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「曺貴裁監督は辞めないほうが良かった」を人事管理の切り口で説明してみた

10/8、Jリーグ湘南ベルマーレの曺貴裁監督の退任が発表されました。

この件、ご存じない方に簡単に説明しますと、

・2019年7月 日本サッカー協会が設置している相談窓口に、同監督の言動がパワーハラスメント(パワハラ)に当たるのではないか、との匿名の通報あり

・10月4日 通報を受け、Jリーグが調査を行った結果の報告書がまとめられ、同監督による、いわゆる「パワーハラスメント」に該当する事実が認定された

調査報告書(要約・公表版)

・同月8日 同監督の退任がクラブより発表された

曺貴裁監督 退任のお知らせ(クラブオフィシャルサイト)

という出来事です。

(注:サッカークラブの監督がシーズン途中などその任期中に職を辞するときには、『解任』または『辞任』という表現で報道されることが多いです。今回どちらの表現も用いられていないため、監督本人が『やめたい』と言って辞するのか、あるいはクラブからやめるよう要請されたのか、そのあたりは明らかではありません)


この一連の報道を見ていて、ぼくがまっさきに思ったのは


辞めないほうがいいのに。


ということでした。


ぼくがそう思う理由について、これまで10年ほどの人事部門の経験+ハラスメント研修の人事コンサル勤務経験を引っ張り出して、人事管理の側面からまとめてみたいと思います。

※もちろん個人の見解です。ご意見はお気軽にコメントいただければ幸いです。

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そもそもパワハラって何?

これまでは「職場の上司によるいやがらせ」などと表現されていたパワーハラスメントですが、パワハラの定義が公的な文書に示されたのは大変最近のことです。

2019年5月参議院で可決された「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(通称:労働政策総合推進法)(2020年4月(中小企業は経過措置あり)施行)」によって、いわゆるパワーハラスメントを

”職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること”

と法律の条文に示されました。

逆に言えば、今年の5月までは明確な定義はなかったわけです。

でも「パワハラ」という言葉が一般的になってきたのは、もっと以前からでしたよね。

そんな中で企業で起きていたのは、パワハラを受けて苦しむ社員の悩みだけではなく、

「部下をどう指導したらいいのかわからない」

「これまでの指導のやり方が、パワハラだと言われてしまった」

という、管理職の悩みだったわけです。



パワハラ事件は(ほぼ)民事


では、上記のようにパワハラの定義が定まったので、今後は、この報告書に同監督の言葉として紹介されているような言動(『本当に使えねえな』『何年やってんだ』等)があれば、すべての会社が「パワハラだ!」と追及される事になってしまったのか、というと、そうではありません。

なぜなら、パワハラの事件は(ほぼ)民事、つまり、原告がいて初めて事件となるからです(※(ほぼ)としている理由は、このあとの章で説明します)。

言い換えれば、従業員同士のこれまでの関係性や、従業員のストレス耐性など、いろいろな要因が絡み、事件化するかどうかはあくまでケース・バイ・ケースであるということです。

例えば「やめちまえ!」「役立たず!」といった上司の大声が日常的に飛び交う職場でも、社員がみんな、こうした叱咤を力に変えて「なにくそ!」とよりエネルギッシュに頑張るような人ばかりであれば、この会社には「定義上のパワハラはあるが、それはここでは事件ではない」ということになります。

また、多少上司はパワハラ体質でも、きちんと休みが取れたり、給与が良かったり、仕事上(外回りなどで)上司とあまり顔を合わさない事ができたら「まあ、全体的に見たらいい会社かな」と思えば、事件化はしませんよね。

このように、定義ができたからといって、その重みは会社によって異なると言えます。


パワハラ”レッドカード”の事案は防げる


さきほど「パワハラはほぼ民事」といったのは、パワハラには「これをやったら一発レッド」という種類のものがあり、これらは刑事事件として立件が可能な、犯罪に当たる行為となるためです。

例:部下を殴る(傷害罪)、「お前の人生をめちゃくちゃにしてやる」と言って脅す(脅迫罪) 等

しかしぼくは、こうした「一発レッド」事案は、法律で明確に規程されているため、明確に回避することできると思います。言い換えれば、今回の報告書でも、定義に基づき「パワハラがあった」と認定されていても、その上で「一発レッドであった事案はあったか」は、別に明示されることが必要であったと思われます。


