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引退したので自分をインタビューしてみた。Vol.2

Vo.1をKさん本人に確認してもらったところ、

「長 す ぎ る 。」

との指摘を受けてしまいました。笑 わたしにとってはまだまだ短いくらいに思っていたんですけどねえ。。。

こんにちは、ミノッティです。Vol.1では7000文字ほどだったんですが、5000文字を目指して書かせていただきました。

それでは自分へのインタビューVol.2  始めていきます。


Kさん:この写真良く見るけどお気に入り?綺麗だよね。

ミノ:そうです!海外生活中のベストショットですね。オーストラリアでの一枚で、お察しの通り試合観戦中に撮りました。試合そっちのけですよね。笑

Kさん:それも海外ならではだね。東京なんかではなかなか撮れないか。それではオーストラリアでのサッカー体験記をお願いします。

ミノ:まずはトライアルの話からですね。みなさんが想像しているトライアルってなると一つのグラウンドにスカウト陣が集まって。って感じだと思うんですけど、僕の場合はそうではなくて1チームに練習参加を数日参加して、評価してもらうって形でしたね。

Kさん:ほうほう。チームに参加している間は他のチームへの練習参加は出来るの?

ミノ:オーストラリアの時は参加していたチームの監督からNGをくらってました。他のチームの練習には行かないでくれと。僕はこの1チーム目のキャンベルタウンというクラブからトライアルで何とか合格をもらって契約まで至ったのでラッキーでした。

Kさん:そうなると、そのトライアル期間で例えば2週間くらい同じチームへ参加しながら結局決まらないっていうリスクもあるよね?

ミノ:その通りです。同じタイミングでアデレード(オーストラリアの都市)でのトライアルに参加していた日本人はみんなほとんど1チーム目で決まりましたが、そういったリスクは他の国のトライアルではあるでしょうね。こういった形のトライアルではこのやり方が良いと思います。同じチームに参加することでフィットするかしないかをチーム側は決めやすいでしょうし。だけどなかなか契約まで至らない場合はトライアルしてる選手本人たちは不安が募っていくでしょうね。それで2週間かけてもし契約してもらえなかったなら、「じゃあこの2週間はなんだったんだ」ってなりますからね。

Kさん:だけどそれが現実だよね。チームとして「欲しいか欲しくないかを判断するために練習に参加させてあげてる」わけだから。戦力補強したいからって必ずしも契約してくれるとは限らない。ミノくんは何でそのキャンベルタウンからオファーを受けれたと感じてる?

ミノ:その通りです。だいたいのクラブは補強したいポジションがあってそこにフィットするかしないかですからね。僕の場合だと、運動量とか視野とか?あとは危険察知力とか、、ですかね。抽象的であまりピンときてなくてすみません。笑 でもその三つは自信を持ってプレーしてたので。

Kさん:どれも目立った”武器”にはならないね。そんな中でもチームを決められたのって他に理由があると思う?どうだろう。

ミノ:シーズン中にGKコーチに言われたのは、

「今まで長いことキャンベルタウンを見てきたけど、お前ほど周りを見てる選手はいないよ。よく走るしチームにめちゃくちゃ貢献してくれてる」

これには凄く驚きました。自分でそんなこと思ったこと無かったから。  確か2シーズン目に言われたかな。このGKコーチはイングランド2部でGKとしてプレーしてた実力者だったのでかなり自信になりましたね。というような背景があるので、”よく走る、視野が広い” という部分でチームに貢献出来ていたんだと思います。もう一つは”インターセプト”ですね。特に中盤エリアでボールを奪うことは徹底してました。正確なデータは無いんですけど、これに関しては自分自身で常に磨いていた部分でしたし試合中に何度もボールは奪えた記憶はあります。

Kさん:外人てよく褒めてくれる印象があるよね。そこも日本人とは違うし、常に自信を持ってプレーさせてくれるというか。日本人も勤勉っていう長所があるからもっとポジティブシンキングになって欲しいね。

ミノ:同感です。試合終わった後も”目立ったパスミスの指摘”より”豪快なシュートシーン”を彼らは評価します。特にトライアルでは。これは一例に過ぎないし、目立つような武器があった方が絶対的に有利です。ただそれがチームにマッチングするかは運の要素も高いです。

Kさん:なるほどね。じゃあインターセプトに関して、やっぱり外人と対峙する場面が多かったと思うけど、その辺もやっぱり鍛えたの?

