと
「自分自身のことをすべて知っているだろうか?」
その答えに「はい」と言える人はほぼいないと思います。
何でできている?
アイデンティティは?
どういう人生を歩む?
自信を持って答えられることは難しいかと思います。
「今がわからない」のに、「先のことをわかる」には無理があるのではないでしょうか。
それなら、「わからない」ということを受け止める。
そして「わからなくて当然なのだから、何も悩むことないな」って気づくこと。
すると、とても生きやすくなります。
焦らず進む
私はそれに気づいてから、腑に落ちるまで時間がかかりました。
気づけば「不安」であることが日常でした。
長年持った価値観を変えることはすぐにはできません。
同じくらいの期間をかけて変えてこう、と焦ることをやめました。
すると、そのうち「恐れ」はどこかに行ってしまいました。
それまで感じていた不安からも解放されました。
「今が大丈夫なのだから、大丈夫」と思うようになり、現実も「大丈夫」な現実となっています。
全ては「愛」
「恐れ」を感じていると、現実で恐れを感じることが起きます。
「愛」を思っていれば、現実は愛で溢れます。
人は成長するために生まれてきます。
そして、人は幸せになるために生まれてきます。
一つ一つの困難を乗り越えて、幸せなる。
それが今生でどれだけできるか。
多くの人が自分の成長を楽しみながら人生を歩めることを願います。
今日も全てにありがとう。
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