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商品券の使い道

接客販売の際、よく言っていたと記憶している言葉がある。
「申し訳ございません、当店ではこちらの商品券はご利用いただけません」
そのうちのひとつが全国百貨店共通商品券というもの。
それから働き場所によっては、百貨店に構える他店舗に確認して、「〇〇店ではお使いいただけます」と案内することもあった。

わたしは商品券というものがあまりすきではなくて、それは販売員視点のことであって。
種類がたくさんあるし使い方も使える店舗も違うし、お釣りの有無も違う。閉店後の精算のときの扱い方も違う。
なにより、お客様自身が商品券の扱いにくさを吐露しているからだった。
わかります。解りづらいですよね。そういう言葉もよく言っていたなあ。


3週間ぶりの心療内科からの帰り。
午後から白く灰色の雲がまんべんなく空に広がって、薄青い光を注いでいた。偏頭痛持ちのわたしは瞼の裏側に憂鬱をべた塗りして、乗り換えの総合駅のホームに立つ。
人混みも、それが雨の日の川のようにどんどこ流れていく様子も、見ていたら心が重くなってしまう。この人たちはなんにも悪くないのに。
そんな流れが落ち着く頃にわたしもそれに乗っかって、改札を出る。改札の向こうはまた人混み。わたしは逃げるように構内から出て、ビルの隙間を歩いた。
今日は病院帰りに行きたいところがあった。斜めがけショルダーのバッグの中には、義母からもらった全国百貨店共通商品券が入っている。

猫好きのお義母さんが関西から遊びに来てくれた日。まだ長袖が手放せなかった春の始まりの頃だった。
本当はこちらから遊びに行きたかった。お義母さんに無理をさせたくなかったし、お義父さんに線香を、それからお墓参りにも行きたくて。
けれどわたしの体調が安定しないのと、まだ1歳に満たない猫がいたからなかなか難しくて、そうしたら行動力のあるお義母さんが言ってくれた。
「まるちゃんに会いに行きたい」

我が息子は人見知りだ。
諸事情があるのだけれど、ここでは人見知りとだけ言っておきたい。けれど穏和で声も優しくて小柄な義母は、まるにそこまで刺激を与えないでくれたからなのか、思ったより打ち解けていた。
抱っこ嫌いで知られるブリティッシュショートヘアだ、そういうスキンシップはさせてあげられなかったけれど、それでも「かわいいねえ」とお義母さんは顔をほころばせてくれる。
まるは「母ちゃん、だれ?」みたいにわたしと義母を交互に見ていたけれど、
「父ちゃんの母ちゃんやで」
と言った意味をわかったのかそうでないのか、そこは謎だけれど少しずつ義母に慣れていった。
「さすがお義母さん、手慣れてますね」
「猫5匹いたからやねえ」
穏やかに笑って言うお義母さんは、なおさんに似ている。顔も、人柄も。

お義母さんはまるにお年玉を、わたしたちにも何故か商品券を持ってきてくれていた。
まるは、なんとなくわかる。そしてとてもありがたい。でもわたしたちへの商品券に疑問符しか浮かばなかった。記念日はまだだったし。
これもお年玉感覚で受け取っていいのか?と思ったけれど、離れて暮らす息子夫婦への母心を無下にする気はもちろんなく、これもありがたく頂いた。

見覚えのある商品券。いつもレジ操作のマニュアルの中に「利用不可」と記されている商品券の中にあるデザインだった。
「どこで使えるんだろう」
まずは調べてみる。行けそうな距離にある百貨店は取扱があるようで、だけどテナントによってはこれで支払いできないところもあるみたいで。
「やっぱり商品券難しいなあ」
というのが率直な意見だった。

百貨店のどのお店なら使えるだろう、何を買おう。お義母さんからわたしたちふたりへの贈り物だから、ふたりで使えるものがいい。そう話しているのになおさんは
「俺はいいから、自分が欲しいもの買ったらええよ」
だって。わたしは頬を膨らませてぶすくれる。
なおさんの言いたい事自体はわかる。百貨店のコスメフロアでハイブランドの欲しいコスメでも買っておいでよ、ということなのだと。
違うんだよなおさん、なおさんがメイクをするならともかく……わたしだけが使うもののために消費することになっちゃうじゃん!
「わたしはふたりで使えるもんがいいのに」
そんなふうに子供みたいに不細工な膨れ面になるわたしを、なおさんは笑ってみていた。


細い道を抜けると忽然と現れる百貨店の重たい扉。
総合駅直結の百貨店は人混みがすごいだろうから避けて、今日は少し歩いたところにある百貨店に来てみた。
メンズフランドの重厚感のあるフロアを抜けてエスカレーターに向かう。なおさんへのプレゼント代の一部にしようかとも迷ったけれど、それだとやっぱり違う!と頭を振ってメンズブランドたちをスルーした。

しばらくエスカレーターを上っていくと、ほぼ無印良品のフロアに着いた。一角には無印のカフェがあっていいにおいがする。
無印良品はすきだ。商品数は多いけれどコンセプトもまとまりがあって音楽も心地良い。駅から少し離れた百貨店の店舗なだけあって人はまばらで、でも閑散としているわけでもないちょうどいい塩梅で。落ち着きのある空間でファブリックのコーナーを少し見た。
わたしはここの、サッカー織りの寝具カバーが大好きだ。枕カバーはまだサッカー織りじゃないから、2人分買い換えてもいいかもしれない。

それからキッチン用品をのぞいた。
気になっているのはまな板のこと。今使っているのは白いいわゆる樹脂のやつで、寿命は短め。より需要が長い木のまな板になにかのタイミングで換えたいなとは思っている。
「やっぱり扱いやすいのはヒノキかぁ」
近くに人がいない中しゃがみながら、低いところに置いてあるまな板につぶやく。ヒノキは水はけもよくて乾きもいいから使いやすいのは知っている。
ふむふむ、夫婦のごはんを作るツールとして買うのもいいか。この理由ならわたしのためだけじゃないから大丈夫だよね?

