いまから2000年続くとされる、水瓶座の時代(アクエリアンエイジ)とは何か。


歴史的にみると、ごく最近のこと。
これから2000年続く
水瓶座の時代(アクエリアンエイジ)が始まったとされる。



それは、通常の占星術で使われている水瓶座のことではなく、
あくまで西洋占星術との関連でいうなら、すべてのホロスコープの前提である基準点としての春分点が、
宇宙空間における魚座の位置から水瓶座の位置へと移動した、という話だ。



地球の歳差運動によって、
地球から見た春分点の位置は、
きわめて鈍速ではあるが
少しずつ移動しており、
だから長い目で見れば、
天体観測の基準点としての北極星すらも、ゆっくりと移動している。
その周期は、
1周あたり25,920年であり
約26000年、という言い方がよく使われる。
その約26,000年という時間をかけて、地球から見た春分点の位置は12星座を1周し
(これはサインではなく星座だ)
ひと星座あたり、
2160年ほど滞在する。
これも、約2000年、などと表現される。


そうして、
正確な切り替え地点を
年月日で正確に示すことは不可能で、
大雑把にいえば、
西暦2000年頃に、
地球は水瓶座の時代(英語でアクエリアンエイジ)に突入したのだ、という話だ。



でね、
この話題は、
西洋占星術界隈では、ほとんど語られることは無くって。
アクエリアンエイジ=水瓶座の時代を話題にしていたのは、むしろ、スピリチュアル方面の人たちだったのだ。
とくに、2012年アセンション説に関連して、水瓶座の時代に突入したので人類はアセンションします、などと言われていた。
まぁ、なんとも語り古された、ムカシの話にしか聞こえないのだが💦



つまり、
そういうわけなので、
水瓶座の時代とは何か、ということをあれこれ語っていたのは、ようするに占星術にはまったく詳しくない人たちだったのですね。
だから水瓶座の時代、というときの水瓶座の説明も、だいぶテキトーで、水瓶座のなかの良さげな部分だけ、上手く切り抜いてきたような、、、、、



具体的には、
自由で平等で博愛主義的な、だれもが公平に自分らしく生きられる世の中になる。
という感じでしょうか。
ここには、
水瓶座が持つ残酷な部分。
すなわち、

孤立化は果てしなく進むこと。

弱者は絶対に救済されないこと。

そして、
なにがあろうとすべて自己責任になること。

などは一切語られてはいませんでした。






実際に水瓶座の時代が始まってみて。
それと歩調を合わせてインターネットも普及して、ネット無しの生活は考えられない時代に突入したのだけれど。
そうなってみると、
身も蓋もなく、わかります。



ほんとうにもぅ、
弱者救済なんて不可能ですね!




単純な話、
むかし風の、努力する者はかならず報われる(はずだ)、というテーゼ(ストーリー)もそもそも本当かどうかも怪しいんですけど。
そんな、むかしながらの、
『ひどい境遇に生まれたとしても本人のやる気と情熱さえあれば出世できる』
という意味での平等・公平はいまや何ら意味をなさず。


わかりやすく言えば

これは、


①基本的人権をだれもかれもに認めるのなら
②その時点で弱者救済は不可能である


という話になるのです────。








うーん。
すこし話が大きくなってしまうけど、
水瓶座の残酷さが
そのまま反映されている部分なので。
占星術師として、
ここは、
ちょっと語ってみます。





ネット社会が進展すればするほど、
弱者救済は不可能になります。



その具体的な例として
ネットには付き物である(とされている)、
炎上とか誹謗中傷というものについて、考えてみますね。


いちおう、
いまの時点では
誹謗中傷をされた人が被害者で、
場合によっては被害者は自殺するところまで追い詰められてしまうので、
これはもう、
場合によっては、
被害届けを警察に出したり、
民事訴訟を起こしたりすることも
(さらなる被害防止のため、自衛の手段として)
必要だ。
そのために法律も整備したほうがいいかもしれない。
いまは、
ちょうど、
そのような議論がなされている状況です。



でもね、
この先、
たぶん10年くらいの間に(もっと早いかも)
話の方向性は、逆転しますよ。



単純に言えば、

こうなります。



インターネットは
だれもが自由に使える道具だが、
インターネットという
自由に使える道具を用いてすら、
それを自分自身のために使うことができず、
ただただ、
『他人の誹謗中傷しかできない』ような者は
まったく救いのない弱者である。


という見方が
当然のものになるのです。




これって、
かなり深刻な話なのよね。



これを説明するのはかなり面倒なんだけど。
たとえばの話、
わたしがここで西洋占星術の記事を書けるのも、
①西洋占星術をすでに修得していて
②それについて言葉で表現することができるから
なのよね。


言うまでもなく、

こうした能力は
一朝一夕で身につくものではありません。
努力が大事、と言ったところで、
そもそもその努力をしたくなるような動機は、どこからやってくるのでしょうか。



西洋占星術、などというニッチなジャンル名を出さなくても。
文章でできたコンテンツを享受するためには、文章を読めなくてはならず、
文章でできたコンテンツをつくるためには、文章を書けなくてはならず。
その能力が無い者は、
最初から、
入口にも入ってこれないわけです。


文章の読み書きなら
学校で教えればいい、
そのために義務教育があるんだ。
という声が聞こえそうですが、
さにあらず。
『義務として』日本語の読み書きができるか、ではなくて、
『自由時間の楽しみ事として』日本語で書かれたコンテンツを読むのは楽しいか、
という話なのですよ、これは。


