履けない靴を


友人の靴を借りる夢を見た。

内容はよく覚えていないが、友人の靴が羨ましくて借りたという感情は残っている。

靴を借りた友人は、1番長い時間を共に過ごした親友といえる。そして、1番近くで見てきた女性だ。

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これは正夢にはならない。

私の足は最小サイズのパンプスでも余裕ができるほど小さいが、友人は男性のように大きいために女性もので合う靴が少ない。真逆なのである。私は友人と靴を貸し借りすることなど、そもそもできない。

私と友人は違う。足だけでなく手の大きさも同じくらい差があり、子どものように小さな私の手と違い、指の長い骨ばった大きな手をしている。身長も10センチ近く彼女の方が高く、すらりと縦長のシルエットだ。実の父親から「ダックスフンド!」とからかわれる私とは大違いなのである。

顔のタイプも真逆と言ってよい。一重の目に合わせて選んだような、小作りのパーツだけで構成された童顔の私。友人は目力のある二重にわし鼻と面長の顔で、最近では「やっと見た目年齢と実年齢が合ってきた」と笑うような濃い顔だ。

童顔で小柄な私と、派手な顔に大柄な友人。
ふたりで店に浴衣を買いに行ったとき、たくさんの試着をさせてもらい、「どの柄が似合うか」を試し合った。お互いを着せ替え人形にするのはとても楽しく、そして友人との個性の違いをハッキリ感じた時間だった。

私にはパステルカラーのような淡い色彩に、繊細な花の模様が散ったものやストライプが、顔に馴染んだ。20代OLが着るにしては子どもじみたオモチャのような柄に見え、正直好みじゃなかった。モダンでシックな柄を着たかったのだが、悲しいかな、顔が柄に負けて似合っていないのを自分でも感じるのである。

そんな私の着たい浴衣を着こなすのが友人だった。濃い顔に、大胆な柄や白黒のツートンカラーがよく似合う。……のだが、友人としては茶や灰色などの渋い色に細かな模様が散った古典柄が好みらしい。しかしその柄では顔ばかり目立って服装との外見年齢が噛み合わず、チグハグな印象になってしまっていた。

お互いを「アレがいいコレがいい」と褒め合い、私は自分の気に入った柄が友人に似合っていたので、さりげなくそれを勧めていたのだが、友人は結局、「似合うね!」と言われたものをすべて断り、自分の好きな柄を買った。

彼女を引き立てる柄は他にあったのに、と今でも思っている私は厚かましい。余計なお世話だ。私だって、彼女の褒め言葉をすべて素直に受け入れて、着るものを選んだわけではない。

これでいいのだ。自分がしっくりくる物を身につければ。


服を買う際、まず自分の好みかどうか、それから私の雰囲気に合うかどうか、そして試着し肌に映えるか体に合っているかなどを見る。

1番重要なのは試着で、気に入った服を着ているセルフイメージの自分と、姿見でタイマン勝負をするのだ。これがけっこう負ける。

そもそも「自分の雰囲気」というのは、客観的な自分自身のイメージを指すのだから、自分で把握できるわけがない。他人とのやりとりからそれとなく感じ取ったり、友人にファッションやメイクの相談をして明け透けな意見をもらったりして、「外見から抱く私のイメージ」をなんとなく捉える。

もちろん、捉えたからといって従う必要はない。

ファッションは楽しむべきで、自分の好きな服装をするのが1番だと思っている。そのなかで私は、「自分に合っているファッション」を探すのが心地よいオシャレの楽しみ方だと、最近感じるようになってきた。

これは私が外見のコンプレックスと向き合い、付き合っていく上で、重要な考え方になっている。

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夢の中で友人に借りた靴は、彼女が履かないようなデザインのものだった。正確にいえば、いままで見てきた彼女のファッションにはないテイスト。けれど、私はその靴が彼女にぴったりだと思った。それから、私には似合わない、とも。

#エッセイ #コンプレックス #ファッション
#cakesコンテスト

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