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谷崎潤一郎『台所太平記』中公文庫

谷崎家で雇っていた代々の「女中」さんを題材にしたフィクションである。この女中さんたちがみな個性的でパワフルなのである。雇われている身でありながら、けっしておとなしくはしていない。主人である磊吉(谷崎自身)もたじたじだ。文章もコミカルだし、マンガのような挿絵もおかしい。(この挿絵、磊吉はなぜかいつもウサギの着ぐるみ(?)をかぶっている。)これを読むと、文豪谷崎潤一郎のイメージがかなり変わるかもしれない。

女中さんたちの性格だけでなく、容貌や体つきも細かく観察しているのは、やっぱり谷崎だから。特に、美人で若い女中の銀や百合が働いている時期は磊吉もうきうきしており、一緒に映画を見に街に出たりしている。一時は脳溢血で寝込んでいた彼が元気になるためにも、そばに勝気な美人がいる必要があったようだ。中でも百合という女中はわがままなので他の女中からクレームが出て、何度か首にするのだけど、そのたびに磊吉自身がさびしくなって百合に頭を下げて戻ってもらうのだ。(このあたり、やはり谷崎っぽいかも。)

「女中」という呼び名でわたしが連想するのは、暗い台所で寡黙に働く姿だったが、そんなことはないみたい。初という女中は鹿児島出身で、主人と奥さんがケンカしたときには奥さんの肩を持ち、主人の前でわざと鹿児島弁で「いけすかない爺さん」と言ってみせるのだ。磊吉の娘はすぐに鹿児島弁を身に着け、簡単な単語表まで作っている。あと、驚いたり嫌いなものを見るとすぐに「げー」と吐いてしまう女中の駒。あるとき磊吉の妻が映画を見に行くと、客席の離れたところで「げー」という声がするので「あ、駒が来ている」とわかったりするのだ。なかなか強烈なキャラクターである。

女中たちはまるで家族の一員のようで、主人夫婦は「よその娘さんをお預かりしている」という意識のようだ。彼女たちが嫁に行くときはそれなりに支度を整えてやり、結婚式にも出る。結婚前に男とつきあっていることがわかると、「もう女になったのかもしれない」などと心配する。また彼女たちの普段の夕食の献立も書かれているが、すき焼きなどもあってなんだかおいしそうだ。

ただ気になった点もあって、癲癇を起こした女中(滑稽な挿絵まである)や、子犬を虐待する動物嫌いの女中、同性愛の女中などの描き方は、後書きで松田青子も書いているが、現代の読者は素直に読めないところだろう。それでもやはり全体としては女たちの個性とエネルギーが素晴らしいし、また女中たちが語る田舎の話も含めて、当時の日本人の暮らしぶりがわかって興味深かった。


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