実際、わたしは、
動画を見るのは大の苦手で、
すこしも楽しくないのです。

なので、
よほど特別な例外を除いては、
(※具体的には松村潔先生の授業動画)
YouTubeには関与できません。



当然のことながら、
どれほど有益な動画があろうと、
その世界に入っていけないのなら、
コンテンツとして鑑賞することさえ不可能です。
一本二本の話なら
『この動画は特別に有益だ』と聞いたから、時間をつくって、勉強のつもりで見てみました、ということも可能だけれど、
しかし、そんなやりかたでは、
毎日毎日何十本もの動画を見ている人には絶対に勝てないわけです。
なので、どれだけ動画を見まくったかが勝敗を分けるジャンルには、わたしはそもそも参入できません。。。。


でね、
これだけなら、
趣味の話だし、
『個性が大事だ』
とかの綺麗事に逃げ込むことも可能かもしれない。



わたしの場合は、単に動画を見れない、というだけで、日本語の文章ならば書ける。
すくなくとも、第三者的に見ても意味の通じる文章を書いていけます。
なので、文章を書ける、という能力を使えば、noteとかのコンテンツを制作できて、ここでは、クリエイターを名乗ることもできて、コンテンツ制作者の端くれになることもできます。




それに対してね。
いまの時点では、
まだ知られていないか、または、
うまいこと無視して誤魔化しているものの。
ほんとうのほんとうの話として、は、ね。





世の中の平均とか普通、通常、における、
『できない』の底は、
想像を絶するくらいに
深いのです。




あからさまに言ってしまえば
意味の通る、
他人の心に響く可能性のある言葉を
吐くことができる機会は、
『誹謗中傷をするときだけ!』
という人間は、
多くいます。



それに対して、
誹謗中傷はいけません、
と教育することや
違反者は法律で罰することは
可能でも、
『誹謗中傷ではない』
『しかし心に響く(かもしれない)』
言葉の紡ぎかた、を
教える方法はなく、
教える機会もありません。



だいいち、わたし自身、
いま自分のサークルに向けて、
毎日毎日、4000文字とかの長文の記事を書いて、それが授業だということにしている。
しかし、それだけの文章を書ける情熱がどこからやってくるのかわからないし、さらに、これだけの内容を書けるほどの知識をいつのまに培ったのかと言われれば、ますますわからない。


話を西洋占星術に限定すれば
わたしは『持てる者』であり、
『持たざる者』に比べて
有利な位置にいます。
しかし、いかにして『持てる者』になれたのかは自分でも説明できないし、
『持たざる者』にそれを分け与えることなど、なおさら不可能です。
そうして、誰にとっても、それは同じくことなのです。


『持てる者』と『持たざる者』の絶対的な差異を、教育によって補える、という見方は、幻想です。

なぜなら、

『教育を受けたい』という情熱を教育することは、できないからです。


自己啓発、というジャンルでは。
成功者、と言われる人々が講師として登壇しては、いかにして成功するか、ということを情熱とともに語りかけてきますが、
①それを聞いただけで成功できる者などそもそもいないし、
また、
②成功者の話を聞きたい!という情熱じたい、そもそもどこからやってくるのかは謎、という話になります。


長所、と呼べるものが何も無く、
それをこれから育成しよう、という気力すら湧かない人も大勢いるし、
その人たちにも等しくインターネットを使用する自由は開かれているのですが、
それによってなにが起こるのかというと、


ようするに、


結局、格差が拡大するだけ、なのです。





クリエイティブであることを誇りとする、noteのような場所にいると、このことは、きれいさっぱり見落とされる。
なぜなら、クリエイティブでない、クリエイティブ要素のまるでない人間は、そもそも参入してこないから。



だから安易に、
きわめて安易に、
日本に1億の人口があれば、
日本には1億のクリエイターが存在する、


などと短絡してしまうかもしれません。



また、そのように述べていたほうが、
人として美しい感じもするし、
他者の個性をきちんと認めている感じもするし、
無知、あるいは綺麗事を好む属性によって、この事実は、当分は、隠された(語られない)ままでしょう。




しかし、
実際には、
世の中の多くの人間は
(ヘタしたら大部分は)
創造性の欠片もないばかりか、
創造性を育てることへの憧れもなく。


そればかりか、
コンテンツを享受する側としてさえも、
より高度な内容、
より理解の深まる内容、
などという考えはなく。
単に刺激が強くて、
すぐに感情を煽られるものに(だけ)、
反応していくのがふつうです。



ですから、


自由に使用できるインターネットという自由な道具は。
多くの人々にとっては。
とどのつまり、他人に用意してもらったコンテンツを享受すること以外に使い道など何もなく。
しかも、
真偽/真贋を判断できる能力もない(育てることもできない)ので、
ただただ感情を刺激されやすく、
安直に感動できるか、
安易に正義感という名の怒りを刺激されるものばかりを好むことになります。


ほんとうに、


それ以外の展開は、


ありえません。




すべての人間に等しく自由を認める、
ということは。
堕落する自由も認める、ということです。


『自由を享受するに足る人間性をみずから育むことができたか』
などという自由を得るための審査などは存在しないのです。



自由。
西洋占星術でいえば
水瓶座が象徴している
『インターネットという自由』
が差し出した
無制限の自由がもたらす
ディストピアは、すぐそこです。
今後も格差社会は果てしなく拡大しつづけ、それを防ぐ方法などは、ありません。

(※西洋占星術でいうと、基本的人権や自由は水瓶座の管轄であり、インターネットも同じく水瓶座です)

お金あげるの大好きー✨✨✨ お金もらうのも大好き💕💕💕💕