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写真展「border」徹底ガイドvol.14 30sec.30秒のポートレイト

#33 <30sec.>

展示会場に入って正面に見えるのが斜めに配置された2つの縦型モニターである。手前のスクリーンと奥のスクリーン。壁の裏側にはもう一つの横型のスクリーンが設置されている。#01の作品は入場後に振り返らなければ見えないので、実はこの作品が今回の展示の中心である。
目の前にある縦型のスクリーンの中では、ほぼ等身大のポートレートが、瞬きをしたり身体を揺すったりしながらこちらを見つめている。

レンズの向こう側から、手持ち無沙汰にこちらを見つめる被写体の姿と見つめあってほしい。最初のスクリーンの中にいるのは、主に北朝鮮の人々だ。

奥には、もう一枚のスクリーンが設置されている。作品としては<30sec>としか書いていないが、こちらは主に韓国の人々のポートレイトとなっている。

僕は以前「border | korea」という写真集を出し、境界線というものに対する一つの考え方を示した。写真集というメディアは言葉を介さずに複雑な情感を伝えられるメディアであるが、それでも伝えられないものがある。
僕がファインダーをのぞいている時に被写体となってくれている人々の息遣いや髪の毛の揺れ、手持ち無沙汰になった時の表情や撮影が終わった後のホッとした顔。そういったものを含めてのポートレートを撮りたいと考えて取り組んでいるのがこの<30sec.>というシリーズだ。

今回、東京都立写真美術館で展示をするにあたって、映像には一つの仕掛けがしてある。それは、映像用に作られた壁を斜めに設置したことだ。こうすることによって手前の映像と奥の映像を同時に見ることができる。
#30の横のあたりから作品を改めて見たとき、1つ1つの映像を見る時とはまた別の見方ができるはずだ。

5分16秒のこの映像は、いわば映像版「border | korea」。2つの映像は連動している。手前のスクリーンと後方のスクリーンの間に「38度線」が横たわっているイメージである。
会場で気づくことが出来なかった人も、この映像を通して改めてこの2枚を同時に見てみて欲しい。

この作品<30sec>の定義については、「風景のポートレート」でも書いた。改めてここにも再掲する。

■<30sec>
1827年にフランスのニエプスが写真技術を発明したとき、その露光時間は8時間だったという。目の前にある景色をそのまま写し取る…という魔法にも似た技術。その当時に自分が生きていたとすれば、それほど長い時間に感じなかったかもしれない。しかし画像をいかに定着させるか?という目標に向かって技術は1830年代に急速に進化する。ダゲレオタイプ、湿板写真と進化するに従って露光時間は短くなり、幕末の日本にもたらされた頃には30秒ほどで一枚の写真を得ることができるようになっていた。
写真は光の堆積物である。一定の時間に降り注がれた光の束をによって結ばれる画像は、時間が刻む風景の彫刻である。写真を表す古い言葉に「光画」があるが、それはまさに光の画だったと思う。
カメラ技術の進化はシャッタースピードを速くしていった。フィルム時代は125分の1秒とか250分の1秒で撮影していた写真は、デジタル時代になり、4000分の1秒や8000分の1秒という露光も当たり前に出来るようになった。同時にデジタル時代のカメラは「動画」を基本機能とすることで、別の形の「露光時間」を生み出す。カメラが被写体に長時間向き合うことが、100年ぶりに戻ってきたようにも感じる。
<30sec>と名付けたこのシリーズは、150年前の写真が必要としていた「光の束」を使い、新たなポートレートを生み出す試みである。カメラとレンズと30秒という時間を使って、現代のカメラは何を刻み、何を伝えられるのか。

今後、撮影機材や鑑賞機材の変化によって(つまり、動画が撮れるカメラと動画を簡単に見られる端末の普及によって)ポートレートの定義は書き換えられるのではないかと思っている。背景に流れる音も含めたポートレートだ。

最後に。
定義付けが難しいのだが、もう一つ別の<30sec.>が会場に設置されている。北朝鮮、レバノン(シリア難民キャンプ)、ミャンマー等で撮影された作品を集めたものである。125分の1秒では描ききれないものを、体感してみてほしい。


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