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二月の夕暮れの老マジシャン【シロクマ文芸部】

梅の花が咲く夕暮れの公園を歩いていた。
ほのかな梅の匂いが奥へと誘う。
公園の奥にはちょっとした梅園があるのだった。
でももう日が暮れかかっている。私は一人で薄暗い梅園へ進んで行くことを躊躇した。
しかし梅の香りはその躊躇を許さない。私はあきらめて奥へと道を進んだ。

二月の初めだというのにもう梅はほとんど満開だった。
日が沈みかけて辺りが薄青くなった中、白梅も紅梅も咲き誇っている。
白い花びらは少し青めき、赤い花びらは彩度を落とした紅を空に浮かべている。そこはとても静かでため息が出てしまうような美しさだった。
そんな静けさの中で私に声をかける人がいた。
「お嬢さん」
私は正直お嬢さんと呼ばれるような年令ではない。私にお嬢さんと呼びかけるのは何か売りたい人だけだ。
私は一瞬で警戒する。
見ると私に声をかけたのは老人だった。
灰色のスーツをきて、灰色の帽子をかぶっている痩せた老人だ。
「お嬢さん、もしほんの少しお時間があれば、そこに座って私の手品を見てもらえませんでしょうか」
老人はすぐそこの四阿を指し示した。
老人はとても疲れている様子でその上ひどく悲しそうだった。
私の警戒を同情心が緩めた。
「少しなら」
短く答えて私は四阿のベンチに腰を下ろした。木のベンチはひやりとした。
老人はほんの少し嬉しそうな様子になり、私の少し前に立った。
そしてそっと背広のポケットをさぐる。
するりと白いサテンのハンカチを取り出し、もう片方の手にかける。
私はそのハンカチをじっと見つめる。
老人がしゅるっと勢いをつけてハンカチをすべらせる。
ハンカチの下から現れた手のひらの上には、白梅が一輪、ぽつんと乗っていた。
老人の顔が落胆にゆがむ。予定と違ってしまったようだった。
しかしその一輪の白梅はとても美しかったので私は拍手した。
老人は礼儀として私にお辞儀する。
気を取り直した様子でもう一度ポケットを探る。
短い棒が出てきた。
それを振ると二倍くらいの長さの棒になった。
もう一回振るとまた二倍の長さになった。
もう一回、ゆっくり大きく振ると、棒は梅の枝となり、その先には紅梅が一輪、開いていた。
濃い匂いがただよってきて鼻をくすぐると、私の耳の奥でうぐいすが「ほけきょ」とささやいた。耳の奥にうぐいすの里があるのだと私は思った。
目を閉じるとそんな里山が見えた。
私は目をあけてまた拍手をした。
しかし老人はやはり落胆していた。
「お嬢さん」
振り絞るように老人は口を開いた。
「見てくださってどうもありがとうございました。
しかし、私はもう駄目だ。
もう歳をとり過ぎました。
花を咲かせることができない。
昔はこの枝いっぱいに咲かせたものだったのに…」
老人は枝先の一輪きりの紅梅を、悲しい目で見た。
「でもその紅梅も、さっきの白梅も、見たことがないほど美しいと私は思いました!」
私は思わず叫ぶように言った。
「うぐいすも…耳の奥の里でうぐいすも鳴きました」
老人は私をひたと見つめると、深々と頭を下げた。
そしてこのわずかな時間に濃くなった夕闇の中に消えていった。

私はいつのまにか手にしていた枝をじっと見る。
そこには見事な紅梅と白梅が一輪ずつ、光るように咲いている。
私はそれをしっかりと握り直して立ち上がり、梅園の中をぐるりと歩いた。
一番奥に古い古い痩せさらばえた梅の木があった。
ねじれたように空を刺す枝には花は咲いていなかった。
私は少し迷ったが、手にした枝をそのまま持って夕暮れの公園を後にして帰路についた。

(了)

「 手品師のごと花咲かす梅古木 」
何年か前にこのような俳句を作りました。
既にうろ覚えになってしまい、少し違っていると思いますが
その句を作った時の情景を思い出しながらこの短編を書きました。


*続き的なものです。よろしかったら読んでみてください・


*小牧幸助さんの企画に参加しています







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