見出し画像

限りある自分の時間=命を使ってするのが仕事。ならば何をする?

私のつたない文章を読んでスキを下さる貴重な方々のブログを訪問してみると、若い人、人生について考えている人、仕事について書いている人が多いです。ありがとうございます。

それで、多分そんな方々の親世代であるにも関わらず、わが子たちとも同レベルで今、気づいている「脱昭和☆仕事観」について書いてみようと思います。

ふと気づくと、生きることが仕事、になっている。

もちろん、仕事が大好きで仕事さえしてれば幸せっていうならそれでいいけど、

そういう「仕事」ではなく「生きていく手段」としての仕事が、いつの間にか「人生のほとんど」になってしまっている。そして、生きていくために、「稼ぐ」ことに必死で、それが当たり前になってしまっていないかなと思う。

本来、「仕事」「働く」ってどういうことだろう。

私にとっては「人生」は、この美しい地球でできる経験を目いっぱいすること、楽しみ、味わいつくすこと。

だから「人生」の中には、「仕事」「遊び」「家族との時間」「趣味」「学び」など、いろんな要素があるのにも関わらず、

気が付くと、人生=仕事、みたいな時間配分になっているし

アタマもそんな風になってしまっている。


もう少し若い時は、

「何者かになる」という野望?があり、

「資格」を取り、学びの場で頭角を現し、頂点を目指すことが生きがいとなっていた。そこまで行けなかったけど、努力するのが当たり前で、モチベーションだった。

ま、それを楽しんでいられるうちは良いけど、

そもそも、私はそのために生まれて来たわけではないから、途中で疲れて、なにやってんの?って虚しく落ち込む羽目になる、ということを、なぜか何度も繰り返していた。

50を過ぎて就職してしまい、また努力を始めた。初めて自分のチーㇺで仕事をする経験をさせてもらい、チームで目標を達成していく楽しさを味わわせてもらったけど、やはりまた、「このために生まれて来ていないな」と何度目かの気づき。

もういい加減若くないので、もう一回同じことをやっている場合ではないな、と思って、オットと脱サラを計画しているわけです。


うちの3人の子供たちが通った学校は、受験勉強よりも、演劇や音楽、何かを創るということ、自分が本当に好きなことを追求することに時間を使わせてくれて、それが本気でないと、かなり先生から突っ込まれる、と言う教育環境だった。本当にありがたいことです。

成人したわが子たちは、受けた教育に対して、本当に感謝している様子。

高校時代も「大学に行くのは当たり前」ではなく、「私は何をしたいのか」ということを、ずっと考えることができた時間でした。そんな彼らを私は、実は指をくわえながら見ていたわけです(笑)いいな~って。本人たちは、若干17歳なので「わからん~」って結構苦しんでいましたが、

私が高校生の時に、進路を考えるにあたり、「あなたは何が好きなの?何がしたいの?」なんて言葉を周りの大人から聞いたことがなかった。
文系か理数か、あとは偏差値で割り振られ、就職に有利そうな学校を目指すのみ。

そういうわけで、「仕事=稼ぐ手段」であった私とは全く違って、わが子たちにとっては、逆に「生きること=仕事」だったりするようだ。
「自分の大事な時間(人生)を使って世の中ですることが仕事」

長女はフリーの美容師ですが、サロン勤めが合わず、紆余曲折を経て独立。サロンを辞めたかったわけではなかったが、サロンにいると、お客様がいない時間でも待機していないといけない、自分が合わないと思う薬剤を使わないといけない、など、「当たり前」のことだからと普通の美容師はみんな我慢しているようなことでも、娘にとっては「生きること=仕事」だから、職場で暇にしていたり、合わない薬剤で体がしんどいのは、「なんか違う」

オーナーに、「時間を有効に使いたいからパートで働きたい」と言ったら、「一人だけ、そんなことはできないし、皆、そんな勝手は言わないよ」ということで、辞めざるを得なくなり退職。

今、それがいい感じで軌道に乗り、周りの人から、独立するためのマインドや方法を人に教えてあげたら?と言われるらしいが、「サロンが合わないから独立した。美容師が好きだから続けている。」というシンプルさなので、教えるようなことがないな、と言う。

さっき書いた、娘が感じた「なんか違う」っていう小さな違和感って、普通、無視しがちで生きていないかと思います。

このくらいは、みんな我慢してるし、どこ行ってもあるあるやん、、、と、最初から思考に上っても来ずに、その前に自分で却下、みたいな。誰もそんなこと言わんとやってる、空気読めよ、的に。

それが積み重なると、病んでしまう。

職場がまだまだ「昭和」の人たちがリーダーなので、若い人たちは大変かもしれない。

私たち昭和の人間は、努力は美徳、自己犠牲も美徳、そういう価値観の中で生きてきている。そう意識しているわけではないけど、自分にもそれを課すし、周りにも求めがち。

でも、なんかもう、違いますよね。それではやっていけない。倒れる。努力の量が報われる時代でもない。

だから、大事なのは、受けてきた教育からの価値観と、これからの時代を生きるために必要なことの間にギャップがあることを知っておくことかなぁ。

そして、私は何がしたいのか、ということを立ち止まってじっくり考える時間を持つことはとても大事。時間は命だから。大事な限りある自分の生きる時間を使って、なにをするのか。

「こんなの嫌だなぁ」、と感じることは
ひっくり返せば「こうだったらいいなあ」ということなので、見つけやすい。

娘の場合なら、「暇な時間もサロンにいるのは時間がもったいないな」と思っていた⇒じゃあ、どうだったらいいの?⇒自分の時間をもっと有意義に過ごしたい。けど、美容師は続けたいから「パートにしてください」と申し出た。⇒却下されたけど、それがきっかけで、フリーになれた。

私の場合は、50過ぎて、仕事(私の場合は稼ぐ手段)で一日丸々費やすのはもう嫌だ⇒じゃあ、どうしたい?⇒少しずつ仕事の時間を減らして、好きなことをして生きていきたい⇒職場に退職までの間は、週休3日で働かせてもらうようにお願いして、新人を育て、退職予定。

この、「これは嫌だ⇒じゃあ、どうしたい?⇒〇〇〇〇だったらいいな」といういのが大事ですね。

そんなことで食べて行けるのか?食べていけないと困る!のだけど、
そもそも、意に沿わないことを続けていると、心身を病んだりしたらそれこそ、働けないし、人生がもったいない!!

もっと時間=命を大事にしよう。

大橋トリオの「世界で一番しあわせ者になれ」♪

”ぼくら生きてる時間は
ほんの一瞬の出来事さ夢のように
誰かの期待を背負って生きてくなんて
そんな時間はないんだ”

そうそう、そうなんだよ。

悩んで動けなくなる前に「やっちゃえ」

死なへんから。知らんけど(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?