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2024 「わたしは私に優しくなる」

社会に適合できない人たちがいる。

ADHDや自閉症。極端でなくても、グラデーションのようになっている、いわゆる「グレーゾーン」

今の年齢になって周りの指摘で自覚して、幼少期からずっと生きづらかった理由がわかった。
私は、ADHDなのだと思う。そして大きな音が異常に苦手(お化け屋敷、雷、車のクラクションが無理)で人の感情に敏感な性質はHSPもあるのだと思う。

思えば私は子どもの頃からズレていた。

何か頭に浮かぶとそればかり没入して、授業や会話が耳に入らなくなる。幼い頃は独り言が多かったし、興味がもてないことは、どんなに頑張っても全く頭に入らなかった。

テストはいつも赤点。成績表には1と2が並んで親には「どうしようもない」と呆れられる。忘れ物も失くし物も多かったし、クラスメイトの持ち物を間違えて持って帰ってしまうことも多々。

だからイジメにもあってきた。

防災頭巾に画鋲が仕込まれて座った瞬間に怪我したり、上履きが隠されたり、席替えをすれば隣りになった子に「えー。最悪なんだけど」と言われたこともある。今ならたぶん「私だって最悪よ?」とか言い返せるんだろうけど、昔の私は大人しかった。


中学もそんな状況だったから精神的頻尿も患った。頻繁にトイレに行きたくなる精神的な症状で酷いときは授業中の10分に一度、トイレに立った。
注目されることが嫌なのにそれを怖がることで精神にくるという悪循環だった。

高校時代も剣道部の仲間からいつも虐められていた。

ある時は大会に向けて一生懸命折った千羽鶴がロッカーから出され全部広げられていた。戸惑う私にいじめの主犯が「折り方が下手だからやり直して」と当たり前のように言ってきて唖然とした。喘息で呼吸が辛いときに「うるさいから息するのやめて」と言われたときはさすがに相手の人格を疑った。

あの子達が当時、毎日の過酷な稽古に疲弊してストレスのぶつけどころを探していたこと、主犯の子の家庭が厳しく、その躾けられ方を持ち込んできてたと今は分かる。いじめを正当化する気はさらさらないけれど、彼女たちはきっと自分たちのしていたことをいじめとは思っていなかっただろうし、当時の私のズレたところが彼女たちのストレスだったのだと思う。
今の私から見れば当時の私も全く悪くないけれど、彼女たちも悪くない。
その当時に悪いものがあったとすれば、思春期にサンドバッグを作らなければ保てないような精神状態まで生徒を追いやる過酷な部活環境であり、それを当たり前としてきた昭和のスポ根頭の教師たちだとも思う。

だから、今は当時のことに対して恨みつらみはないけれど、学生時代は本当にしんどかったなぁと思うし、今の私が当時の私に憑依したら相当なリベンジをしていただろうと思う。少なくとも剣道部を廃部に送り込んでいただろうな、うん。

・大人になって見つけた私の「水」

昔の私は「自分がだらしないから」「忘れ物が多いから」「頭が悪いから」阻害されるのだ。私がいけないんだから、仕方ないことなんだと思ってきた。

だから社会が嫌いだった。常識やルール、「こうあるべき」という主観の押し付け。
そんなものがあるから、それが出来ない私は「不適合」とジャッジされて排除される。

「やらない」と「できない」は大きく違うのにわかってもらえない。その事が辛かった。

それでも色んな痛みと経験から学び、人と関わる常識もそこそこは身につけて、私は大人になった。
社会への違和感はついてまわったけれど、昔みたいに排除されない方法は分かっていたから「なるべく普通に」周りと関わってきた。

20代半ば、それも限界を迎えて起業という生き方を選んで紆余曲折を経て今に至る。外見の変化と波瀾万丈な人生で得た鋼のメンタルで当時の事を笑って流せるし、大きなトラブルが起こっても淡々と処理できる。

そんな「こちら側」に来てわかったのは、起業している人の多くがADHDや自閉症で自分とよく似ていること。

もちろん社会の学歴ゲームを上手く攻略して華麗な経歴を提げている人たちもいるけれど、私のように忘れ物も失くし物も異常に多くて、部屋の片付けもできない、没入する人たちが沢山いる。

この域にくると、もう自分がズレていることが一つのアイデンティティになっていて、自慢のように盛り上がる。
電車にまともに乗られないことをドヤ顔で語って許される社会があるなんて、すごい。

