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小さくて明るくかわいい働き者(母について)⑤

僕はとにかくケガや病気をよくした。

気管支ぜんそくは3歳の頃から小学1年生頃まで、合計で6回も入院するほどひどかった。

けれども小学1年生の時に指圧の先生のところに通い、先生に勧められたクロレラを飲んで体質改善をすることで治った。

この時、母と妹と僕でバスに乗って指圧の先生のところに通うのだが、その帰りに安くておいしい中華そばを食べて帰るのが、母も僕もひそかな楽しみだった。

小学校3年生頃からアレルギー性鼻炎が酷くて困った。
これはおそらく父がタバコを家の中で吸って、カーテンや部屋の壁がヤニで黄色になるほどだったので、その影響が大きかったと思う。
その証拠に東京で一人暮らしをするようになってからピタッと治ったからである。

小学5年生の時は野球のスポーツ少年団で2塁にすべり込んだ時に変なふうに手を地面に着いて左手首の骨を折った。

中学1年生の時は野球部のボール拾いで大きな石がゴロゴロある場所に走っていった時、足首をひねって、左足首の骨にヒビが入って松葉杖で生活することになった。

この時、母は自転車の後ろに僕を乗せて、中学校まで自転車を引っ張って行ってくれた。母は車の免許を持っていないし、父も朝早く仕事に行ってしまうので、移動手段は自転車しかなかった。幸い中学校もわりと近くだったからよかったが、このケガは治るのに、結構日数がかかったから、その間、母は大変だったと思う。

毎朝、家事をして、その後でパートに行かなければいけないのに、忙しい中、しかも中学生になって身体も大きくなった僕を自転車に乗せて引っ張っていかなくてはならず、いつまでも母に世話になっていることを子どもながら恥ずかしく感じていた。

高校の時は学校へ自転車で通うようになった。新しい制服を着て学校に向かう途中、雨が降っていたので制服の上から雨がっぱを着ていたのだが、トンネルのところで滑って転んで、制服のズボンの膝のところが破れてしまった。

新品のズボンを破ってしまい、母に縫ってもらった。

このようにとにかく僕はよくケガをして、母に心配と迷惑をかけた。

つづく

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