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創作『猫と魔女の花屋』②

リラとパルム

「……魔女、ですか」
ヒナは商品の帽子のつばを整えながら、ぽかんとした顔で自身が働く帽子屋の店主を振り返る。
店主は、オブジェとしてカウンターに置かれていた千歳緑の花瓶に、朝買ってきたというきれいな花をさしているところだ。
ヒナがオレンジの目の猫と出逢う少し前の日のことだった。

店主は細い銀縁の丸眼鏡越しの目を細めて、「そうなの」と笑った。
「魔女って呼ばれてるひとがやってる花屋があってね、今朝のぞいたら開いていたから買ってきたの」
指先でそっと触れると、真っ直ぐな茎の先の小さな花の群れが揺れる。ヒナがそれまで見たことないくらい濃い青紫の、美しいアガパンサスだった。
「なんで魔女なんですか?」
「さあ?魔術が使えるのかしらね」
彼女はからかうように言う。帽子屋の店主は明るい女性で、この街のことをまだ知らないヒナをいつも優しく迎えてくれるいいひとだ。
「花屋は気まぐれでね、早朝からやってる時もあれば夕方から遅くまで開いてる日もあるし、休みの日も定まってないのよ」
ヒナも今度の休みに行ってみたらいいわ、すごく素敵なところよ。
カウンター越しに花をのぞくヒナがかぶるリネンの帽子の角度を直してあげながら、店主はそう言っていた。


……その魔女の花屋というのがここなのだろうか。
まさか休み前の夜に来ることになるなんて。
いつもの気温から1度下がったような、涼しいというか瑞々しい空気がおいしい。鼻を通る青々しさと少しのフローラルが、疲れていたはずのヒナの心身を軽くしてくれていた。
目の前の白い2階建ての家はきれいな長方形に大小の窓がいくつか貼り付いていて、向かって左側の2階には半径型のバルコニー。それを屋根にするように下には丸テーブルの小さなテラス。
ふもとの栄えた地域ではなかなかお目にかかれない、見惚れるような緑と白のコントラストがあった。昼間にもぜひ訪れてみたいと今のうちから思ってしまう。
「自転車は適当に停めていいからね」
そう言いながら、家主の女性はエントランスへの白い石畳の階段を上がる。ヒナは言われるままに、自転車を看板横のランタンのとなりに停めて後に続いた。さっき緩んだばかりの緊張がまた来る。けれどわくわくの緊張だというのは自分でもわかっていた。

白い両開きの扉を開けると、コロンコロンと上でドアベルが鳴った。
「どうぞ、さっき閉店したばかりだからちょっとごちゃっとしてるけど」
「さっき?こんな時間までってことですか」
「うん。気まぐれで開けたり閉めたりしてるから」
週末だけ営業するパン屋とかお昼に閉まる喫茶店みたいなイメージかな、と頭の中で納得させる。
やっぱりあのひとが言っていた「魔女の花屋」というのはここなのかな、と少しずつ確信めいてきた。

1歩入って、低めヒールの白いメリージェーンが踏んだのはナチュラルウッドのフローリングだった。
よく見るコンクリートやタイル張りではなくぬくもりのある足元。ブリキやガラスの様々な器に生花があり、アイアンと木で作られた棚が多肉植物や小さなポットを並べて白壁にもたれている。
「素敵、な空間です」
「ありがとう。レイアウトは猫たちと気分で変えてるんだけどね」
猫たちと、という言い回しがなんだか可愛らしいと思った。
外の青々とした感じとは違って花のアロマが主に空間を漂っているけれど、なんだか自分がこれまで行ったことある花屋と違うにおいがする。
「なんかもっと、花のにおいが強いのかと思ってたんですけど」
女性は、庭を眺められる小窓の下に置かれたコンパクトな白いテーブルに猫を下ろすと、エントランスから見て左側端にある、恐らく床と同じ無垢の階段に向かう。
「昼間に香りのする花もあるし、その元気な花が眠りにつく頃に香りを放ち始めるものもあるってことかな。あ、そこの椅子によかったら座ってね」 「あ、はい」
言い捨てて女性は階段を上がっていってしまった。