「私、たぶんADHDなんだと思うんだよね。こないだそう指摘されて」と友人に打ち明けたら「え?今頃それ気づいたの?」と自然に驚かれたのは衝撃的だったけれど。

たぶん今みたいな生き方に辿り着けず、中途半端に社会に適合しようとしていたら私は何も得ず、今ほどの強いメンタルも持ち合わせていなかったと思う。

・ 自分の特性と遺伝

思えば私はアイデア力が昔からあって、学生時代は私が発案していたアイデアで文化祭の出し物やダンス大会の振付が高評価を得ていたことが多々あった。喜ぶ陽キャたちの横で評論に耳を傾けながら「(これ私が出したアイデアだったんだけど、みんな忘れてるな)」と内心呟いた事が何度もあった。

控えめすぎる性格ゆえに謙虚にスルーしてきたけど、実は溢れんばかりの才能が輝いていたんだなと思う。

その能力を活かせて今、仕事ができているとすれば、今の私は私に合う水で泳げているのだと思う。本当に運がいいし、恵まれている。(実際、運がすこぶる良いことを自認している。私の場合、何が起こっても良い方向にしか進まないから)

没入できるから、どれほど重い作業でも飲まず食わずで最短で仕上げられるし、今の事業が成り立つ事も一種の粘り勝ちだったりする。

学校ではダメだとされて排除された私の性質は大人になった今は「大きな武器」だ。

そして最近、我が子に昔の私を重ねる。

やはり遺伝か、我が子もマイペースでゴーイングマイウェイに育っている。
興味のあることに没入する一方で興味がないことは全く入らない。

そんな姿に少し不安を抱く一方で、最近「0から1を作れる子」と、ある習い事で評価された。

「みんなと同じものを作るのは苦手なのに、自由に作っていいよと言うとアイデアどんどん出して新しいものが作れるんですね。これからの時代に求められている力を持ってますね」と言われ、誇らしかった。

「大人の言うことをきかない」「頑固なところがある」そういう部分もあるけれど、それこそ私が子どもの頃に散々大人から受けた評価すぎて、「お互い、生きづらいね」と思ってしまう。

自分の世界や興味のあるところに没入しがちで
自分が強いから周りに合わせる事が苦手。
納得しないと動けない。

そのまま子どもの頃の私そっくり。

そりゃ合わなくても表層的に適合できる人もいるし、私だってコミュ障をぎりぎりで改善させていった身だから、適合しようとする姿勢や努力の尊さも知っている。でも、そこに至るまでは親からも学校からも否定され続けて、正直ずっと辛かった。

自分の性質、「他人と同じにできない」ことを理解されないというのはとても辛い。
少なくとも私は自分の経験から知っている。

学校教育は昔から変わらないし、世間のあるべきジャッジも消えない中で、私が親として子どもに教えてあげられることは「とはいえ」の道徳感くらいかなと思う。

没入する、だらしなくなっちゃう、忘れ物が多い。

そういう性質が時に迷惑をかけてしまうことは事実だから、その自覚は必要だよね。そういうときに「ごめんなさい」「ありがとう」が言える視点も。
あとは、同じように生きづらいけど頑張っている人に寄り添うこと。

今の私のように大人になったら学校という枠から外れて似たような人たちが周りに集まってくる。まんま自分と同じではなくても、何かがズレて生きにくい人たちを理解できたらいいし、自分に合う水が見つかればいい。

そして、他人があなたをどれほど否定しても、それはその人の価値観であり、その人の課題でしかない。と私は伝えたい。

大事なのは「あなたが自分をどう思うか」
それ以外は正直、どうでもいい。

貰わなくていい言葉は受け取らなくていい。その姿勢を仮に「開き直りだ」と言われたとしても、そう捉えることすら相手の価値観でしかないのだから。

これはここ数ヶ月、出逢った私の尊敬してやまない人たちの与えてくれた視点でもあるのだけど

一方的に否定してくる人と無理に関わってもそこに成長はない。傷つく場所に身を置かないのは本能レベルで正しい判断だと私は思う。
自分を守ること、大切にすることは深い愛情なのだ。

だから、いじめられるなら場所を変える。攻撃してくる対象からは離れる。

世界は広く、価値観は様々であり、否定する人もいれば肯定して愛してくれる人だっているのだから。

これは私の子どもも、私自身も、そしてあらゆる「適合できない生きづらさ」を感じ続けている人にも伝えたいことでもあるのだけど

もっと自分に優しくて温かくいられる場所に身を置こう。そして揺るがない安心を土台にして、より成長しよう。

私は私に優しくなると今年、決めた。
ずっと頑張ること、擦り切れるほど耐え凌ぐことが私の生存戦略だったけれど、そんな殺伐とした精神じゃ幸せを生めないし、人を満たすこともできない。

自分自身が豊かに満たさる事を大切にする。

それは楽とか逃げじゃなくて、人に与える側に立ちたいなら前提の状態だと今は思う。

母としても経営者としても一人の人間としても、より成長するために

「2024年。私は私に優しくなる」

少し遅くなった新年の抱負。



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