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【短編】もし波打ち際に人魚が打ち上げられていたら3(春弦サビ小説?)

私はいつの間にこのような寒そうな場所に迷い込んでしまったのだろう?確か初夏の海岸を歩いていたのだ。80代後半になる私の身体はもう昔のように軽やかに歩けたりしない。いかにも老人といった、よろめくような、ぎこちない動きで歩を進めるしかないのだ。
商店街などを歩いていると「おじいさん、大丈夫?」などと声をかけられ、口では礼を言うが腹の中では(ふん!老人扱いしやがって!)と毒づく。かといって年寄りとして労わられなければそれも腹が立つ。何にしても面倒な老人だと自分でも分かっている。老害というやつだな…
そんなふうに心の中で暗くつぶやきながら明るい海沿いの松林の中を歩いていたのに、なぜ雪が降り積もった寒そうな入り江に佇んでいるのだろう?しかも人魚がいる。
そしてなぜ寒さが苦手な私が寒さを感じないのだろう?
ははあ、この人魚のせいだな。長い人生で初めて人魚をみた。実在するのだなあ…。

私はポケットから手帳と携帯用の小さな鉛筆を取り出した。俳句が出来そうだった。
「…入り江の雪の人魚かな…うむ、頭の5文字は何が良いだろう…よろめきて出会える入り江の人魚かな…いや、これでは季語がなくなってしまった。入江はやめて池か湖ということにしようか?うーん…」
頭の中で様々な言葉を並べて吟味する。
なかなかぴたっとこない。
ぴたっと来ない時は言葉をこねくり回してもダメなのだ。いったん引き上げよう。
私はそう決めて手帳と鉛筆をしまい顔を上げると、人魚と目が合った。
人魚は細く美しい声で私にたずねた。
「今、何をしてらっしゃったんですか?」
「俳句を考えていたのだよ。私の人生は俳句とともにあった。今では人に教えることもしている。しかしまだこれだという人生の一句が出来ていない。常にそれを追い求めているのだよ…」
人魚は考え深い顔をして聞いていたが
「私、俳句って何か知りません。どんなものですか?」
と遠慮そうに尋ねた。
しまった、誰でも、例え人魚でも俳句を知っているという前提で話してしまうとは私としたことが浅慮だった。
私はできるかぎり人魚にも分かりそうな言葉で丁寧に俳句というものを説明した。ずいぶん長い話になってしまったが、人魚は頷きながらしっかり話を聞いていた。
「わかりました。良い物を教えてくださってありがとう」
というと、世にも可愛らしい笑顔を見せた。
私は一瞬言葉を失った。
「い、いや、俳句を教えるのは慣れているので。
で、人魚の暮らしには季節のようなものはあるんですか?」
今度は私は彼女に質問する。
彼女は少し考えて
「陸の上の人の暮らしほどはないと思いますが、多少の季節的な変化はあります。なので私も俳句というものを作ってみようと思いました」
彼女がそういうので私はつい、肩掛け鞄から携帯用歳時記を取り出して彼女に差し出した。
「これは俳句を作るときに絶対必要な『歳時記』という本です。これから俳句を始めるというのならこれをあげましょう」
彼女は顔を輝かせて小さな歳時記を受け取った。そのとき、濡れて読めなくなる心配に初めて思い至ったが、人魚には何か濡らさず使える知恵があるかもしれない。
嬉しそうに歳時記を見ていた彼女が思いついたように水中にちょっと片手を沈め、私に何か差し出した。
「お礼です」
彼女は白い手を私の方に伸ばし、桜の花びらのような雪のような薄いものをくれた。
「珊瑚から作ったお薬です。急いで口に入れて目を閉じてください、元気がでます」
そういうと彼女はまたさっきと同じこの世のものと思えない笑顔を見せ、水の中に消えていった。
私は言われた通り、受け取ったものを口に入れ目を閉じた。安全かどうか迷うことがなかったのは自分としてごく異例なことだ。
それは味もなく、すっと舌の上で溶けた。

目を開けると眩しい松林の中にいた。
消えていた波音が蘇っていた。
波の音には命の力を感じるなあと、しみじみした気持ちになる。
ふっと人魚の笑顔が心に浮かぶ、温かい気持ちになる。
「不老不死人魚と出会う初夏の海…いや、雪があったなあ…雪積る海に人魚の笑顔消え…う~ん…もう一息だな…」
私は自分の足取りが十年分くらい軽くなったことに気付かぬまま、俳句を考えながら海辺の散歩を続けた。

(了)


スズムラさんがたくさんの人魚の絵を描いてくれたので、その絵を使いたくて人魚のお話を書き続けています


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