フローレンスのメンバーたちが個人で発信しているnoteをゆるっとまとめました。記事の内容はいずれも個人の見解です!フローレンスについて詳しくはこちらをご覧ください:https://florence.or.jp/
PLANETS CLUB「 こども未来部」メンバーによるリレーマガジンです
特定非営利活動法人きみたすのメンバーが執筆したnoteを蓄積していきます。
山口 裕介(mimozo_kf)
何か心が波立ったときに詠みます。
21年前、妻が妊娠した。 今後使うことになりそうなので、車を買った。 で、今日、その車を手放すことになり、今ディーラーに車を届けている。 がらんとした車内でひとりで運転していたら、柄にもなくいろんなことを思い出したので、記録しておく。 最初に思い出したのは、長男が生まれる日の朝のこと。 明け方に妻が破水し、病院に向かって走っていた。ちょうど夜が明ける時間だった。 橋を渡って河川敷の道に差しかかったときの空の色。 次に思い出したのは、ファミレスの駐車場。 雨の日、(ご
今日は3/31ということで、ちょっと今までの話からそれて、この日に寄せて思い出したことを残しておこうと思う。 育休をとっていた頃は少しは思い出せるが、仕事に復帰してからの何年間かの両立真っ盛りのあいだ、ぼくは記憶があまり残っていない。 いや、正確にいうと「大変だったな…」という記憶しか残っていない。 写真部出身のパートナーがいなかったら、きっとろくな写真も残っていなかっただろう。 そのくらい、ただただ、生きて、生かさせてだけいた。 そうして、何年かを過ごしていた。 あの
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 ぼくはこの6ヶ月の育児休業の中で、すっかり自分のキャリアのイメージが変化してしまった。 体験した周辺の人の反応。 児童館で出会ったママ
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 育児休業中のごはんについて、最初にぼくが書かなければいけないのは 「和光堂様、ありがとうございます」 というお礼だ。 一人分の離
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 育休中途中までは、ちょっとだけしんどかった。 (まあそもそも、ぼく自身がさして育休の間を思い出にしようとなど考えていなかったのだが)
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 育休中に、子どもを連れて買い物に行って感じるうっすらとした”アウェイ感”には、戸惑いもあったが、慣れてくるとちょっとおもしろく感じるよ
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 ぼくが育休に入る頃、相方から、自宅の近くに児童館(こども文化センター)があること、そこに乳児が遊べる広い部屋があることを教えてもらって
ぼくが育児休業を取得したのは、今から18年前だ。 曖昧な記憶だが、当時男性で育休を取得したのは、首都圏で労働組合のあるすべての会社で累計で89人しかいなく、ぼくが90人目だった、と記憶している。 今この時代が「こんなに子どもを育てる社会の環境は変わった、良くなった」ということを改めて噛みしめる意味で、18年前の体験を記録しておこうと思う。 18年前。 育児介護休業法がまだ1年間の育児休業の取得しか認めていなかったこのころ、長男はそんな社会の育てづらさの空気を一切読むことな
昨年の暮れ、長男が大学のAO入試に合格し、早々に進路を決めてしまった。滑り止めから何から全滅して、3月も終わろうかという頃になって国立大学の後期日程で奇跡的に合格をもぎとった自分から見たら、あまりにも羨ましく腹立たしい進路の決定だったが、まあめでたいことだった。 なにせ子供の大学入試などやったことがないし、しかも長男はいわゆる学力全振りの一般入試ではまるで歯が立ちそうもない成績であったので、AO入試という(AOってなんの略?)ところから聞いたこともない制度のリサーチから始め
まず。 ここで遊佐未森を失わなくて、ほんとうによかった。 ぼくはまだ、遊佐未森を失わないですんだ。 もう30年も聴いているのだ。 そんなかんたんに、なくなってもらっちゃ困る。 でも、今までいた人が今はいないかもしれない、という目に見えない不確かすぎる不安は、今だれの中にもあるはずだし、ぼくもそうだった。 だから、ライブチケットを買ってから当日までに、今までの曲を全部復習する、そんなルーティンも久しぶりで、心地よかった。 今や数百にまでなったプレイリスト。一曲一曲。 こ
老害がきらいだ なにより その種が 自分に あるのだ
COVID-19(※ぼくはかならずこう呼ぶ。コロナエキストラを守るために、これからもこう呼ぶ)対応において、ぼくが所属しているもう一つのチーム、総務部門の業務について備忘を記しておく。 (1 法務部門の業務については こちら ) (やっぱり総務といったらこの人。(同じ名字…)) 郵便とFAX総務チームは日々郵便物の仕分けを行っているが、緊急事態宣言が出そうになった頃に、郵便のことは最初に気にしていた。 行政からの郵便物は届き続け、そんな急にペーパレスにはならないことは
なぜ書くかぼくはなにぶん、どんなに夢中になっていたことでも簡単に忘れることのできる構造をしているので、COVID-19(ぼくは絶対にこう呼ぶ。コロナ・エキストラがこの件で風評被害を受けるべきではない)のこともそのうち忘れてしまうのだろうという恐怖がある。 で、6月に入ったこのタイミングで、自分の仕事と思いの振り返りのために記してみようと思う。 考えていたことCOVID-19のうねりの中で。 ぼくが勤めているNPOは、そのビジョンとミッションを旗印に様々なアクションを爆速
今日、いいことがあった。 17歳の長男が、エントリーしていたティーンのエンジニア支援プログラム「未踏ジュニア」のクリエイターに採択された。 <未踏ジュニアとは:抜粋> 独創的なアイデア、卓越した技術を持つ17歳以下の小中高生及び高専生を支援するプログラムです。 未踏事業という、経産省所管の独立行政法人情報処理推進機構が主催し実施している、優秀な25歳以下の若者を支援するプログラムがあります。そして、そのOB・OGがボランティアで運営しているのが、未踏ジュニア です。
グロービスでクリティカルシンキングの講義を取っていたときに、色々々々学んだ中でも一番強く感じたのは「思考のためのツールは、早く、たくさん知っていればいるほどよい」ということだった。 去年、それを象徴する出来事があった。 タリーズコーヒーでオーダーを終えて席を探していると、6人位の女子中学生のグループがいた。 他愛のない話で盛り上がっているというより、真剣に、でも楽しそうに、机の上の一枚の模造紙に注目して、何かを書き込んでいるようだった。 いけないこととはわかりつつ目を
こんにちは。 フローレンスで法務部門を担当しています、山口といいます。 ------------------------------------------ はじめにこの記事の作成にあたっては 電子契約システム「クラウドサイン」を提供されている 弁護士ドットコム株式会社 より情報提供をいただきました。 フローレンスでも大変お世話になっております。この度は誠にありがとうございました! ---------------------------------------