白昼夢か夢なのかももう区別のつかないそれ

※この記事には暴力表現が含まれています。フラッシュバックのおそれがある方や、精神衛生上暴力表現が自分に向かないと感じる方は、ブラウザバックでお戻りください。












目の前で、人と人が殺しあっている。


「殺す」「殺してやる」
決して語彙力のない錆びかけのカミソリのような言葉の刃物たちが飛び交う。


愛憎の延長線上で本当に生き死にがかかわることはきっと稀だと思うが、真正面にそれを捉えたら真に受けてしまう生き物がいる。


それは子供だ。


無垢で無知であるが故に残酷さも真摯に受け止めてしまうくらい純粋な生き物だ。


それが第三者、いや第四者以降の視点で、定点カメラが3つくらい設置されている設定で、色々な視点から再生される。


辺りには家具やものが散乱し、重量のあるものや軽量サイズのものが問わず投げられたり、壊されたりしている。


大人二人は、体を壁にぶつけられたり泣き叫んだり、髪の毛を掴んだりだの、原型はどんなだったかがもうあやふやな状態だ。


何故かその場に放たれたように存在する、身長は130cm未満、体重は30kg前半ほどもない小さい生き物。


その者だけはしにものぐるいで大人二人どちらかがどちらかを殺すのを必死で止めようとしていた。


大人二人も、そこに配置された子供も、きっと生きることに一生懸命ではあったはずだ。


なにかの間違いで、歯車が噛み合わなくなった。
きっとそれだけだった。









やがて目が覚めて、四肢に脳からの信号が送られていくのを感じる。

そうか。夢か。きっと、夢であった。


これは自身の幼少期の頃の記憶なのだとわかりきっていても、映像がリフレインされる度にどうしようもなく、「夢か?」と思ってしまうんだよね。なんでだろうな。

ドラマにするにしても映画にするにしてもセリフや脚本にセンスの一欠片もなければ、大したオチもなく、評価をつけるならば当然の如く星1だ。

こんな作品が売れるわけがないし、誰かの共感を呼んだとて、その人の悲しみが掘り起こされるだけで、「観て良かった」「触れてよかった」といった言葉がもらえるような、そんな価値は決してない。


あれらの経験から得られるものが何かあるとするならば、「こんな悲劇は決して繰り返してはいけないものだ」と自身の中で決意の言葉が出てきたことくらいだ。

それ以上もそれ以下もなく、掘り起こせば記憶の底から必ず出てくる、星1のバイオレンス映像作品。




あーーーーーーーー、なんっも面白くねえな!

こんななんも面白くないガラクタ映像のことは本当はどうでもいいんだ。

愛憎劇には儚い美しさがあるかもしれないが、あれはただの憎悪から生まれたものでしかないから。


あんなもんより俺は、心がグワングワン揺さぶられるような超面白い映画の一つや二つを観て、会話のネタを増やしたい。

観るなら、「これを作ってくれる人がこの世の中にいたんだ、生きていたんだ」と、人の存在を尊く感じられるものが観たい。


そんなんだよ。俺は。

くだらねえよな。




とまあ、俺がふとした時に思い出してしまう記憶の欠片なんてこんなつまんないものでしかないわけです。

なのにまあ、よくここまでスクロールして読んでくれましたね?!あなたはスゲーや!お目通し感謝いたします。

いつぶりだろう、記事を書いたの。

復帰して初っ端は明るめの報告をしようと思っていたのに、ちょっとリハビリがてらなんか言おうかなと思ったら、やや暗めの内容になってしまった。すみません。

千川の10番です。

色々ありましたが生きてはいまして、のちにまたきちんと生存報告と現状の報告をいたします。

本当に読んでくれてありがとうね。

更新が止まってからも、フォローをし続けてくれたのか、Twitterを見てくれていたのか、ブックマークに入れておいてくれていたのか、あなたがこの記事に目を通してくれたいきさつは色々あるのだと思いますが、何はともあれありがとう。

生きてまた会えましたね。読んでくれて、うれしいです。

また少ししたら、ここに来ます。

きっとまた会いましょう!




千川 悠里(10)

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