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なんでやりたいことだけやってるのかって話。

なんで今、こうしてやりたいことだけをやっているのか。
ただ、遊んでいたい、楽をしたいということでもない。

私は体を動かして働くのが大好きで、毎日毎日、庭で畑で野良仕事をしているし、頼まれれば、どんな寒い日でも暑い日でも、庭師の親方の仕事についていって、一日力仕事や、地面にはいつくばってひたすら砂利の中に埋まっている落ち葉を拾っていても楽しくて仕方がない。

今、こうしてやりたい事だけをやっているのは、
ずっと50年間、やりたいことをちゃんとやって来なかったからかな。
もちろん全部が全部じゃないけど、子どもの頃から、長女と言うこともあるし、昭和どっぷりの堅い両親の期待に沿うように生きて来た、と思っている。親から見たらそうでもないかもしれないけど😉

その場その場、その時その時の自分の求められている役割に合わせて、やりたくないことでも、なんか必死にやろうとして、それって自分を曲げてやっているから、不平不満だらけで、やらされてる感満載で、悲観的に生きていた。

物事って、嫌々やると、よけいに嫌なものになるし、気持ちよくできない自分を責めたりして、どんどんややこしくなる。
諦めよく、今はコレをやる時期だからやるっきゃない!と思うこともあるのだけど、全体的に私はネガティブだった。自分責めがあるから、自己肯定感も低いし、自信がない。人に教えを請いたがり、人に頼ろうとする。頑張っている自分を認められたくて、いい人でいようとしてまたややこしくなる。

そんなループの中で長年生きていたなって思う。

子育ても家事も全然好きじゃなくて、というより、一度に一つの事しかできないし、子どもは待ったなしだし、それが3人だから、自分の思ったようになるはずもなく。

子どもたちが早くに家を出て行ったので、私は「母親業」からも「主婦業」からも降りることができた。親孝行な子どもたちです。
子育ては苦手だったけど子どもたちの事は大好きで、友達があまりいない私は、話し相手も遊び相手も、オットと子どもたちで、一緒に住んでいる頃よりさらに一緒にいるのが楽しくなった。

子どもは早く独立させる方がいいなと私は思います。
大人同士の仲間になってくれます🤗

せっかく子どもたちが独立してくれて、私は主婦でも母でもなくなったので、オットと好きなことだけして生きる、というチャレンジも可能になった。

「自由には責任が伴う。」

この言葉は、シュタイナー学校で、子どもたちが9年生、高等部に上がるときのオリエンテーションで教師から伝えられたらしい言葉。
初等部の間は通ってはいけなかった道、入ってはいけなかったお店も、高等部になると自由になる。
けれど、「自由には責任が伴うんだよ。そのことをしっかり認識しておくんだよ」という話だったのだと思う。(子供から聞いた話なので、、、)

好きなことだけして生きる、ということは、
「自由には覚悟がいる」ことだとも言える。

経済的なこと、健康、いろんな先々の未知のことに対しても、自分はどう考えてどう選択してどう生きるのか、考えておかないわけにはいかない。
といっても、考えても先のことは見えないから、あとは「えいっ」ってやるだけ(笑)

会社勤めをしていた頃は、とりあえず仕事があって収入があるから大丈夫、というなんとなくの安心感はあった。でも、それっていつまで大丈夫なん?という問いが常にあって、その不安感を抱えて生きるのは嫌だなあ、と考えていた。

貯金があるという安心感や行政から支給されるものに頼る気持ちがあると、それがなくならないかと不安になる。「待つ」のは不安を生む。
自分の人生を自分で舵取りしたいって思うから。

生活を切り詰めて一生懸命貯金をする生き方も自分たちらしくなく、どうしたいんだろう?とオットとよく話をした。

その結果が今の生活。
働ける限り働けるように健康でいること。
年をとっても働けるような仕事を身に着けよう。
ずっと身体を動かして、身軽に生活を楽しもう。
やりたいことは諦めずに済むように、ひとつひとつやって行こう。

そんなチャレンジをする、という覚悟を決めたのでした。

大丈夫?
どうやって生活してるの?
という声はよく聞きます(笑)

オットは大工の訓練校をもうすぐ卒業して、建築士の試験を受けるし、
私は庭師の見習いで、大学でランドスケープデザインを学ぶ。
ぼちぼち、オットは知り合いから仕事を請けているし、
私も、勉強させてということで、友人の庭の手入れをさせてもらっている。
畑もまた今日から再開。

考えてもみなかったんだけれど、オットと二人でちょっと個性的な工務店&造園屋をやっていくことになりそう。

今日は、学校から早めに帰って来たオットと、平日の昼間に畑仕事をしながら、こんな日が来るとはなぁ~と感慨深かった。

働きに行っていた頃は、オットは4時起きで畑仕事をしてから出勤。
私はいくら畑仕事に誘われても、「忙しいのに、畑仕事なんて無理無理」と一歩も近寄らず、収穫担当だった。
ましてや自分が園芸の仕事を選ぶことも全く頭になかったこと。
今や、健康に、そして食べていくために、率先して畑仕事をやるし、毎日庭仕事にいそしんでいる。

本当にやりたい事って、日常やらなきゃいけないと思ってやっていることを手放して初めて分かるものなのかもしれないなと思う。
やらなきゃいけないと思っていることに追われているときは、ゆとりがないから、好きだとも思ってないこと、面倒だと思っていること、そんなことしてる暇なんてない、と2の次、3の次になっていることの中に、本当にやりたいことが埋もれているのかもしれない。

うん、そんなものなんじゃないかな。
私はそうだったな。

スキじゃない、と書いた「家事」でさえ、こうしてゆとりができた今は、
家事って、自分や一緒にいる人を大事にすることなんだなあ、としみじみ思いながら、大切にできるようになった。

安定していると思われる経済(給料)、行くところ(職場)がある安心感のようなもの、それら以外の選択。。。

最初の文章の結論。
やっぱりチャレンジしたかったってことです。違う生き方をしたかった。
オットともっと遊びたかった。毎日を遊びにしたかった。働くことすら。
それらを選択したってことのようです。

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