「サッカークラブの選手と監督」という関係の特性

パワハラの認定には、その業種の特性も関係しており、特に「会社で上司以外にパワーを持っている存在がある」業界では、パワハラが発生しやすいと言われています。

<上司以外のパワーの例>

・絶対的なパワー(生命は何よりも尊い 等)

 該当する職種:医療従事者 等

・社会的なパワー(困難な人は助けなければならない 等)

 該当する職種:NPO職員 等

・顧客との関係性が「物品/サービスの提供」という一方向でない場合

 該当する職種:教育機関の生徒と教師 等

こうしたパワーが存在する職種では、誰もそのパワーに逆らうことができないため、働く上での悩みが深いと言えます。

今回のように「サッカークラブの選手と監督」という業種ではどうでしょうか。

個人的には、サッカークラブには2つのパワーが存在し、ハラスメントを生みやすい土壌があると思います。

1 (理不尽な)業績目標のパワー

サッカークラブは、勝利することを宿命付けられています。

もちろん、ものすごく強くなくても支持されるチームは多くありますが、それでも「負けていてもいい時期」というのは基本的には存在しません。たとえクラブが極めて高い利益を上げていても、成績の目標を下げてもいい時期はなく、このパワーに勝てる人はクラブの中にはいないはずです。

でも、御存知の通り「勝ちたい」とおもって勝てるほど、勝負の世界は甘くありません。

営業部門の人が売上を向上させることよりははるかに困難で、かつ道が見えない(方程式がない)という意味で、重要でありながら極めて理不尽で難しい目標といえます。

一方で、選手と監督という関係性は、一般的な会社の上司と部下とは少し性質が異なると思います。

最も異なるのは、現役として活躍できる期間が極めて短く、いい意味で「いつでも前向きに取り組む時間しかない」という点です。

例えば「使えねえな」と監督から罵られて落ち込んでいても、関係なく次の試合はすぐにやってくるし、そうしているうちに自身のキャリアはあっという間に残り時間が少なくなってしまいます。

2 集団のパワー

企業でも同じことが言えますが、職位が下の人でもある程度の集団になればパワーを持ち、場合によっては上司がパワハラを受けることもあります。

サッカークラブには、チームによっては数万人というサポーターという存在がおり、試合のたびにその圧(チームを鼓舞する熱いサポート、あるいは激しい叱咤激励)にさらされます。

サポーターはチームを支える存在でありながら、クラブにとって顧客でもあります。この一方向でない顧客との関係性も、ハラスメントを生みやすいといえるかもしれません。


なぜ「やめなくていい」と思うか


では、なぜ曺監督は「やめなくていいのに」と思ったのか。


理由は1つ。

指導を継続したほうが、あらゆるクラブの要素が改善するから

です。

具体的には、

1 監督の指揮力が向上し、成績の向上が見込める

パワハラの認定がなされたことにより、監督には指導上の課題が明らかになりました。監督としてのこれまでの力量と7年に渡る指導歴に加え、選手とのコミュニケーションの課題も今後は改善されるとなれば、成績の向上も高い確率で可能でしょう。

2 パワハラを事件化すべきと思っていない関係者がモチベートされる

前述の通り、パワハラを問題と思うかは、当事者同士の関係性によって異なります。

匿名の通報があってから3ヶ月の期間がありましたが、その期間すべての選手が通常通り試合に臨み続けていたことを考えると、選手/スタッフの大半が監督の指導法に(言い過ぎの部分はありつつも)一定の感謝やリスペクトを持っていたことは想像できます。

こういう人たち(選手、サポーター)にとっては、監督の復帰がかなえば、残り試合を戦うための最大の起爆剤になっていたと思います。



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以上、いちJリーグ(川崎フロンターレ)のサポーターでもあるぼくが、

パワハラ、と聞いて、思ったことをまとめておこうと思い、これまでの人事職の経験からこの出来事をひもといてみました。


Jリーグも残り6節。

ぼくは川崎の逆転優勝をまだ100%信じています。





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