台湾で読む日々 2023.12.1

12/1 FRI
住んでいる街も、だいぶ寒くなり、今日パーカーを羽織って電動自転車に乗ったら、なんとも風が冷たい。
ここの冬は雨ばかりだ。
日本にいた時、台湾は一年中暖かいような印象だったのに、実際冬はずっとジトジトしていて気が滅入る。強い日差しに焦がされる

つい先日まで伊坂幸太郎の新作『777』のため、殺し屋シリーズを読み返していた。
最初の『グラスホッパー』を読むと、徐々にポップに変化しているのを感じる。
なんだろう、『グラスホッパー』は暗いのだ。読んでいると街はずっと暗灰色でイメージされ、鯨も槿も黒い服の印象で、蝉の明るさだけが目立っている気がする。
『マリアビートル』では果物コンビに恋をし、『777』では布コンビを応援したくなる。
そして天道虫の、不運すぎるところにクスッとしながらも、彼の凄腕で土壇場の冷静さにやられる女子は多いのでは。続きが楽しみ。
SNSに投稿なんてしていると、時に一般大衆向けのものが好き、というのが恥ずかしくなり
、高尚なものやマイナーなものやアングラなものを求めたりする「サブカル女子的思考」が邪魔をすることがある。「好きなものは好き」という感情は一番大切にしなくていはいけない。結局ね。

今は向坂くじらさんの『夫婦間における愛の適温』を読んでいる。
「合理的に考えて、死んだほうがマシである」を読む。くじらさんの友人エスちゃんが時折「死にたい」と電話してくる。カウンセリングのことなど勉強したにも関わらず、すごく動揺してしまい、どう向き合えば良いのか、などが書かれている。
 この年になると、そこそこ近くに住んでいる友人でも半年に1度くらいしか会わなかったりするし、気軽にいつでも電話できる・電話してくれる友人がいるだけで本当に羨ましい。
 読みながら数人の友人が頭に浮かぶ。読んだ後に昼寝をしたら、見事10年あっていないがSNSで一方的に見ている友人に電話をかける夢を見た。
今は社会から離れているし、付き合う人は自分の好きな人だけ、とできる中、どうして私はかつて好きで好きでたまらなかった友人たちに電話もできないのだろう、と虚しくなる。


でもかつて、私も誰かに「死にたい」と乱暴な電話をしたような気がする。いや、もしかしたら、相手から言われたんだったかもしれない。
10代や20代前半の時、いつでもぼんやり死にたくて、そんな自分の周りには似たような人間が多かった。
その時、相手が言ったのか、過去の自分が言ったのかもう覚えていないけれど「死ぬのはいつでもできるからさ、」とすごく雑だけど真理のような言葉がそこに置かれたのだった。
その言葉を今もひたすらに抱きしめて生きている。

誰かが大切になるというのはなんだろう。大切になればなるほど自分も痛くなって、拙くなっていく。それでいて、知識やテクニックはいらない、ありのままに思いを伝えればいいなんていうのも、違う。それならいったいなんだろう。そのあいだにわたしたちはなにを求めているんだろう。また同じ問いに戻ってきてしまうように思う。どうして、このあなたはこのことを、このわたしに話すんだろう。それがいつまでもわからないまま、わたしたちは話している。

p.55、向坂くじら、『夫婦間における愛の適温』

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