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花の影と暮らした日々【歩行者b×ミモザ コラボ小説】

歩行者bさんからご提案いただきコラボ小説に挑戦しました。
お互いにプロットを提供し合い、それぞれを小説として書き上げました。こちらは歩行者bさんのプロットを元に私が書きあげたものになります。
小説の後に歩行者bさんに頂いたプロットを載せてあります。
合わせてお読みください。

(2038文字)


「 花の影と暮らした日々 」


その部屋に住むようになってすぐ、僕はその気配に気がついた。花の気配だ。それはいつも背後にある。振り返っても決して見つけられない。
でもそれは確かに花の気配だった。しかも美しい花だと僕には確信があった。僕は部屋に花を飾ったりしてはいない。
もし誰かに話したら、そんな気味の悪い、なにか霊なんじゃないの?お祓いしたら?部屋を越したら?などと言うだろう。
でも僕にはどうしてもそんな風に思えなかった。それはかすかな虹のように、見えそうで見えなくてすぐに消えそうな気配だ。美しいけれど儚く寂しげで悲しみを湛えて俯いていた。
そこからはかすかに花の香りさえ感じた。なんの花の香りだろう。花に疎い僕には分からない。様々な花の混ざったブーケのような匂いかもしれない。甘いような爽やかさのような瑞々しいような…
それでも一応この部屋を借りる際に担当だった不動産屋勤務の友人に訊ねてみた。この部屋の前の住人は?と。友人は「生きてるよ」と言った後「きれいな若い女の子だった」と言い添えた。少し気になる答え方だなと思ったがそこで話を終わりにした。例えばその女性は部屋に花をおいていたかとか、そんな言葉が出かかったけれど胸に押し込めた。

僕は寝る前のひととき、ピアノ曲を聴いて過ごす。一番のお気に入りはグレン・グールドの演奏するバッハだ。ゴルトベルク変奏曲で僕の一日の終わりが静かに静かに夜に結ばれて行く。
そんな時、俯いていた花がそっと顔を上げ、ピアノに聴き入っているのを感じる。優しい匂いがほんの少しだけ濃くなって部屋に広がるのだ。グールドのピアノの音の強弱に呼応するように。
ああ、彼女もこの曲が好きなのだなと僕は嬉しくなる。
ピアノを聴きながら僕は眠りにつく。彼女も眠りにつく。

この見えない花のような女性がいればいいのに、と心の底で無意識に思うようになった。何を思っているのだろう、と表層の意識が僕を ののしらないように、僕は無意識の底でだけ、その途方もない願いを小さく光らせている。池に沈んだ色ガラスの欠片のようにそれは少し美しい色を帯びている。

花の影と暮らす、それは幸せな日々だった。
ときどき、そう、晴れた風のない静かな日曜日などに、彼女が僕の外出についてくるようになった。部屋を出るとき、彼女がついてきたことを感じると僕は嬉しかった。彼女の気配を置き去りにしないよう、慎重に歩いた。でもそんな気遣いを彼女にさとられないように何気なさを装った。誰かに話したらバカな奴だなと言われるだろう。確かにそうだろう。でもそんなことをいう奴はこんな静かで甘い幸せを味わったことがない可哀想な奴なのだ。
僕は彼女の喜びそうな場所を歩く。梅花藻ばいかも の揺れる小川に添った石畳の小路、モッコウバラの生け垣の見事な住宅の横、気に入っている古い建物の洋書店、素朴な手作りケーキを出す紅茶の美味しい喫茶店、子供たちが去ったあとの夕日の差す公園…それは満ち足りた時間だったのに、ふいに終わりを告げた。

それは花屋の前に足を止めた時だった。
店の前には可愛らしいブーケが幾つも並べてあったので僕はそこに視線を止め、足も止めた。後ろの彼女も同じようにした後、はっきりと顔を上げたのが分かった。外でそんなことは初めてだ。僕ははっと振り返った。そして彼女を見た。長い髪を後ろで束ねた、色白で瞳の大きい、白いブラウスに薄緑のスカート姿の若い女性が、すうっと店の奥に入って行った。
そして消えた。消えてしまった。
部屋に戻ってももう何の気配もない。
グールドのピアノをかけてもそれはただ部屋に響くだけだった。僕の夜は冷たく堅い空気に包まれていた。

何か月経っただろう。
僕はもとの毎日に戻ったのだと自分に言いきかせ、気持ちの暗さを誰にも悟られないように淡々と過ごしていた。食事をとり、掃除をし、仕事に行き、買い物をし、本を読み、ピアノ曲を聴いて眠った。
ある日曜日、昔からの友人の結婚式に出席した。
会場に入り、派手さのないシックな色合いの可愛らしい花が、全てのテーブルに飾られているのを不思議に懐かしいような気持ちで眺める。
席に着いた僕の鼻を喜びがくすぐる。ああ、この花の香りは…
僕は周囲を見回して彼女を探す。
「失礼します」
小声で会釈して僕の横の席に座った女性、それは彼女に間違いなかった。自分には珍しく隠せないほど動揺した僕に彼女は微笑んだ。
「お久しぶりです」と。
披露宴の合間に途切れ途切れに、秘密を打ち明け合うための小さな声で、初対面ではない親密さで交わした言葉から、僕は彼女が働いていた両親の経営する花屋の前で出勤時に交通事故にあい、長く昏睡状態にあったことを知る。そして事故にあった当時あの部屋で一人暮らしをしていたことも。昏睡が長すぎて、また一人暮らしさせたことを悔やんだ両親が荷物の少ない彼女の部屋を引き払ったことも。

僕たちはその披露宴のあと、彼女の作った小さなブーケと引き出物の小さな洋菓子を手に、並んで外の通りを歩き出した。

(了)


頂いたプロットはこちらです

俯いて咲く花と僕は暮らしている。
とても美しいのにその美しさは誰にも理解されない。
僕はそれでもよかったけれど、君が悲しそうだと感じていた。
君が美しい顔を上げると、僕は背中でもそれを感じることができた。
ある日、花屋の店先を通った時、君は思いがけず顔を上げた。
彼女は花の中に入っていくと、それきり消えてしまった。
彼女と再会したのは友人の結婚式の席でのことである。

歩行者bさんはスクロールなしで読める掌編など精力的に投稿されていましたが、今はnoteはアーカイブと企画参加メインの場とし、新作投稿は別の場に移されています。
知り合ってから欠かさず私の記事を読んで下さり、コメントで頂く感想にとても励まされていました。さらに今回のような常とは違う挑戦の場を頂けたこと、感謝です。楽しかったです!
歩行者bさん、ありがとうございました✨

歩行者bさんの方には私のプロットを元に歩行者bさんが書き上げてくださった作品が掲載されています。
どうぞそちらもお楽しみください✨


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