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25歳

「四半世紀生きてるらしいよ。
すごいね。」

そんな会話を昨日会った友達とした。
四半世紀って考えるとあまりピンとこないけど、
“人生100年の時代”と言われた今
もう既に自分は1/4生きてきたと思うと
少しだけすごいと思うし、焦りも感じるものだなと1日経って思う。

今月の31日で25歳になる。

なんとなく、25歳はもっと格好よくて落ち着いてて素敵な大人の女性になっているものだと思っていた。
けど、現実そんなことはなく
気持ち的にはまだ22歳くらいの頃のまま
時が止まっているような感覚で、自分の理想と少しの傲慢が混ざった勝手な都合良いイメージでしかなかった痛感している。笑

それでも時は流れていくし歳は重ねていくもの。
年相応の経験はできているのかな、と思う瞬間がある。

18歳で上京してきてからの約7年はあっという間で、

特に22歳から今までの約3年はコロナの影響や身の回りの変化もあって、良いことも悪いことも含めていろんな経験をした。
酸いも甘いもと言ったら小生意気に聞こえるけど、本当にそんな感じだと思う。
(これからもそんな経験沢山するのだろうけど。笑)
1番”人”に影響を受けた時期でもあったと思う。

コロナ禍のなかで色んな価値観や意見や情報飛び交い、日々孤独や偏見と戦いながら、精神的にやられてしまう人を何人も見た。
そして、自分もその1人だった自覚がある。
悲しい経験をしたり、誰しも疲れただろうし辛い思いをした期間。
負の感情が無限にループする中で、
色んな人と関わって、小さな優しさだったり、喜び、幸せを噛み締めて必死にもがいて生きてきた。
経験したくないこともして、別れもあり、懺悔することも、未だに残る後悔もあったり、新しい人間関係に戸惑うこともあったけれど、
その経験があったからこそ今がある。
自分の本音や本性、本質が垣間見える瞬間が多々あったと振り返ってみて思う。

そんな激動の20代前半も終わり、20代後半を迎えようとしている中でひとつの区切りとして

一旦地元に帰るという決断をした。

コロナ禍の数年間、何度も帰りたいとも思っていたし口にしていたのにもかかわらず、帰らなかった自分がやっとできた大きな決断。
家庭の事情がきっかけではあるけれど、
きちんと覚悟を持って決断できた自分は素晴らしいと思える。

その決断もあり、
25歳になるまでに、もしくは東京を離れる前に
行きたいところやお店に行く、空いたい人に会って1日を過ごしてみる。
そんな目標を立てて過ごすことで
繋がりだったり、今までの自分の言動を振り返ったりできる時間にもなるかなとも思っている。

Instagramには書いたけど、
いつ行けるか、会えなくなるかなんてわからないし
上記の通り、そう実感する経験もしてきた結果の行動。
もしかしたら、1年後、2年後
またいつか東京に戻ってくるかもしれないし、戻ってこないかもしれない。
地元にそのまま住み続けるかもしれない。
本当だったら今頃引っ越していた筈の那須に移住しているかもしれない。
先のことはわからないけれど、この選択をして良かったと思えている自分は見えていて
不思議と気持ち的にはスッキリしている。

駆け抜けてきたこの数年間
よく頑張ったって自分を褒めたい。
東京でできた繋がりに感謝して、残り僅かの東京生活を楽しみたいところ。

数週間後の自分が、胸を張って25歳と言える自分でありますように。

10/12