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子どもは、私たちの知らない未来を生きる人たち

娘たちと話していて
最近、「シュタイナー学校に通えて本当によかった」という言葉を
それぞれから聞いた。

そっか。それは良かった。

今日、オットとドライブしながら
20年前のことを話していた。

長男の学校選びに悩んで
色々検索して出て来た「シュタイナー学校全日制開校」の文字に
驚きながら内容を見ると
私たち家族にとっては
両家の実家に近い場所で願ってもない条件だったことに
私はもう興奮が抑えられなかった記憶がある。

オットは「普通の学校でいい」というところからのスタート。
でも、「普通」ってなんだ?という話をし、
長男にとっては、その普通が苦しい、という話をし、、、
なかなか、話がかみ合わない。

でも、幼児期から保育所時代、
私は年子の長男長女の育児と
ほかの子のようにいかない長男の発育、躾に疲れ果て
助けを求めてさまようこともあった日々。
ようやくたどり着いた保育所で一息つくも
お友達とのトラブルで、クラスのお母さんたちからの苦情、
気を遣いまくって、なるべく愛想よく、
親の私が受け入れてもらって長男の居場所を作るべく必死で
小学校という、また人数の多い中でのことを考えると
どんなことになるのか、もう想像もできず、、、

長男にとって
居心地の良い場所になる学校はないのか?
周りに変に気を使ったり
いじめられる心配のない
親や教師が協力して
大人皆でみんなの子供を育てることができるような、、、
そんな学校はないのか?????

必死で探してたどり着いた
びっくりするような
運命的な出会い。

子ども3人(生まれたての末娘も)を乗せて、
荒れ狂う海で転覆しかけの私は
この学校にたどり着いて、本当に命拾いしたと思っている。

長男が無事、入学するも(そこまでもかなり色々あったが)
年子の妹は、地元の友達と一緒の学校に行きたいと言い、
私たち夫婦の親(ジジババたち)は、妹まで同じ学校に行かなくてもと言い、
でも、シュタイナー学校の子供と、一般校の学校の子供を
同じ家庭で育てるのは難しいし、めんどくさい!
妹にとっても、いいに決まってるんだからと決断。

まだ学校に出会った頃は、
校舎も建っていない状態で
どうなるか、ほんとに賭けだった。

でも、そこに集っている保護者達、先生たちの目は輝いていた。
これから、ここで始まる学校への希望に満ちていた。

それでもまだ「普通じゃあかんのか」と言うオットとは、
「子供たちに、どんなふうに育ってほしいか」ということを
何度も話し合った。

私はたった一つ、

「どんな世の中になっても、明るくたくましく生きていける人になってほしい」

オットは、

「これからの世の中は、創造力が求められるだろうから、そんな力がはぐくまれるならいいと思う」

と言った。

そして、入学前の説明会で保護者からの

「シュタイナー学校を卒業したらどんないいことがあると考えられますか?」という質問に、

先生が

「少しほかの人より、寿命が長いかもしれません」

と言ってにっこりされた、そのことがオットの決め手になったとのことだった。

少し寿命が長い、、、

その時は冗談に聞こえたけど
ある意味そうなのかもしれない。
なんていうか、そこで育ててもらった世界観のお陰で
世の中を安心して見ることができる、ということかな。

ある先生は、
「アメリカで出会った引っ越し業者の男の子が
とても楽し気にさわやかに仕事をしてくれて、
聞くとその子はシュタイナー学校の卒業生だった。」
と言われていたが
多分、そういうことなんだろうと思う。

楽しんでいる。
どんな世の中であっても、今いる環境、世界を楽しめるのかもしれない。

自分に対して「これでいいんだ」と安心している。

もちろん、思春期やいろんな変わり目に
悩んで苦しい時期も普通にあるけど
ま、そういうこともあるよな!と
心のどこかで安心しているし、
18年間共に過ごした仲間たちがいる。

点数で評価されない。
個性を抑えなくていい。

そんなことが、どれだけ人の成長を助けることかと思う。

もう平成生まれの子供たちが
どんどん世の中に出てきている。
あと15年もすれば、
令和の子供たちが世の中に出て来て
平成生まれの人たちは世の中を動かしていく年齢になる。

私たち大人は、
平成や令和の人たちから
どんな感覚でいるのか、
何を理想として、何を求めているのか、
彼らの作る未来の世界で
私たちも幸せに暮らさせてもらうには
どんな世の中を作っていくのがいいか、
私たちのアタマも、どんなふうに切り替えていくのがいいか、
よく聞いてみるのが良いと思う。

私は若い人たちと話すのが大好きなので
職場の平成生まれの人たちともよく話すが
持っている感覚が全く違う。
その違いが面白い。
でも、苦しそうにしている若い人たちは
まだ昭和の感覚の学校教育や職場の上司のもと、
そこに合わない自分を責めていたりする。

希望を持ってほしい。
自信を持ってほしい。
何でもやってみてほしい。

もう、点数を競うことで勝っていけるとかいうような世の中ではない。

希望を持って
幸せになって
どんな世の中であっても
周りの人と協力して明るく生きる力を
子どもたちにははぐくんであげてもらいたいです。

私はパソコン教室の教師で
仕事柄、会社の方針でプログラミングやタイピングを
子どもたちに教えているけれど
ジュニア対象を導入時に社長に直接話しました。

「私は子どもの創造性をはぐくむのは
パソコンの世界ではなく、
どれだけ体を使って遊ぶか、
自然の中に埋没する時間を持たせてあげるか、だと思っている」と。

今もそう思っているので
体験に来られてもあまり熱心にはなれない。
来ている子どもたちには一生懸命対応するけど。

なので、そういうこともあって
私は早く退職しないといけないなと思っている節もある。

何が大切なのか。
人生において、自分自身にとって。

そのことを、きちんと見極められる人に育てるためにも
自然の中で学ぶこと、
身体を使った遊びを通して学ぶこと、
ぼんやりする時間の中で感じること。

それが一番大事なんだと思っている。

それが可能な学校生活だったので
大人になった娘たちが、「あの学校に通えてよかったよ」と言ってくれて
私は本当に、ご褒美をもらったような嬉しさを感じるのです。

当の長男はどうかな
彼はあまりそういうことは語らないけど
人より不器用なことがたくさんあっても
自尊心高く、明るく生きているところを見ていると
彼にとっても良かったのではないかなと思っています。


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