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【ふと腹落ちした話】歴史上の人物をエンタメ作品で書くときの心構えのようなもの

2015年8月27日のこと。

このとき私は、歴史上の人物を題材にしたエンタメ作品の、ある登場人物のシナリオ執筆の真っ最中でした。
すでに同じ作品内で2本の長編を書き終え、3本目の本編だったものの、作品立ち上げ当初からずっと(なんかこれ私が書いていいの勝手に……)という感覚が消えずにいました。

自分と同じように、かつて息をし、物を食い、人を愛して、命がけで生きていた生身の人を、たとえフィクションだとしても、私が勝手にあれこれ書いていいんか!? と。

もちろん、史実を丁寧に調べた上で執筆するのは大前提だけれど(その上でエンタメフィクションとして書く際たくさんの部分を泣く泣く切り捨る)
そもそもフィクションであり、ハッピーな感情提供を約束しているエンタメなので、どのような人物として描くかはある程度自由なはずなのだけれど
姿勢の部分で、迷いがあったのでした。

悩んでいるから執筆速度は落ちる。
でも読んでくださる方をお待たせしたくない。
とはいえ物書きの端くれの下っ端として、手は抜けない。
だがしかし締め切りは迫りくる……
ああもうどうしたらいいんだー!!!

と、うだるような暑さの夏の夜、とっくに終電のない時間に自転車で坂道をハイスピードで下りながらぐるぐると考え込んでいたとき、
不意に、蓄積した疲労とぬるい風と自転車のスピードを 、意識しました。

ふと腹落ちしたのは、その瞬間です。

「想像力だけはぎりぎりまで張りつめることが、自分にできる最大限の敬意の払い方ではないか?」と。

創造でなく想像です。

実際に生きていた人をフィクションとして描くとき、身体感覚の部分、生身の人間の「息吹き」的なものだけはせめて、想像力の出力を出来る限り最大にしよう。
完全なフィクション作品の人物を書くときもこのスタンスは変わらないけれど、やや気持ち厳粛に。
「だから許してくれよな」と免罪符を掲げているだけかもしれませんけど。

それでもその日、坂を下りきって平坦になった夜道を自転車ギコギコ漕いで進みながら、悩みは尽きないけれど書き続けようと、すっきりした気持ちになれたのでした。

その後。
執筆速度は劇的に上がり超絶面白シナリオを書きまくれるようになって三本は笑いが止まらなくなった!
というような奇跡が起きるわけもなく。
引き続きうんうん苦しみ抜いて、思い出しただけで白目になっちゃうようなギリギリ進行でシナリオは完成しました。
間に合ってよかった。本当によかった。

けれどそれでも、当時書いたシナリオ、書くことに七転八倒した日々の記憶は、思い入れ深い大切なものとして、今も胸に残っています。


以上、執筆当時の日記というか書きなぐりのメモが出てきたので、雑記として書き直してみました。
物書きの端くれの下っ端はこんなことでうだうだと悩んでいるのだなーと、読み流していただければ幸いです。