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カポーティ『ティファニーで朝食を』村上春樹訳、新潮文庫

どんなさびれた町のどんな小さい本屋にも、必ず棚にありそうな『ティファニーで朝食を』。もちろんそんなに人気があるのはオードリー・ヘップバーン主演の映画のせいでしょう。わたしは映画はだいぶ昔に見たけれど小説はまだだった。今回ちょっと事情があって読むことになりました。映画の内容は冒頭に変な日本人が出ること以外はもう覚えていなかったから好都合。村上は、ホリーのイメージが固定されるから表紙にはヘップバーンの映画の写真を使わないでほしいと希望したらしい。たしかにヘップバーンではホリーを演じるには気品がありすぎるし、野生味が足らなすぎだ。

主人公はホリー・ゴライトリー (Holly Golightly) という、魅力はあるが貧しく、そしておそろしく気ままな若い女。本来ならこういう女はわたしは苦手だ。しかも、村上春樹の訳なので、ホリーの言葉遣いが村上小説に出る「僕」を当惑させる気ままな女子大生を思い出させるし。でもこのホリーは意外なほど鼻につかなかった。それはカポーティによるこの女性の造形が単純でないからだろう。いい加減な生き方をしているくせに、どこか誠実で、やさしくて、人間として芯が通っている。読むにつれて「女」よりも「人間」を感じさせるようになるのが不思議だ。

たとえば小説の後半で、彼女が幼いときに結婚した相手の男がやってくる。これが田舎っぽい、むさくるしい男で、ホリーにはちっとも合っていないように見える。でも彼女はこの男について、「あなたの目には年寄でむさくるしく見えるかもしれない。でも彼の心にはとても温かいものがあるの。鳥や子どもたちやそういう弱いものには惜しみなく愛情を注げる人よ」とかばい、お祈りするときにはいつも彼のことを思うのだと言う。ホリーが言っているからこそ、こういう言葉も口先の出まかせでなく本心なのだろうと感じられる。

カポーティは冷たいイメージがあって好きな作家ではなかったけれど、この小説はなかなかよかった。第二次世界大戦初期のニューヨークの雰囲気も面白い。そして、後書きで村上が書いているように、そろそろヘップバーンとは違う女優がホリーを演じる映画を見てみたい。


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