「なにか、こう、ビビビっと来るものが欲しい……」
わたしは少し困っていた。
百貨店で物を選ぶのってけっこう大変だ。無印良品を出て連絡通路を通って本館に行く。本館と〇〇館があるのは百貨店あるあるなのかもしれない。
百貨店はこだわりの良質な商品が揃っている。なるべく長く使えて、我が家の生活に馴染む良い品物との出会いが欲しい。

たどり着いたのは色んなテーブルウェアやキッチン用品が並ぶ売り場だった。
わたしがだいすきな食器や調理器具、輸入品や職人が手掛けた一品もたくさんある。なんと目の保養になる空間だろう。
近くの女性の店員さんに声をかけた。頓服薬の効果が切れかけているのかただもう頭が疲れているのかわからないけれど、心拍数は上がっている。
「すみません、百貨店共通商品券は使えますか」
さすが百貨店のスタッフさん、にっこりマスクの上の目元が笑って
「はい、お使いいただけます」
と返ってきた。姿勢のきれいな女性だった。
ああ、そういえばさっきの無印良品でこれが使えるか聞くの忘れていたなぁ、と頭の片隅でぼやんと思った。


憧れの道具はいくつかあった。
例えば朝起きて、南部鉄器で沸かした白湯を飲むことから1日が始まる。
木のまな板の上で下ごしらえして、STAUBの鍋で作る。あるいはバーミキュラの鍋にして、地元のメーカーに貢献しつつ美味しい料理を楽しむ。
それからル・クルーゼのマグカップは発色がとてもきれいだし、いつか生活に取り入れたいポーリッシュポタリーのオーブンウェアも。
おしゃれな生活をしている人気の動画配信者さんみたいに、お米炊き用の土鍋を買っていつものお米でより美味しいご飯を………

理想の暮らしを妄想するのは昔からすきだった。
変わったのは、ひとり暮らしから家族暮らしになったということ。ひとりアパートで悠々自適に過ごしていたときは、なかなか理想の部屋に近づかないことがあると、それがぶつけどころのない不満になっていた。
でも。と、3合炊き用の萬古焼の土鍋に添えてあった説明書を読み終えて思い返してみる。
なおさんと家族になって、まるを迎えて過ごす今のわたしは、すでに満たされている。
昔思い描いていた理想とは違う形で、不揃いでまとまりきらない物たちで作られた空間だけれど。
この絶妙に型にはまらないライフスタイルが、今は好きなんだなとしみじみ思うのだ。

……その夜、もう定番になりつつあるざるうどんをすすりながら、となりのなおさんにわたしはマシンガントークを仕掛けた。大葉とねぎの香りが爽やかに鼻を抜ける。
なおさんは茶碗蒸しを木のスプーンですくいながら多分話半分で聞いてくれている。
「あんね、お米炊く土鍋も良かったんやけど、やっぱり炊飯器がいいんよね。台湾カステラもいつも炊飯器で作るし」
鶏ハムだって作れるしね。
「STAUBかバーミキュラはいつかは欲しいけど、今はまだ貰った鍋が使えるやろ」
ステンレス製の鍋は義母が夫に、オレンジレッドの可愛い色でガラス蓋つきの鍋は母がわたしに、それぞれ贈ってくれた鍋だった。どちらも高価なものではないけれどいつも感謝しながら使い分けている。

ポーリッシュポタリーは種類が少なくて、やっぱりあれは専門店に行って選びたいし。
南部鉄器はかっこいいけど、安くてもソファと同じくらいのお値段が流石に恐ろしくて。
「だからどっちも、今日は美術品を見に行った気持ちでそのまんま帰ってきた」
「そうなん、茶碗蒸しめっちゃうまいよ」
「ほんま?あとル・クルーゼのマグカップ、ペアで買ってもなおさん使わないやろ」
「うん、そやね。はよ食べ」
「うん」
最後はなおさんが笑いながらストップしてきて、わたしはまたざるうどんをズルズルすする。
そんな様子を猫は、めちゃくちゃに呆れたような目で見ていた。


今のところ、足りないものはない。新しく足したいものもない。いいえ、あるにはあるけれどこの商品券で買えるものじゃなかったりするから難しいのだ。
さて、どうしようか。

その日は夕飯の後すぐにバテた。電車にも乗って寄り道もして、たくさん考えたから。
幸いにもこの商品券は有効期限が設けられていないから、できれば他の百貨店にも行ってみたい。
今日は下見。すっごく疲れてしまったけれど、たくさんの良い品物が見れて楽しかった。

何をお迎えするんだろう。どんなものが、近い未来の我が家に新しく仲間入りするのだろう。
小さな幸せな悩みを持てたことが、今日の収穫。
まると遊んでくれているなおさんの気配を近くに感じながら、珍しくあっという間に眠りについた夜だった。

『商品券の使い道』

「なんでこっちの百貨店のハンズで使えてこっちの百貨店のハンズだと使えへんのっ?」
「落ち着いて、茶碗蒸し冷めるで」
「うん」
恐るべし商品券。

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