中年テディ
「ふう、やれやれ。今週も大変だったよ」
毎回おなじみのこの言葉で、今週もお茶会がはじまりました。
毎週土曜日は、ふたりでテーブルを囲んでお茶を飲む日。
そこで私の持ち主の“坊や”は、私に色々なことを話してくれます。
色々といっても、ここ3~4年は特に、“職場”ってところの話題ばかりですが。
職場については、20年近くもその場所について聞いてきたので
私もだいぶ詳しくなりました。
「部長のヤツ、昨日もあからさまに嫌味言ってきやがって…」
今日は8月の気温がとても高い日。坊やは白のタンクトップ1枚で、ちゃぶ台の前にドシンと腰掛けました。そして2Lのペットボトルからざざっとお茶を注いで、小さな段ボール箱に座る私の前にゴトン、と置きました。
父さまと母さまの家を離れ、この小さなアパートに引っ越してきてから、10年あまり。
私の特等席となった段ボールは、表面がすり減って、今にも穴が空きそうです。
テディベアの私は、相槌を打つことはできませんが、黙って聞くことはできます。
坊やの話を、それに伴って出てくる悲しみや憎しみも、体全体に染み込ませるように受け止めることができます。
「この前さあ、西くんに久々にメールしたんだよ」
ニシクン。
その響きを耳にするのは、私にとっても久々のことでした。
西くんは、5年前に会社を辞めた“後輩”でした。
3年と2ヶ月の間、坊やと席が隣で、坊やは面倒を見てやっていたのです。
「周りの連中はやたらと可愛がってたけど、俺だけはヤツの本性見抜いてるんだよな…」
坊やはたびたび、そんな風に呟いていました。
その本性が何なのか、ついに私に打ち明けてくれることはありませんでした。
ある日突然西くんは「布団屋をはじめる」と言って会社を辞め、坊やにだけ「死ぬほど大量の仕事を引き継がせ」、とうとう最後の出勤の日を迎えて会社を辞めていきました。
その1週間後、おもむろに「西のヤツ、馬鹿だよ。布団屋なんかうまくいくわけない、ってさんざん注意してやったのにさ」とため息まじりにこぼしたのを最後に、坊やの口から西くんの話題が出ることはありませんでした。
「この前床屋で雑誌を見たら、びっくりしたよ。西くんの布団屋が特集されてたんだ」
ペットボトルに口をつけて、中身のお茶をグビグビっと飲み、坊っちゃんは言いました。
どうやら坊やが頭をすっきりさせて帰ってきた、この前の日曜日の夜のことのようです。
坊やの話によると、西くんの布団屋「ウエスト寝具店」は、「母のぬくもり」という掛け布団が大ヒットし、若い起業家が率いる新進気鋭の企業として注目を集めているのだそうです。
そこで坊やは「元気にしてる?」と、久しぶりに西くんにメールをしました。
「そしたらさ、あいつから返ってきたメールがひどいんだぜ」
坊やは話に夢中になると、幼かった頃のような口調に戻ることがあります。
坊やの話によると、西くんから返ってきたメールは、こんなかんじでした。
「俺は、すっかり失望しちゃったよ。布団屋の夢だって応援してやったのに、あいつもう、俺のことは金づるとしか思ってないだぜ」
そう言う坊やの様子は、小さい頃にお友達におもちゃを取られた話をする姿と重なりました。
「あいつもバカだよ。こんなあからさまな態度取るんじゃなくてさ、せめてもうちょっと気を使った文言をよこしてくれりゃ、俺だってちょっとは応援してやろうと思ったのに」
そう言って坊やは、ペットボトルの中に残っていたお茶を飲み干しました。
私が思うに、坊やは少し寂しがり屋で、意地っ張りで、素直になれないところがあります。
「西のヤツ、変わっちゃったよな。もうあんなヤツに連絡なんかするもんかよ」
坊やのその言葉を聞いた時、私は西くんの“意図”が垣間見えたように感じました。
西くんはどうやら、坊やよりも一枚上手だったようです。