ミノ:対人はもちろんですけど、それ以上に一瞬のスピードを大事にしてました。だいたい5mくらいの範囲ですね。どんなに鍛えてても対人では負ける場面が多いし、止まれずにそのまま突っ込んでくるのが欧米人の特徴でしたから、ケガが怖かったんですよ。不可抗力のケガだけは避けたかった。なのでわざと相手から離れてトラップ際を狙う、これに尽きました。これ結構どの相手にも使えます。上手くやれればですけど。

Kさん:確かにケガは怖いね。けどそこから逃げてばかりじゃ戦っていけない。だから戦い方を変えたってことだね。それって試合の中で感覚を掴んでいけるものなの?

ミノ:インターセプトに関してはそうですね。なるべく早くその選手のクセを掴むというか、相手に気づかれないようにイニシアチブを取る。プレッシングの行き方もどんどん変えていくし相手に絞らせない守備の仕方を徹底してました。この感覚はサッカー以外の部分でも研究してました。例えば

「なぜフェデラーが厳しいボールのコースを読んで強烈なショットを打てるのか。」

「なぜバレーボールのリベロの選手はルーズボールを拾えるのか」

「野球選手の守備の出足」

これらに共通しているのは”予測”です。色んな要素が含まれてますよね。ラケットの角度、ブロックから弾かれたタイミングや落下点、バッターがどのような体制で打ったか。全然サッカーには関係ないようですけど僕にとって大いに関係があるんです。サッカー選手としての能力値が低い僕にとっては全部が研究材料でしたから。あと、チーム参加の時もそうですし、試合中もそうですけど敵味方の特徴と癖をいち早く把握する作業もやりました。味方を生かすにも必要だし、相手の攻撃の芽を摘むこともそう。自分が下手なのはわかっていたからそういった部分で上回るしか生きる道が無かったんです。

Kさん:やっぱり試行錯誤してるね。サッカー以外のスポーツでそこまで見てる人ってあんまりいないかもね。オーストラリアでは4シーズンってことだけど、ずっとアデレード?

ミノ:いえ、4シーズン目は移籍のためにメルボルンへ渡りました。3シーズン目が終わって日本へ帰国してる間に、僕のプレー動画を見てもらってそれだけの評価でメルボルンのPreston Lions(プレストンライオンズ)というチームに移籍しました。カテゴリーは実質オーストラリア4部でした。

Kさん:それはステップアップではない選択だけど理由は?

ミノ:仰る通り、ステップアップでは無かったんですけど僕にとってはチャレンジでした。アデレードよりもメルボルンの方がサッカーのレベルが高かったんです。実際にメルボルンでもそう感じました。アデレードにも良い選手はいますが、メルボルンはそのチーム数と選手の絶対数が多いんです。オーストラリアでも地域ごとにリーグ形態が違います。アデレードは規模が小さい。なので自然とアデレードよりもメルボルンやシドニーの方待遇もかなり上位です。そういった面で僕としては違う地域でのチャレンジと、やはりサッカー選手である以上は「これだけの待遇を受けてるっていう証明をしたかった」。金で動いたと思われても仕方ありませんが、僕が考えるプロって例えば4人家族全員を養えるくらいの選手、であったので。キャンベルタウンからのオファーもありましたけど、そこは譲れなかった。ここまでの待遇を受けて始めてプロを名乗れると。勘違いかもしれませんがこれは自分を奮起させる材料でした。

Kさん:誰もが一度は考えるよね。日本でプロ経験が無かったミノくんにとってはアデレードでの待遇も奇跡的かもね。メルボルでのサッカーはどうだったの?1シーズンしかいれなかったけども?

