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椿大神社でご祈祷してきました。その2

こちらの続きです。ま、流れが生まれて、ワタシは行きたいけど諦めていたご祈祷の旅への道が開かれたわけです。


ワタシは、学生時代に「民俗学」と出会ってから、かなり特殊な世界を当たり前だと思って生きております。

琉球王国の神の島・久高島にいって、ニライカナイ(黄泉の国)やイザイホー(消滅した久高島独自の原始的なお祭り)のことを調べてて、旅館のおばぁから色々と祭祀のことを聞いたり、
青森のイタコさん(口寄せ巫女)に会いに行って口寄せっていうあの世の人の声を下ろして聞かせるっていうのを見せてもらったり、
狐憑きにあったから狐をあの祠に封じ込めたんだっていう人(埼玉県の秩父地方)から話を聞いたり、
うちのじいちゃんは河童と相撲とりかけて、大人に止められたらしいっていう人(熊本県八代市)にもあったことがあるので、
なんというか、日本人らしい宗教観を備えて生きている、そんな感じでしょうか。
神も仏も妖怪もあの世もこの世も霊魂も呪いも含めて日常っていう。
んで、その日常をちょっと区切るのに、非日常っていう意識とか儀礼があって、それをとっても大事にしている日本の宗教観っていうか精神観。

とても嬉しい。読み上げてもらったのだ。神様の前で。


はっとしたのが、庶民的宗教観は備えているワタシだけれど、
神社仏閣にまったく詳しくない、ということ。

伊勢詣でのあと、古事記を読みなおし(といっても現代版)
神様のことを少しづつ考えるようになりました。
庶民的宗教、とひとくくりにしましたが、それは言葉にすると「山の神」とか「水の神」とか「田の神」。
神とはいうけど、それは神社に祀られている八百万の神のこととは違って、もっとアニミズム的なもの。
そのアニミズム的な宗教観とマッチした神様が神社だと思っていたのですが、それはワタシの勘違いだったんぢゃない?? という興味が湧いております。


神社は、記紀に書かれた神様が祀られている神聖な場所。
伊勢詣でをしてから、そこがすごく明確になったのです。

なんてことだ。ながいこと勘違いしちゃってた。残念だ。
思い込みを捨てて、新しく知りながらお参りしよう。


椿大神社も、神聖さを感じる場所でした。
10月って神無月だけど、全然そんなことない感じ!! 

ご祈祷をお願いしたら、まずお祓いの儀式みたいのがあって、本殿に案内されてご祈祷があって、巫女さんの舞があって、さらに一番奥の宮まで案内してもらって、榊を奉納させていただきました。

こういう時、ワタシって欲張りだから、思いつく限りあれこれお願いしちゃうそうだなぁ、と思ってたんです。
けどね、いざとなったら、ご挨拶をしただけでした。

心からのご挨拶をしてきた。
しかもワタシ的にとびっきり透き通った心で。



そんな感覚。
ワタシが体感したのは、清々しさと自分の謙虚さを知った安堵感。

ご祈祷もできて、ワタシの新しい1ページが、ライティング・ライフ・プロジェクトと共に始まっております。



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取り組み期間

2023年11月6日 月曜日から
2023年12月5日 火曜日まで


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