促されるままに、猫が置かれたテーブル横にある椅子に腰を落ち着けた。
小さなプランツが窓際に置かれたテーブルと、またデザインの違う可愛い椅子。素材や色が異なる家具たちが、ここでは喧嘩せずに佇んでいる。
本当はせっかくなら店内をじっくり見たいけれど、今は何より猫が心配だ。
「タンゴって言うんだね。素敵な名前」
ナァ、と少し掠れたような声で鳴いた。これは猫からの信頼の返事だった。タンゴは大人しくまだヒナの帽子の上にいて、ヒナがさっき家主がしていたようにそっと眉間に指を伸ばしてみると、自らおでこを擦り寄せてきた。
「かわい、」
ああ、おうちに帰ってこれて本当に良かったね。あとは怪我が気がかりだ。


階段を降りて来る足音がふたつあった。
振り向くと、家主の女性の後ろにひとりの男性がいる。ヒナより少し若めくらいか。その風貌は異国の人みたいと言うか、瞳がとてもきれいな黄緑色をしている。
思わず椅子から立ち上がるヒナに、女性は「おまたせ。座って座って」と明るい声で言った。
それからテーブルの上でお腹を上にして懐き崩れている猫を見て、
「わーめずらし。怪我してるのに全然気にしてなさそうじゃない」
と顔を綻ばせる。ふわりと爽やかな香りが鼻をくすぐった。生花のものではなかった。かちゃ、と目の前に木のトレーを置いたのは緑の目の青年で、髪は柔らかいグレイがかった黒。白のサマーニットに帆布のエプロンをする彼は、トレーによって窓側に追いやられいじけるように鳴く猫を見て、女性と同じように笑う。
「このひと、身内以外でこんなに誰かに懐くことなんて滅多にないので」
このひと?
彼の言葉に文句を言うようにまたナァと鳴くタンゴを軽くあしらって、青年はヒナに笑顔を向けた。
パイン素材のトレーの上には茶色がかった透明のティーカップと同じく小さなポット。それに白の釉薬がぽってり塗られた小皿には、バターの香りのするクッキーが乗っている。
彼はそれにそっと手を添えながら穏やかな声音で言った。
「助けてくれてありがとうございます。これはお礼に。気まぐれブレンドのハーブティーと、魔女のサブレです」

「魔女のサブレ、」
「んふふ、魅力的なネーミングでしょ」
言いながら女性は向かいの椅子に座った。手にはふわふわな白のタオル。優しい手つきでタンゴをヒナの帽子からそちらに移して、頭をひと撫でする。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい。わたしはリラで、彼はパルム」
彼、と呼ばれた立ったままの青年は軽くお辞儀をしてから、
「こんな遅い時間に足止めさせてしまってすみません。こちら、すぐにきれいにしてきますね」
少しお借りします、と告げてヒナの潰れたバケットハットを優しく扱うように両手に乗せて、そのまままた階段に向かっていく。
ヒナは申し訳なくてリラに頭を下げた。
「あの、逆にこんなおもてなしをしてもらって、帽子まで。わたしのほうこそこんな遅くにお邪魔してしまって」
すみません、と言う前に、リラは片手のひらでそれを制する。にっこりと笑って「大丈夫」と言うのだ。
「言ったでしょう?今日は気まぐれでこの時間までお店を開けてたの。だから時間は問題ないんだよ。それでタンゴがあなたを連れてきたんだから」


