見出し画像

『アントレプレナー神話』11月12日に考えたこと

  • 集中と選択って言葉は経営的で格好いいけど、実質は投資が必要なのは理解しつつも出し渋っていて投下済み資本から何とか捻出できないかという決断力のなさが現れた言葉だよなと。

  • 資本投下はしたいけど、失敗した場合の傷を浅くしたいという腰の引けた経営方針なのでは?

  • 新規領域への投資と既存領域の整理を同時に行うというお題目に対しては、個別にやれよ、と思う。

  • 気づいてしまったことを指摘したら自分のタスクになるということをアホみたいに繰り返している。二度と人の見落としを指摘しないと誓っては馬鹿みたいに同じミスを繰り返す。

  • マスクがTwitterの企業価値(事業価値か?)を急速に崩壊させている。ただ、Twitterには、全人類ではないが、距離や国境の垣根を超えて、人々が情報を交換するプラットフォームとしての価値は明確にあり、これはどのようにぶち壊しても維持し続けられうる価値である。

  • プラットフォームとしてのTwitterがマスクの経営判断を緩いものにしている可能性がある。本来なら思いつきが形になるまでに、何人もの何層もの検討があって世に出るものだろうに、Twitterで発表することで、練られてない生のマスクの思いつきを実装しないといけなくなる。そういう意味ではTwitterの存在がTwitterの価値を毀損しているわけで、興味深い。

  • 同じ構造は少し前の孫正義も持っていた。

  • 孫正義はなんか、投資は全般的に失敗だけど環境のせいでみんなしくじってるから仕方ない。Armに集中して圧倒的成長!可能性は無限大なのを実感した!詳細は言えない!とか言ってるらしく、こいつも賞味期限切れだな。

  • 起業家は、自分には『センス』があるという意味不明な柱を抱えてしまいたがるし、抱えることを期待されてしまう。神話づくりというか。其の神話に囚われない自律心というのがとても大事だと思う。

  • ホリエモンとかもそう。今更になっても、物申す、物申すだけの『センス』がある、みたいな神話をベースにしたビジネス展開しようとしていて、それはそれで乗る人もいるんだろうが、つらい話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?