ミノ:本当に受け入れてくれたキャンベルタウンには感謝してます。僕のキャリアの第一歩でした。 メルボルンはやはり甘くなかったです。チームの毛色も選手の個性も全く違う。当たり前ですが色んな要素が重なって苦しいシーズンになりました。同じタイミングで入団した選手もかなりいましたけど、シーズンが始まってからどんどん選手はクビになるし、新しく選手も入ってくる。お金のあるチームだったので選手の入れ替えも激しかった。いつでもクビにするし、いつでも新しい選手を探して契約もする。ある意味プロですよ。そういったハングリー面はキャンベルタウンにはない部分でした。 途中でケガもしたり、スタメンを外されることもあったけど何とか1シーズンやり切って終えましたけど、何も残せなかったです結局。プレストンからのオファーもありましたが、ビザの問題もあり断りました。オーストラリアに居住するのは結構大変なんです。だけどメルボルンでのチャレンジはこの1シーズンに掛けたいと思っていたので悔いはないですね。

Kさん:そっか。メルボルンでは自分の思うようにいかなかったようなニュアンスだけど、アデレードとは何か違った部分はある?

ミノ:やはり「サッカー×自分」の向き合い方がまずかったと思います。シーズンが終わってから日本で「俺が全然ダメだったんです、だからチームを優勝させられなかった」っていう嘆きを至るところでしていて、高校の先輩にボソっと指摘されたのを覚えているんですけど、

「上手くいかなかった奴はみんなそうやって言う。自分が全然ダメだったって。」

確かこんな感じだったかな?結構自分に失望していたのでうろ覚えなんですけど。。 この思考がそもそも間違っていたんだなと。         シーズン中、自分の思った通りに行かないことが多くてイラついたり落ち込んだりってことがアデレードに比べて多かったのは確かでした。     それは選手がどうとかチームがどうとか周りがどうとかじゃなくてもちろん”自分だけ”に焦点を当てながらずっとプレーしてたんですけどこれも違う。

「自分が外人枠としてチームに貢献する身としてふさわしいかどうか」 

これにあまりにもフォーカスしすぎたのが一番の過ちだったなと思ってます。要はこれ、自分のためにプレーしてるのと一緒です。

・このチームを勝たせる

・だから俺がやる

・良いプレーをすればチームに貢献できる

こういった抽象的な思考や表現になるので、自分の得意な形を出せなかった。いくら良い準備をしていてもこのメンタルじゃ、特に僕のような選手は一生貢献できないんです。

チームのためになりたければ、自分だけで頑張ろうとしたって良い結果をもたらせない。サッカーはチームスポーツ。全選手、全スタッフ、サポーターも含めて”周りの協力を経て”プレーすること。これが完全に欠けてました。それが優先にならないと自分のプレーもノッて来ない、現にそうでした。アデレードではこれが出来てたからこそ、充実してたんだと思います。何より楽しんでサッカーしてました。メルボルンでは楽しくサッカーが出来なかった。何でもそうかもしれないけど、自分だけ楽しもうったってそうはいかない。誰かがいて楽しめることの方が多いです。 

Kさん:その試行錯誤がシーズン中に気づけたらまた変わっていたかもね。でも4シーズンオーストラリアの2チームに貢献してきたけど結果はどうだった?

ミノ:キャンベルタウンでの1シーズン目はリーグ6位で終わりました。チームの中ではありがたいことに3種類の年間MVPをいただいて、2シーズン目はリーグ2位で終わったけどプレーオフファイナルで優勝しました。これはリーグ優勝より価値があるもので、1シーズン目から一度も勝てなかったアデレードシティというチームとの激闘を制しての優勝だったので試合終了のホイッスルと同時にその場で泣き崩れました。笑             スタジアムも2000年のシドニーオリンピックで日本VSアメリカが行われた会場でしたから興奮しましたね。良い思い出です。3シーズン目はリーグ7位だったかな?プレーオフにも進めずに早々とシーズンが終わりました。   メルボルンではリーグ昇格がマストの目標でしたけど、結局3位で終わりました。帰国後にシーズン中に活躍した選手として称えてくれてました。これにも感謝です。端から見たら全然活躍してなかったですし。笑


Kさん:オーストラリアでの話は尽きないというか、まだまだありそうだね。笑 じゃあ今度はマルタでのトライアルを聞かせてもらいます。あとはミノくんの経験談から、これからチャレンジする若手に伝えたいことなんかもお願いします。


今回も長くなってしまいました!マルタでの体験記も書こうとしたけど編集しきれず。笑

Vol.3もなるべく早く執筆していきますので、よろしくお願い致します!


ミノッティ。


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