気まぐれのハーブティーは、パルムとは別の「アジュ」という人がその日の気分で調合するのだという。
「今日は何が入ってるんだろう……」
「うーん、何だったかな。ミントとピーチは入れてたと思うけど。ヒナさんが嫌いじゃなかったら飲んであげて」
店主は適当というより気分屋さんな感じがする。嫌な意味じゃなくて。まるで猫みたいだなと思った。
せっかくなので「いただきます」と言って、温かいうちにポットから注ぐ。ふわっとしていた香りが、途端に華やかに鼻を通った。
ポットの中で蒸らした分の香りが一気にきたのだ。それだけで幾分か癒やされる。ひとくち口に含むと確かにミントがピリッと先に来て、その中に甘美な丸さが絶妙な配合で合わさっている気がした。
「すっごくおいしいです!」
ほろほろと疲労が溶けだしていくような温かさが体に広がっていく。リラは嬉しそうに「よかった、アジュに明日伝えておくよ」と声を弾ませた。
そういえばわたし、自己紹介していなかった。ヒナは彼女に名前を呼ばれたことを今更疑問視する。

「名前?タンゴが教えてくれたのよ」
訊く前に応えが返ってきた。……タンゴが?
目の前の猫はタオルの上でゴロゴロと喉を鳴らしている。
「タンゴに名前教えたでしょう?」
「えっ、どうだったかな」
この子を拾ったときはそれからのことを考えるので頭がいっぱいで、何を話しかけたのかはあんまり覚えていない。
「この子はひとの言葉がわかるの。不思議でしょう」
「なるほど、?」
わたしには猫の言葉がわかるあなたも不思議です。

「魔女のサブレ」は口に入れた途端に溶けてなくなる細やかさで、余計なものは使わずシンプルで良い材料を使っているのがよくわかる味がした。
「、おいし!これもハーブティーと同じ方が作ったんですか?」
「アジュ?ううん、そのサブレはわたしとジュネが一緒に作ったの。ずっとわたしひとりで焼いてたんだけど、最近興味あるのか手伝ってくれるようになって」
また新しい名前。ここの花屋はそんなに店員が多いのだろうか。
「すごくおいしいです。商品なら、今度は買いに来たいです」
口の中が幸せでうっとりしながら言うと、正面の彼女は目を細めて優しく笑っていて、なんだか少し恥ずかしくなってハーブティーを流し込んだ。

「タンゴの怪我は大丈夫そうですか」
「そうね、カラスと喧嘩したんだって。ほんとにやんちゃなんだから」
「、え」
「明日の朝に病院に行くつもりだよ。折れてないみたいだからきっと大丈夫よ」
毛繕いをするタンゴを見下ろしながら、優しいため息をつくリラ。
「魔法で治したりはしないんですか?」
心の中での問がそのまま口に出ていた。ヒナは自分でびっくりして、向かいの彼女も束の間きょとんとしてから、口を大きく開けて明るい声で笑う。
「もしかして、ペルルがなにか言ったの?」
笑う口元を片手で隠しながら、それでも愉快そうに笑うリラ。ああなんだ、ふたりは知り合いだったのか、とヒナはなんだか納得した。
「うちの店主をご存知だったんですね」
「んふふそうね、ペルルの帽子屋は街内外でもセンスのいい品と生地を揃えている素敵なお店よ」
「魔女の花屋」の話をしていたときの店主の愉快そうな顔と、今のリラの顔は少し似ているような気がした。

「この間彼女が朝からここに来たときに、「新しいかわいい弟子を迎えたの」って言っていたけど、ヒナさんのことだったのねぇ」
自分の雇い主が知らないところで自分の自慢をしてくれていることほど歯がゆく嬉しいことはない。
休み明けにペルルに会ったら、今晩のことを話そう。何から話そうか。眼鏡の銀縁をきらめかせながら笑って聴いてくれる姿を思い浮かべた。
ヒナはこの街のことをまだよく知らない。引っ越して半年、今は帽子の勉強を頑張りはじめたところだ。
ただ、新しく住み始めたのがこの街で良かったなと、このとき素直に思えた。

なぜこのひとが「魔女」なのかは全然わからないけれど、本当に魔女だったとしても納得するかもしれないな、と、今度こそ心の中で呟く。それくらい彼女は不思議で魅力的なひとだった。

『リラとパルム』


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