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自分の感受性を信じて生きるっていうこと

「自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」

茨木のり子 「おんなのことば」のなかの「自分の感受性くらい」より

友だちが紹介していた詩集のオープニングを飾る詩の、衝撃的な最終章の言葉です。

初めて読んだのは、10年ほど前でしょうか。
その時、それほど刺さらなかったのは、自分の感受性を自分で守ろうとしていたのでしょう。

それが、10年ぶりに本を開いて、このページを読んだ瞬間、雷に打たれたという表現が似合うくらいの、衝撃を受けました。
きっと、ばかものなのでしょう。

「初心きえかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった」

茨木のり子 「おんなのことば」のなかの「自分の感受性くらい」より

この言葉は、詩の中の一節。

ひよわな志。

初めて読んだみたいに、この部分を忘れていました。
でも今回は、ここがとりわけ言葉の棘にようにひっかかりました。
つまり、暮らしのせいにしている自分に、気づいているのでしょう。

だけど、ひよわな志でもいいから、消えかけた初心の火に酸素を送り込もう。自分の感受性のために!!!


感受性とは?
外界の刺激を受けとる能力。対象からの触発によって印象を受容する感性の働き。感受力。

ことばんくより


思い返すと、ワタシは自分の感受性をとても大切なものだと信じて生きていた気がする。
誰かに嫌われたって実感した時、それはとても落ち込んだり傷ついたりするし、たまにはムカつくことだったりするわけだけど、自分はこれでいいんだ。だってワタシはワタシだもん。って言っている時の「ワタシ」っていうのは、外見でも容姿でも収入でも肩書でもなく、ワタシの中にある、ワタシが大事に守ったり育ててきた「感受性」のことを、ワタシって呼んでいたのだな、と改めて思った。

その「感受性」を、さいきん、守っていないのかもしれない。

だって、ちょっとしたことで、人の言葉に振り回されている。
だって、ちょっとしたことで、人の働きぶりに振り回されている。
だって、ちょっとしたことで、自分にダメ出しをしている。


「自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ」


今日のワタシの心に、一番必要な言葉と出会えた。
震えるほどに必要だったみたい。

自分の感受性を信じよう。
それがワタシがワタシを信じるってことだから。

自分を解き放せた気がします。
まだまだだけど、ほんの少しは。
このほんの少し、だけで呼吸が深くなります。

ばかものよ。そう自分にいえたら、抜けるチカラが増えて、だから丹田にチカラをいれやすくなりそうです。

ワタシはワタシを大切にしよう。
だから、感受性を大切にしよう。

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